雨の音が昼休みの教室にあふれている。
みんなの話す声や、お昼の放送の音も遠くで聞こえるほど、雨音がすぐそばでしている。
無理やり食べていたお弁当を半分くらいであきらめてフタを閉じる。
食欲がない理由は、たくさん。
叶人のこと、家のこと、そしてなによりも大きいのは――優太への気持ちに気づいたことだ。
「優太がこんなに長いこと休むなんて珍しいよね」
日葵が、もう三日も主を待ち続けている机に箸先を向けた。
誰かが優太の名前を出すたびに、ドキンと胸が鳴っている。
「風邪を引くなんていつぶりくらいなんだろう。ね、聞いてる?」
「風邪なんて珍しいよね」
日葵にバレないようにすると、そっけない口調になってしまう。
チラッとこっちを見てから、日葵は「だね」とうなずいた。
「もう熱はないみたいだから来週からは大丈夫って言ってたけどね」
日葵は優太と連絡を取ってるんだ。私は、自分からLINEはしていない。
今までもそれほど頻繁にメッセージを交わしていたわけじゃないけれど、自分の気持ちに気づいてからはますますできなくなった。
――優太が好き。
まるで私が私に教えているかのように、その言葉ばかりが頭に浮かんでしまう。
『恋に落ちる』という言葉が、昔から不思議だった。
落ちるなんて、まるで悪い状態になっているように思えたから。
『恋にあがる』のほうがふさわしい言葉のような気がしてたけれど、実際にその境遇になるとわかった。
優太を好きになるほどに、存在はどんどん大きくなり苦しさが増すし、幸せな気持ちなんてほとんど感じていない。
『恋に落ちる』は、正しい言葉なんだと実感している。
あれ以来、『パラドックスな恋』はあまり読んでいない。
憧れ、同化して読んでいた物語も、今はまるで違う展開になっている。
小説の主人公は大雅に告白され、現実の私は告白を回避したあと、優太への恋心に気づいてしまった。
ただひとつ心配なのは、大雅が私をかばい事故に遭ってしまうこと。
どこまで小説の世界が反映されているのかはわからないけれど、それだけは回避しなくてはならない。
スマホを開き、久しぶりに『パラドックスな恋』の画面を開いてみる。
大雅に告白されたシーンで更新は止まったままだった。
これじゃあ、危険を回避することができない。
大雅が事故に会うのは、雨の日の交差点。
ぶつかる直前に車のブレーキ音がしたことは覚えている。
つまり、事故のときに私は大雅のそばにいたってことだ。
じゃあ、どういう状況だったのかと考えてもその先は思い出せないまま。
今の私がふたりきりで大雅と町を歩くことはないだろうから、ひょっとしたら事故が起きる未来は既に回避している可能性だってある。
いや、私がいないせいで、ひとりで歩いているときに事故に遭う可能性も否定できない。
もしも生命にかかわるような事故が起きてしまったら、私は一生自分を許せないだろう。
……これからどうすればいいのだろう。
「なによ暗い顔して。こないだのケンカは仲直りしたんでしょ?」
日葵の声に、ぼんやりと優太の席を見ていたことに気づく。
「それはすっかり大丈夫」
「ふーん」
興味なさげにつぶやいたあと、日葵が「五時」と言った。
「五時って?」
「大雅のお見舞いにしか行かなかったら、あとで恨み節を聞かされることになるでしょう。ほら、優太ってそういうの傷つくタイプだから。部活休むから五時まで待ってて」
ああ、そういうことか。お見舞いなら、会いに行く正当な理由になるよね。
「わかった。待ってる」
「大雅も誘う?」
当たり前のように尋ねる日葵に口を閉じた。
「ああ、そっか。悠花は大雅の記憶はないんだもんね。わかったよ、ふたりで行こう」
気持ちを汲んでくれる日葵にホッとした。
日葵がトイレに行っている間、ほかの男子としゃべっている大雅を見た。
今日も楽しそうに笑っている。
