ギイと椅子を引く音に右を見ると、優太が席につくところだった。
 昔は私よりも背が低かったのに、今では百七十六センチもあるそうだ。
 部活はバスケ部で、これは小説でいうところの『伸佳』と同じ。

 私が『パラドックスな恋』が好きでたまらないのは、取り巻く環境がなんとなく似ているからだ。
 特に、主人公の悠花が私と同じ名前であること、幼なじみふたりが同じクラスなこと、高校二年生になったこと。
 この三点により作品愛がさらに深まっている。
 さらに今日が第一章と同じ二学期最初の日なんて、まさしく小説世界そのもの。

 ふと、優太が横目でこっちを見ていることに気づいた。

 校則に引っかからないように少しずつ茶色く染めている髪は、寝グセがついている。
 前髪はサラサラとしていて油気がなく、鋭角の眉が間から主張している。

「つまんなそうな顔してんな」
「……え?」

 夏休み明けで久しぶりに会ったというのに第一声がそれなの?

「見たまんまを言っただけ。つまらなさそうな顔をしてる」

 もう一度言うと、優太は大きなあくびをした。

「そんなことないよ」
「あ、そう」

 私になんてもう興味がないように、優太は通学バッグから教科書を取り出している。
 私もまたスマホに目を落とす。

 昔はなんでもしゃべれたのに、だんだんと私たちの距離は離れている。
 日葵との距離だって同じだ。
 小説のことしか話さない私のこと、きっと呆れているんだろうな……。
 いつからか、私たちの関係は変わってしまった。
 ううん、先に変わったのは私のほうかもしれない。
 水面に石を投げ入れたときに立つ波紋のように、私の変化がふたりに広がっているとしたら少し責任を感じてしまう。
 だからといって、自分を変えることなんてできない。
 変えたいけれど、どうやっていいのかわからないから。

 教室はまるで金魚鉢。狭い空間で酸素を求める私は金魚。

 ――やめよう。

 二学期がはじまる今日という日に、暗い気持ちで過ごしたくはない。

 チャイムが鳴ったあとすぐ、体育館に集まるようにと放送が入った。
 現実世界では、オンライン始業式はない。
 何年も世間を騒がせたコロナも、治療薬が認可されたおかげで規制はずいぶん緩まっている。
 マスクをすることが標準だった時期はラクだった。
 お互いの顔がよく見えなかったし、必要以上に話をしないことがいいこととされていたから。

 体育館へ向かう長い列、だるそうな声、渡り廊下の湿った風。
 なにもかもが心におもりのように圧しかかる。

 いつから私は『今』を楽しめなくなったのだろう。

 小説のなかにいる悠花がうらやましい。
 この色落ちしている世界は、なんてつまらなくて悲しくて、苦しいんだろう。