今日も朝から教室でスマホに『パラドックスな恋』を表示させている。
内容は第一章で大雅が転校してきた箇所だ。
冷静に考えれば、小説に出てくる人物と同姓同名の人が引っ越して来ただけだとわかる。
あまりにも作品が好きすぎて動揺しちゃったけれど、もう大丈夫。
そもそも、もし小説の展開どおりになるとしたなら、大雅はあのあと私に話しかけてきたはず。
スマホの画面をスクロールさせ、その場面を読んでみる。
□□□□□□□
下校時間になると、山本くんは真っ先に私の席へとやってきた。
「久しぶりだね」
そう言う山本くんに思わず顔をしかめる。初対面の挨拶にはあまりにもふさわしくない。
「え、あの……」
「久しぶり」
今度は隣の伸佳に同じように言う山本くん。
□□□□□□□
昨日の大雅は私とひと言も会話を交わしていない。やっぱり、単なる偶然だったんだ。
そう考えると、優太にも悪いことをしたな……。
話の途中で逃げるように帰ってしまったし。
でも、優太だって悪い。昔はもっとやさしかったのに、最近は話をすればキツイことばかり言ってくるし。
そんなことを考えていると、当の優太が教室に入ってきた。
隣の席にどすんと座ると「おっす」と挨拶をしてきた。いつもは遅刻ギリギリなのに珍しい。
「お……おはよう」
なんとかそう言ってから、小説の世界に戻る。
もう何度も読んでいるし、大雅が主人公に話しかけるシーンは地の文章まで覚えているほどだ。
ふと隣を見ると、優太が唇を尖らせて椅子をギコギコと前後に動かしていた。
「なんか……昨日は悪かったな」
最初は自分に言われているって気づかなかった。
きょとんとする私に、優太は軽くあごを引いた。
「余計なこと言ってごめん」
「え……?」
はあ、とため息をついた優太がようやく私を見た。
「最近、元気ないように見えたから気になったんだよ。なのに、ヘンな言いかたになっちゃってさ」
びっくりした。言われてみれば『なにか、あったのか?』と心配してくれていたよね。
「私こそごめん。小説の世界とごっちゃになったみたいで。寝ぼけてたのかな」
「昔から寝起きは悪かったしな」
やさしい笑みを浮かべる優太に、昨日のモヤモヤは一瞬で消えた。
逆に情けなさを感じ、
「うん」
としか答えられない。
「小学校のときの遠足で、バスが目的地に到着しても全然起きなかったもんな。あれは笑えた」
クスクス笑う優太。昔はこんな風になんでも言い合えてたよね……。
ふと優太の横顔が迷ったように曇った。
「やっぱり、あれか? もうすぐ……」
昔からの仲だから、優太がなにを言おうとしているのかがわかる。
「そうだね。あと少しで叶人の三回忌法要だから、ちょっとナイーブになってたのかも」
叶人が亡くなったのは十月二十日の早朝だった。
私が最後に彼と話してからちょうど一週間目のことだった。
「もうそんなに経ってるのか。悠花が悲しむのもわかるよ。だって叶人、いいヤツだもんな」
優太は気づいてないだろうけれど、叶人のことを今でも過去形では語らない。
やっぱりやさしい人なんだよね。
ますます自己嫌悪に陥りそう。
「あれ、三回忌法要? 二回忌法要じゃねえの?」
「去年が一周忌法要で、今年は三回忌法要なんだって」
「それってなんで?」
そう言われても私にはよくわからない。
わかっているのは叶人がもうこの世にはいないことだけ。
「おじさんとおばさん、あいかわらずなのか?」
「普段はしゃべらないけど、たまにどっちかが口を開くとケンカになってる。昨日の夕飯も静まり返ったなかで食べたよ。もう慣れたけど」
叶人が亡くなってから、いろんなことが悪い方向へ進んでいる。
親はケンカばかりだし、家のなかの雰囲気は重い。
お母さんが仕事に復帰したのも、口にはしないけれど離婚を考えている可能性が高いと思っている。
私も誰かと話をするのが怖くなり、救いは小説のなかだけ。
そんな今を変えたくても、私にはなにをどうすればいいのかわからない。
「気にしてくれてありがとう。ちょっと元気が出たよ」
暗くなりそうな気持ちを奮い起こす私に、優太はニヤリと笑う。
「幼なじみだからな。日葵も心配してたし」
「同じ小説ばかり読みすぎてるみたい。『パラドックスな恋』にあこがれてるなんて、子どもみたいだもんね」
スマホをバッグにしまった。
そうだよ、誰とも話さないゲームをしているわけじゃないんだし、学校では普通な私を演じなくちゃ。
自分に言い聞かせていると「え?」と優太の戸惑うような声が聞こえた。
見ると眉をひそめ首をかしげている。
「パラ……パラドックスってなに?」
からかっているのかと思ったけれど、これも長年のつき合いだからわかる。
本当にわからないときに見せる表情を浮かべている。
でも、昨日は優太のほうから小説のタイトルを言ってきたはず。
「小説投稿サイトに載ってる『パラドックスな恋』っていう作品のこと。昨日、優太も自分で言ってたよ」
自分で言っておいて忘れるなんてことある?