人間は慣れる生き物らしく、小説世界から飛び出てきた彼を見てもなんとも思わなくなっている。
ううん、名前が一緒なだけで、大雅は小説とは関係ないのかもしれない。
だって今の状況は、あまりにも物語からかけ離れてしまっているから。
優太は今ごろなにをしているのだろう。
熱はもう下がったのかな。
なぜ私は優太を好きになってしまったのだろう。
ただでさえ、悲しい出来事ばかり起きる毎日が、恋をすることでもっと苦しくなるのに。
いくら否定しても無駄なこと。
毎日のなかで、優太のことを考える時間ばかりが大きくなっていく。
「ねえカッシー」
うしろから木村さんが声をかけてきた。
どうやら私のあだ名はカッシーで決定したらしい。
「今、聞こえたんだけどさ、笹川くんのお見舞いに行くの?」
笹川……ああ、優太のことだ。
苗字で呼ぶことなんてないから、一瞬わからなかった。
「家が近所だからしょうがなくだよ」
ごまかして笑えば、口のなかに苦いものを感じた。
こんなふうにごまかしてばかり。
木村さんは気にする様子もなく「へえ」と言ったあと、委員会の話をしてきた。
内容は委員長がおっかないということと、文化祭での役割について。
上の空にならないよう話を聞いていると、大雅と目が合ったけれど、すぐに逸らされる。
ただのクラスメイトと目が合うなんて、よくあること。
きっと彼にも深い意味なんてない。
窓の外は雨でけぶり、校門さえ見えない。
この雨が、恋の熱を冷ましてくれればいいのに。
だって幼なじみの優太に告白なんて、絶対にできないから。
優太の気持ちを知りたいと思いはじめている自分を止めてほしい。
今までと同じように気兼ねなく話ができる関係でいたい。
それでも、恋を雨からかばっている自分もいる。
やっと見つけた宝物をこわしたくない。
雨におびえながら、この恋が尽きることを恐れている。
どちらにしても、弱い私がここにいる。
恋なんて――したくなかった。
みんなの話す声や、お昼の放送の音も遠くで聞こえるほど、雨音がすぐそばでしている。
無理やり食べていたお弁当を半分くらいであきらめてフタを閉じる。
食欲がない理由は、たくさん。
叶人のこと、家のこと、そしてなによりも大きいのは――優太への気持ちに気づいたことだ。
「優太がこんなに長いこと休むなんて珍しいよね」
日葵が、もう三日も主を待ち続けている机に箸先を向けた。
誰かが優太の名前を出すたびに、ドキンと胸が鳴っている。
「風邪を引くなんていつぶりくらいなんだろう。ね、聞いてる?」
「風邪なんて珍しいよね」
日葵にバレないようにすると、そっけない口調になってしまう。
チラッとこっちを見てから、日葵は「だね」とうなずいた。
「もう熱はないみたいだから来週からは大丈夫って言ってたけどね」
日葵は優太と連絡を取ってるんだ。私は、自分からLINEはしていない。
今までもそれほど頻繁にメッセージを交わしていたわけじゃないけれど、自分の気持ちに気づいてからはますますできなくなった。
――優太が好き。
まるで私が私に教えているかのように、その言葉ばかりが頭に浮かんでしまう。
『恋に落ちる』という言葉が、昔から不思議だった。
落ちるなんて、まるで悪い状態になっているように思えたから。
『恋にあがる』のほうがふさわしい言葉のような気がしてたけれど、実際にその境遇になるとわかった。
優太を好きになるほどに、存在はどんどん大きくなり苦しさが増すし、幸せな気持ちなんてほとんど感じていない。
『恋に落ちる』は、正しい言葉なんだと実感している。
あれ以来、『パラドックスな恋』はあまり読んでいない。
憧れ、同化して読んでいた物語も、今はまるで違う展開になっている。
小説の主人公は大雅に告白され、現実の私は告白を回避したあと、優太への恋心に気づいてしまった。
ただひとつ心配なのは、大雅が私をかばい事故に遭ってしまうこと。
