翌日、友紀さんに連れて来られたのは他県の温泉街。

川沿いに立ち並ぶお店はどこも活気に溢れていて、少し視線を上げるとあちこちに湯気が上がっているのが見える。


幼い頃に両親と旅行に出かけたことはあったけれど、友紀さんと暮らすようになってから、ここまで遠出をしたのは初めてだ。

夜の間に帰って来なかった葵衣は、わたしと友紀さんが家を出る少し前になって、マンションのエントランスにいると連絡を寄越した。

数時間運転を続けていた友紀さんは、朝が早かったこともあって少し顔色が悪い。

わたしと葵衣にとっての楽しみでもある反面、友紀さんの休息も兼ねてのものだと思っているから、車で来ることさえ、わたしは反対だった。

何だかんだと言いくるめられてここまで来て、車中では眠ってしまっていたのだけれど。


葵衣は早々にひとりで別行動を始めてしまい、わたしと友紀さんはホテルに荷物を預けてゆったりと散策マップを広げつつ歩き始める。


一泊二日と短いけれど、それにしたって葵衣の荷物は少なかった。

大抵のものは旅館で揃うから、身一つでいいとまで言い出すんじゃないかという予想もあながち間違いではなかったということだ。


町の北南を分ける大きな橋の真ん中からの景色を携帯のカメラに収めて、友紀さんを振り向く。


「友紀さんは来たことあるんだっけ」

「私がまだ花奏と同い年くらいのときに一度ね。お姉ちゃんが連れて来てくれたの、日帰りで」

「日帰り……! あ、でも、実家の方が近いんだよね」

「そのときも二時間はかかったよ」


川の音がおどろおどろしいほどに響く中、ずっと先の川縁に葵衣らしき人影を見つけ、思い切って呼んでみるけれど、こちらを向いたのかすらわからない。


「聞こえないでしょー この距離だとねえ。というか、私には見えないんだけど。いる? 葵衣」

「いるよ、ほら、今動いた。葵衣ー!」


こんなに思い切り葵衣の名前を呼び叫んだのはいつぶりだろう。

届かないのはわかっていて何度も呼んでいると、手も振ってみたら? と友紀さんに進言される。

さすがにそれは気付かれてしまうんじゃないかと思ったけれど、この際だからと大きく両手を振って、何度目かの葵衣の名前を叫ぶ。


すると、葵衣がこちらに向かって手を振った。

叫び返してはくれなかったけれど。


「あ、見えた見えた。あの点が葵衣かあ」

「点って。もう少しはっきりしてるでしょ」


ひらひらと軽く手を振る友紀さんにも気付いたようで、しばらくこちらを見ていた葵衣が去って行くのと同時に散策を再開する。

しっかり防寒してはいるけれど、山の上の方には雪が積もっていて、道中の温度表示には『 2° 』と書かれている。

長くは外にいられないとわかって、友紀さんがリサーチしていたお店を片っ端から回っていく。

どの場所でも小物をひとつは購入する友紀さんに、一旦先に行ってから帰る道すがらに買えばいいのではと言うと、わかりやすく、しまった!という顔をする。



両手に抱えた袋をわたしも半分持つようになる頃、ようやく店の垣根が途絶えるところが見えてきた。


「ジュエリーショップなんてあるんだね」


道すがら、八畳くらいの小さな店内をちらりと覗き見ると中にいた女性の店員がにこりと笑って会釈をしてくれた。


「ここ、結構人気なのよ。お姉ちゃんの指輪もここで作ってもらったんじゃなかったかな……あれ、ちがうか」

「覚えてないの?」

「そりゃあ、私のじゃないし。そうだ、私もここのが良かったんだけど、忘れちゃってたなあ……」


しみじみと呟く友紀さんに、入る?と聞かれたけれど首を横に振る。

一瞬、橋田くんに何か贈り物をと思ったけれど、何も買わずに出て来てしまうような気がしたから。


「花奏はネックレスとかイヤリングつけないしねえ。もう少し大人になったらまた来ようか」


また子ども扱いか、と思うけれど、実際にわたしは装飾品を好んで身に付けないし、橋田くんにもらったバレッタも家に置いて来ている。

突き当たりのはちみつ専門店に入っていく友紀さんを追いかける前に、もう一度ジュエリーショップを見遣る。

小窓サイズのショーウィンドウに並べられたネックレスには星と月のモチーフが重なっていて、近くで見たかったけれど、店の奥からさっき女性が出てくるのに気付いて、逃げるようにはちみつの店へ入る。