けれど優太は理解できないようにますます眉間のシワを深くしている。
「ごめん。なんだかわかんないや」
「あ……じゃあいい」
しりすぼみの会話が恥ずかしくなり、私も机に視線を落とした。
ふいに教室の空気が変わった気がして前の扉に目をやると、大雅が入って来るところだった。
ああ、やっぱり想像していたとおりの顔だ。
涼し気な顔に似合う髪は、歩くたびにさらさら揺れている。
クラスメイトとさわやかに挨拶を交わしながら大雅は、なぜかまっすぐにこっちに向かってくる。
ざわっと胸が音を立てるのがわかった。
私と優太の席の間に立つと、大雅はやわらかい瞳で私を見た。
「おはよう。昨日は話せなかったね」
私に向かって言っているのはわかっている。
けれど、なにも答えることができない。
今、偶然のことだって言い聞かせたところなのに、なぜ?
小説のなかの大雅が言うセリフは……。
『久しぶりだね』
フリーズする私に大雅はうれしさを隠せないような顔で口を開く。
「久しぶりだね」
体がぐらんと揺れるほどの衝撃に息が吸えない。
「え、あの……」
「ユウも久しぶり」
見ると、優太は「おう」と満面の笑みで――。
やっぱり、小説のシーンと全く同じだ。
足元に置いてあるカバンに目を落とす。
このあとの展開を思い出そうとしても、頭がしびれてしまい浮かんでこない。
そう、たしか……。
優太が大雅に『変わらないな』みたいなことを言うはず。
「いやあ、まさか大雅が戻って来るなんて想像もしてなかったよ。お前、全然変わらねぇな」
優太のうれしそうな声が聞こえる。
昨日私が確認したときは、『知り合いなんかじゃない』みたいなことを言っていたのに……。
「ユウだって変わってないよ。まあ、身長はかなり伸びているけど」
名前がノブからユウに変わっただけで、あとの台詞はすべて同じだ。
まるで何度もくり返し観た映画を改めて観ているみたい。
無意識に、スカートの上に置いた両手をギュッと握りしめていた。
小説の世界が再現されているとしたら、次は私に話しかけてくるはず……。
乾いた唇をなめて、さらに身を小さくした。
このまま大雅がほかのクラスメイトのところに行くことを願うけれど、視界にはまだこっちに向いている足先が映っている。
次の台詞は……『悠花はずいぶん大人っぽくなったね』だ。
「悠花はずいぶん大人っぽくなったね」
ああ、やっぱり……。
思い切って顔をあげると、大雅が私をやさしく見つめている。
主人公がドキッとするシーンが、現実に起きている。
次は私のセリフの番。
「え……っと」
本来なら『え!?』と驚くシーンなのに、戸惑った口調になってしまった。
「ひょっとして……僕のこと覚えてないの?」
さみしげな大雅に、優太が「まさか」と先回りして答えた。
「照れてるだけだよ。なんたって小学三年生以来の再会だもんな」
おかしいよ。
こんなのおかしい。
なんでみんな小説と同じ台詞を言うの?
