「ロザリーが、歌を嫌いにならないで。エストランテの夢を捨てずにすんで、本当に、よかったわ。好きなものを嫌いになるのは。欲しかったものを諦めるのは、辛いもの」

 刹那、丸まっていたロザリーの瞳が、ふわりと和らいだ。

「マリエッタ様はいつだって、私の希望です。それで……その」

 心許なげに視線を彷徨わせたロザリーに、私は何事かと首を傾げる。
 ロザリーは何度か言葉を飲み込んでから、意を決したように、ワンピースのポケットへと手を入れた。

「マリエッタ様、これを……っ!」

「へ?」

 両手で差し出されたのは、白いハンカチ。
 綺麗に折り畳まれたそれを見つめながら、ロザリーにハンカチなど貸したかしら? いえ、覚えはないわね……などと考えていると、

「こ、こんな安物のハンカチをマリエッタ様にお渡ししようなんて、無礼極まりないのですが……っ! でもその、感謝の気持ちをお伝えするのに、この方法しか思いつかず……っ」

「え? これ、私にプレゼントしてくださるの?」

「は、はいっ!」

「――嬉しい!」

 私は嬉々としてロザリーから、ハンカチを受け取る。

 と、ちょうど彼女の手で隠れていた部分に、知った色が見えた。

「……薔薇の刺繍?」

 それも、思わず目を奪われてしまう、真っ赤な色。

「その、マリエッタ様は赤いドレスがとてもお似合いでしたので……。贈るなら、赤い薔薇がいいなと」

「! ロザリーがこの薔薇を!?」

「は、はい。針仕事は昔からよくしていたので、そこまで酷い出来ではないと思うのですが……」

「どこが酷いというの? こんなに美しくて、売り物のようなのに……!」

 私は「すごいわ、ロザリー。歌だけではなく、刺繍もこんなに得意でしたのね」と感嘆の息をつきながら、丁寧に施された薔薇を眺める。
 綺麗に整列する糸は歪みがなく、花弁の一枚一枚が艶めきを纏っていて。
 本当に、見事な薔薇。

「……悔しいですわ」

 私はすこし悪戯っぽく笑んで、

「私も刺繍は得意なほうだと思っていたのに、ロザリーには敵いそうにないわ。もっと精進しなきゃね」

「そんな、マリエッタ様は刺繍の他にも、沢山のことを学んでいらっしゃいますから。歌と語学と刺繍程度の私とは、費やせる時間がそもそも違います」