店内には甘ったるい匂いが漂っていて、見渡す棚全てに大小様々なはちみつの瓶が置いてある。

はちみつそのものだけではなく、お酒やギフトの詰め合わせ、可愛らしい小瓶いっぱいに詰まったキャンディなども目に入る。

容量にもよるけれど、価格帯はピンからキリまであって目移りする中、友紀さんは迷いなくポンポンとカゴにはちみつの瓶を入れていた。

最後の最後に大荷物になりそうだ。


先に店を出て、遠目にジュエリーショップを見ていると、さっきは見えなかった男性の店員が表に出て植木鉢の花に水をやり始めた。

その様子をぼうっと眺めていると、友紀さんが買い物を終えて出てくる。


「おまたせ。……花奏? やっぱりあのお店が気になるの?」

「気になるっていうか……」


何だか忘れられような雰囲気のあるお店だと思う。


「行く?」

「行かない。また今度ね」


我ながら強情だ。

ちょっと立ち寄って見るだけでも、あのスペースなら五分もかからない。

買うつもりがないというのと、ひとりでは持ちたくないけれど橋田くんと何かをペアで持つことに抵抗があるから、万が一にも店に入って気に入るものがあったらいけない。


緩い下り坂を両手に荷物を抱えて歩く道中、葵衣の姿を見かけることなくホテルに到着。

三階はすべて洋室、わたし達の泊まる四階は和室らしい。

案内された部屋に入ると、目に飛び込んできたのは窓の外の景色だった。

最上階の角部屋からの景色は瞬きも惜しむほど美しい。

川の上流付近を囲む森の一角が開けていて、大きな滝が見えた。

川に面して建てられたホテルだから、表を走る車の音や姿は全く届かず、川のせせらぎや遠くで響く鐘の音、カワセミの鳴き声が鮮明に聞こえる。


「あ、花奏ー? ちょっと相談なんだけど」


買ってきた荷物を片していた友紀さんに呼ばれて、濃い畳のにおいがする床に座る。


「二部屋取ってあるんだけど、葵衣と一緒でいい?」

「へっ……」

「ほら、三人だと葵衣が居心地悪くなっちゃうかなと思って。今考えてみたら、私が別室でもいいじゃない? ふたりとも最近あまり顔合わせてなかったみたいだし、たまには、ね?」

「い、いや……葵衣、嫌がるんじゃないかな。旅行に来てまでわたしと一緒なんてさ」

「二泊だったらふたりと一日ずつ過ごせたんだけどねえ」


人の話を聞いているのかいないのか、まるでわたしと葵衣を同室にすることで決定したように、ふんふんと鼻歌混じりに荷解きを始める。

さすがに冗談だろうと思い、わたしも自分の荷物に手を伸ばそうとすると、友紀さんに止められた。


「もう一部屋の方が広いから、そっちに行きなね。ほら、エレベーターからこっちじゃなくて反対の突き当たり。距離はあるけどその部屋からの景色も格別なのよ。葵衣には部屋番号伝えてあるから」

「ちょ、待って待って。なら、葵衣がひとりでいいじゃん。わたしの荷物ここにあるんだし」

「ええ……葵衣に広い部屋ひとりで使わせるの、嫌だなあ」

「友紀さん、もしかしてひとりになりたいの……?」


察してあげられたらいいのだけれど、生憎この状況では冗談なのか本気なのかもわからない。


「この町ねえ、お姉ちゃんに初めて連れて来てもらった場所なんだけど、あの人と出会った思い出もあるんだ……」

「旦那さんと……出会った場所……」

「あの人が育った町なんだよ」


友紀さんに引き取られて、小学校を卒業するときに旦那さんの存在を聞いてはいたけれど、馴れ初めや思い出話は聞いたことがなかった。

荷解きの手を止め、窓から流れ込む自然の音に耳を傾ける友紀さんは穏やかに微笑む。

その顔を見て、わたしは自分の荷物に置いた手を下ろした。


家に帰ったら、友紀さんに話を聞いてみようと思う。

わたしの知らない友紀さんの話を。

旦那さんのこと、お母さんのこと。

きっと、わたしの知らないことがたくさんある。