ぐちゃぐちゃになった頭で必死に考えても余計にこんがらがっていくみたい。
「あ、ごめんなさい。私、その……トイレに行ってくるね」
しどろもどろで答えて席を立つと、早足にならないように教室のうしろの扉から出た。
ちょうど入れ違いで前の扉から入ってきた日葵が、大雅を見つけたらしく駆け寄るのが見えた。
「大雅!」
抱き着く日葵を確認してからトイレへ逃げた。
内容は第一章で大雅が転校してきた箇所だ。
冷静に考えれば、小説に出てくる人物と同姓同名の人が引っ越して来ただけだとわかる。
あまりにも作品が好きすぎて動揺しちゃったけれど、もう大丈夫。
そもそも、もし小説の展開どおりになるとしたなら、大雅はあのあと私に話しかけてきたはず。
スマホの画面をスクロールさせ、その場面を読んでみる。
□□□□□□□
下校時間になると、山本くんは真っ先に私の席へとやってきた。
「久しぶりだね」
そう言う山本くんに思わず顔をしかめる。初対面の挨拶にはあまりにもふさわしくない。
「え、あの……」
「久しぶり」
今度は隣の伸佳に同じように言う山本くん。
□□□□□□□
昨日の大雅は私とひと言も会話を交わしていない。やっぱり、単なる偶然だったんだ。
そう考えると、優太にも悪いことをしたな……。
話の途中で逃げるように帰ってしまったし。
でも、優太だって悪い。昔はもっとやさしかったのに、最近は話をすればキツイことばかり言ってくるし。
そんなことを考えていると、当の優太が教室に入ってきた。
隣の席にどすんと座ると「おっす」と挨拶をしてきた。いつもは遅刻ギリギリなのに珍しい。
「お……おはよう」
なんとかそう言ってから、小説の世界に戻る。
もう何度も読んでいるし、大雅が主人公に話しかけるシーンは地の文章まで覚えているほどだ。
ふと隣を見ると、優太が唇を尖らせて椅子をギコギコと前後に動かしていた。
「なんか……昨日は悪かったな」
最初は自分に言われているって気づかなかった。
きょとんとする私に、優太は軽くあごを引いた。
「余計なこと言ってごめん」
「え……?」
はあ、とため息をついた優太がようやく私を見た。
「最近、元気ないように見えたから気になったんだよ。なのに、ヘンな言いかたになっちゃってさ」
びっくりした。言われてみれば『なにか、あったのか?』と心配してくれていたよね。
「私こそごめん。小説の世界とごっちゃになったみたいで。寝ぼけてたのかな」
「昔から寝起きは悪かったしな」
やさしい笑みを浮かべる優太に、昨日のモヤモヤは一瞬で消えた。
逆に情けなさを感じ、
「うん」
としか答えられない。
「小学校のときの遠足で、バスが目的地に到着しても全然起きなかったもんな。あれは笑えた」
クスクス笑う優太。昔はこんな風になんでも言い合えてたよね……。
ふと優太の横顔が迷ったように曇った。
「やっぱり、あれか? もうすぐ……」
昔からの仲だから、優太がなにを言おうとしているのかがわかる。
「そうだね。あと少しで叶人の三回忌法要だから、ちょっとナイーブになってたのかも」
叶人が亡くなったのは十月二十日の早朝だった。
私が最後に彼と話してからちょうど一週間目のことだった。
「もうそんなに経ってるのか。悠花が悲しむのもわかるよ。だって叶人、いいヤツだもんな」
優太は気づいてないだろうけれど、叶人のことを今でも過去形では語らない。
やっぱりやさしい人なんだよね。
ますます自己嫌悪に陥りそう。
「あれ、三回忌法要? 二回忌法要じゃねえの?」
「去年が一周忌法要で、今年は三回忌法要なんだって」
「それってなんで?」
そう言われても私にはよくわからない。
わかっているのは叶人がもうこの世にはいないことだけ。
「おじさんとおばさん、あいかわらずなのか?」
「普段はしゃべらないけど、たまにどっちかが口を開くとケンカになってる。昨日の夕飯も静まり返ったなかで食べたよ。もう慣れたけど」
叶人が亡くなってから、いろんなことが悪い方向へ進んでいる。
親はケンカばかりだし、家のなかの雰囲気は重い。
お母さんが仕事に復帰したのも、口にはしないけれど離婚を考えている可能性が高いと思っている。
私も誰かと話をするのが怖くなり、救いは小説のなかだけ。
そんな今を変えたくても、私にはなにをどうすればいいのかわからない。
「気にしてくれてありがとう。ちょっと元気が出たよ」
暗くなりそうな気持ちを奮い起こす私に、優太はニヤリと笑う。
「幼なじみだからな。日葵も心配してたし」
「同じ小説ばかり読みすぎてるみたい。『パラドックスな恋』にあこがれてるなんて、子どもみたいだもんね」
スマホをバッグにしまった。
そうだよ、誰とも話さないゲームをしているわけじゃないんだし、学校では普通な私を演じなくちゃ。
自分に言い聞かせていると「え?」と優太の戸惑うような声が聞こえた。
見ると眉をひそめ首をかしげている。
「パラ……パラドックスってなに?」
からかっているのかと思ったけれど、これも長年のつき合いだからわかる。
本当にわからないときに見せる表情を浮かべている。
でも、昨日は優太のほうから小説のタイトルを言ってきたはず。
「小説投稿サイトに載ってる『パラドックスな恋』っていう作品のこと。昨日、優太も自分で言ってたよ」
自分で言っておいて忘れるなんてことある?
