「アベル殿下」

 ルキウスが、静かに歩を進めてきた。
 私達の前で静止すると、アベル殿下を微笑みながら見つめ、

「僕の婚約者を、返していただけますでしょうか」

「っ!」

「マリエッタ、いいね?」

 頷いた私に、アベル様が歯噛みしながらも下ろしてくれる。
 ほっと小さく息をついた私の顔を、ルキウスは優しい眼で覗き込み、

「マリエッタ、こっちはもう少し、お願いね」

(ああ、やっぱり)

 ルキウスはいつだって、私に優しい。
 この優しさが唯一無二なのは、彼がずっと私を知ろうと心を配り、見つめ続けてくれていたから。

「マリエッタ嬢! これ以上その身を犠牲にする必要は――」

「アベル殿下」

 ルキウスは私を愛おし気に見遣りながら、

「僕は彼女を、愛しております」

「っ」

「ならば、なぜ彼女に無茶を強いる……っ!」

「"無茶"ではないと、知っているからですよ」

 ルキウスはたおやかに微笑んで、

「僕はマリエッタを、信じていますから。真心を持って互いを想い、敬意を胸に共に戦う。正しいかどうかなどわかりませんが、それが僕の、愛なのです」

 耳から届く言葉が、すとんと胸に落ちて歓喜を呼び起こす。
 正しい愛とは、なんなのだろう。わからない。
 アベル様の言う"愛"も、きっとその通りなのだろう。けれど。
 私は、私の心のままに選ぶのなら――互いに戦える、愛がいい。

「ルキウス様」

 私は歩を進めルキウスの前に立ち、見上げる。

「行って参りますわ。私が今一番に、ありたい場所へ」

「うん、頼んだよ。僕もそろそろ、次のお仕事してこなきゃ」

「っ……!」

 アベル様が何かを告げようと、口を開いたその時。

「アベル様!」

 駆けこんで来たのは、騎士団長様。
 彼は周囲の様子など気にも留めず、

「至急、お耳に入れたいお話が。共に来ていただけますでしょうか」

 切羽のつまった声。
 そこでやっと騎士団長様はルキウス達に気が付いたようで、頭をがっくりと落とすと掌で覆い、

「お前たち、アベル様に拝謁する際は少しは落として行けといつもいつも……」

「緊急時に拭いてる余裕なんてないですよお」

「ジュニー、お前まで……。せめて顔をひと拭きするだけでも……。いや、今はこんな話をしている場合じゃなかった。アベル様」