どこまで小説の世界が反映されているのかはわからないけれど、それだけは回避しなくてはならない。
スマホを開き、久しぶりに『パラドックスな恋』の画面を開いてみる。
大雅に告白されたシーンで更新は止まったままだった。
これじゃあ、危険を回避することができない。
大雅が事故に会うのは、雨の日の交差点。
ぶつかる直前に車のブレーキ音がしたことは覚えている。
つまり、事故のときに私は大雅のそばにいたってことだ。
じゃあ、どういう状況だったのかと考えてもその先は思い出せないまま。
今の私がふたりきりで大雅と町を歩くことはないだろうから、ひょっとしたら事故が起きる未来は既に回避している可能性だってある。
いや、私がいないせいで、ひとりで歩いているときに事故に遭う可能性も否定できない。
もしも生命にかかわるような事故が起きてしまったら、私は一生自分を許せないだろう。
……これからどうすればいいのだろう。
「なによ暗い顔して。こないだのケンカは仲直りしたんでしょ?」
日葵の声に、ぼんやりと優太の席を見ていたことに気づく。
「それはすっかり大丈夫」
「ふーん」
興味なさげにつぶやいたあと、日葵が「五時」と言った。
「五時って?」
「大雅のお見舞いにしか行かなかったら、あとで恨み節を聞かされることになるでしょう。ほら、優太ってそういうの傷つくタイプだから。部活休むから五時まで待ってて」
ああ、そういうことか。お見舞いなら、会いに行く正当な理由になるよね。
「わかった。待ってる」
「大雅も誘う?」
当たり前のように尋ねる日葵に口を閉じた。
「ああ、そっか。悠花は大雅の記憶はないんだもんね。わかったよ、ふたりで行こう」
気持ちを汲んでくれる日葵にホッとした。
日葵がトイレに行っている間、ほかの男子としゃべっている大雅を見た。
今日も楽しそうに笑っている。
人間は慣れる生き物らしく、小説世界から飛び出てきた彼を見てもなんとも思わなくなっている。
ううん、名前が一緒なだけで、大雅は小説とは関係ないのかもしれない。
だって今の状況は、あまりにも物語からかけ離れてしまっているから。
優太は今ごろなにをしているのだろう。
熱はもう下がったのかな。
なぜ私は優太を好きになってしまったのだろう。
ただでさえ、悲しい出来事ばかり起きる毎日が、恋をすることでもっと苦しくなるのに。
いくら否定しても無駄なこと。
毎日のなかで、優太のことを考える時間ばかりが大きくなっていく。
「ねえカッシー」
うしろから木村さんが声をかけてきた。
どうやら私のあだ名はカッシーで決定したらしい。
「今、聞こえたんだけどさ、笹川くんのお見舞いに行くの?」
笹川……ああ、優太のことだ。
苗字で呼ぶことなんてないから、一瞬わからなかった。
「家が近所だからしょうがなくだよ」
ごまかして笑えば、口のなかに苦いものを感じた。
こんなふうにごまかしてばかり。
木村さんは気にする様子もなく「へえ」と言ったあと、委員会の話をしてきた。
内容は委員長がおっかないということと、文化祭での役割について。
上の空にならないよう話を聞いていると、大雅と目が合ったけれど、すぐに逸らされる。
ただのクラスメイトと目が合うなんて、よくあること。
きっと彼にも深い意味なんてない。
窓の外は雨でけぶり、校門さえ見えない。
この雨が、恋の熱を冷ましてくれればいいのに。
だって幼なじみの優太に告白なんて、絶対にできないから。
優太の気持ちを知りたいと思いはじめている自分を止めてほしい。
今までと同じように気兼ねなく話ができる関係でいたい。
それでも、恋を雨からかばっている自分もいる。
やっと見つけた宝物をこわしたくない。
雨におびえながら、この恋が尽きることを恐れている。
どちらにしても、弱い私がここにいる。
恋なんて――したくなかった。