けれど優太は理解できないようにますます眉間のシワを深くしている。
「ごめん。なんだかわかんないや」
「あ……じゃあいい」
しりすぼみの会話が恥ずかしくなり、私も机に視線を落とした。
ふいに教室の空気が変わった気がして前の扉に目をやると、大雅が入って来るところだった。
ああ、やっぱり想像していたとおりの顔だ。
涼し気な顔に似合う髪は、歩くたびにさらさら揺れている。
クラスメイトとさわやかに挨拶を交わしながら大雅は、なぜかまっすぐにこっちに向かってくる。
ざわっと胸が音を立てるのがわかった。
私と優太の席の間に立つと、大雅はやわらかい瞳で私を見た。
「おはよう。昨日は話せなかったね」
私に向かって言っているのはわかっている。
けれど、なにも答えることができない。
今、偶然のことだって言い聞かせたところなのに、なぜ?
小説のなかの大雅が言うセリフは……。
『久しぶりだね』
フリーズする私に大雅はうれしさを隠せないような顔で口を開く。
「久しぶりだね」
体がぐらんと揺れるほどの衝撃に息が吸えない。
「え、あの……」
「ユウも久しぶり」
見ると、優太は「おう」と満面の笑みで――。
やっぱり、小説のシーンと全く同じだ。
足元に置いてあるカバンに目を落とす。
このあとの展開を思い出そうとしても、頭がしびれてしまい浮かんでこない。
そう、たしか……。
優太が大雅に『変わらないな』みたいなことを言うはず。
「いやあ、まさか大雅が戻って来るなんて想像もしてなかったよ。お前、全然変わらねぇな」
優太のうれしそうな声が聞こえる。
昨日私が確認したときは、『知り合いなんかじゃない』みたいなことを言っていたのに……。
「ユウだって変わってないよ。まあ、身長はかなり伸びているけど」
名前がノブからユウに変わっただけで、あとの台詞はすべて同じだ。
まるで何度もくり返し観た映画を改めて観ているみたい。
無意識に、スカートの上に置いた両手をギュッと握りしめていた。
小説の世界が再現されているとしたら、次は私に話しかけてくるはず……。
乾いた唇をなめて、さらに身を小さくした。
このまま大雅がほかのクラスメイトのところに行くことを願うけれど、視界にはまだこっちに向いている足先が映っている。
次の台詞は……『悠花はずいぶん大人っぽくなったね』だ。
「悠花はずいぶん大人っぽくなったね」
ああ、やっぱり……。
思い切って顔をあげると、大雅が私をやさしく見つめている。
主人公がドキッとするシーンが、現実に起きている。
次は私のセリフの番。
「え……っと」
本来なら『え!?』と驚くシーンなのに、戸惑った口調になってしまった。
「ひょっとして……僕のこと覚えてないの?」
さみしげな大雅に、優太が「まさか」と先回りして答えた。
「照れてるだけだよ。なんたって小学三年生以来の再会だもんな」
おかしいよ。
こんなのおかしい。
なんでみんな小説と同じ台詞を言うの?
ぐちゃぐちゃになった頭で必死に考えても余計にこんがらがっていくみたい。
「あ、ごめんなさい。私、その……トイレに行ってくるね」
しどろもどろで答えて席を立つと、早足にならないように教室のうしろの扉から出た。
ちょうど入れ違いで前の扉から入ってきた日葵が、大雅を見つけたらしく駆け寄るのが見えた。
「大雅!」
抱き着く日葵を確認してからトイレへ逃げた。