闇夜姫に恋を囁く


「えぇ、そうです」

先ほどまで女子大生らしい明るさを持っていたとは思えないほどに、そこにいる娘は優しげな声で答えた。

世依の真上にある外灯は未だに付かず、周囲の外灯からぼんやり世依の足下だけを照らしている。

「期待外れだったでしょう」

宏弥が黙ったままなので、世依がそう言うと宏弥は首を振った。

「いえ、世依さんなんだろうなとは思っていました」

「いつからですか?」

「違和感はかなり前からです。
決定的だったのは、世依さんが恋をしたいと話したときでした」

世依には予想外の答えを聞きその目には動揺が浮かぶ。
何故そこに結びつくのか世依にはわからない。

「試しに影武者であろう西園寺さんにも尋ねてみたのですが、彼女は海外旅行がしたいと言いました。

闇夜姫の本来の役目を考えれば、恋愛という世界から遠ざけられてしまう、その方がしっくりきたんです。
正直これだけ長く研究してきて、闇夜姫もただの少女だったという視点は自分が思うよりも抜けていました。
考えてはいたのですが、世依さんに言われて目が覚めたんですよ。
そういう普通の女の子が経験することを、経験できない立場に置かれているのだと」

世依は黙って宏弥の目を見ながら聞いていた。
宏弥も話ながら世依を見つめる。
世依は宏弥の言葉を聞いて、目を伏せた。

「それで、我々をどうしたいのでしょうか、朝日奈先生」

世依の言葉には何も揺らぎが無い。
悲しみも、寂しさも、動揺も無い。
ただ淡々と尋ねているだけ。

世依もわかっていた。
彼が自分の名前を呼んでいることを。
だけど自分は闇夜姫として彼に聞かなければならない。

宏弥も今目の前にいる彼女があくまで闇夜姫としての立場で居るのはわかっている。

宵闇師達の不安、そして闇夜姫の不安。
全ては自分に対する疑念だ。

自分の追い求めているモノ、いやその人が目の前にいる。
だが、しばしでも一緒に過ごした日々は宏弥の心情を動かしてしまった。

『理事長はこれを狙っていたのかどうか』

世依と宏弥の立っている距離は、お互い手を伸ばせばなんとか指先が触れるか触れないかの距離。
そこに深い溝が出来るのか、橋を渡せるのか、全ては自分次第だと宏弥は理解していた。

「恐らく理事長から聞いているでしょうが、僕はずっと闇夜姫を研究し、それをまとめて発表することが目標です。
斎王とは違い、今も現実に存在するのに公に出来ない存在。
その人達の事を多くの人に知って欲しい。
宵闇師の方々には迷惑な話のようですが」

世依はただ聞いている。
未だに境内には二人以外誰もいない。
誰も入れないよう結界でも張られているかのようにとても静かに思えた。

「世依さんは言いましたね、闇夜姫に会ったら何を聞きたいか、何をしたいかを」

宏弥は一歩足を進める。
世依はすぐ側に宏弥が来ても動かない。
ただ宏弥を見上げる。

急に宏弥がしゃがみ、世依も釣られて視線を下に向ける。
そこには片膝を突いて、世依を見上げている宏弥がいた。

「僕は世依さんの願う幸せな恋をすることを邪魔したりはしません。
貴女は貴女だ。どんなものを背負っていても。
それは隆智くんも同じ。

世依さん、今しばらく研究することは許してもらえませんか?
職を今すぐ失ってしまうのは流石に困ってしまうので」

その言葉に世依は顔に出さないものの驚いていた。
自分が研究することを自分に許しを請うなどとは想像していなかったからだ。

実際こちらの秘密を握っているのは宏弥。
当分目を瞑れと、こちらに強気で言ってくるのかと思っていた。
反面、そう言われてしまうのが怖いとも思っていたのだ。
優しい彼なら、自分の気持ちを踏み荒らしたりしないと。
それだけ世依によって、宏弥の存在は大きくなってしまっていた。

世依は口元を緩め、

「先生を無職に追い込むなど私も望んでいません」

そう答えた世依の目は優しい。

「世依さん、闇夜姫として一つ聞いても良いですか?」

世依は小さく頷く。

「闇夜姫を辞めたいと思った事は無いのですか?」

ずっと宏弥の心に引っかかっていた謎だ。

古代ならわかる。
斎王だって朝廷の力を支えるため否応なしに伊勢へと送られた。
伊勢に行かせたくないために賀茂神社に斎王として置いたことがあるほど。
だが斎王という存在はあまりにも短い期間で終焉を迎える。

それがそれに対を為すような闇夜姫だけ現在にも存在する。
この女性にも自由のある現代ではあまりにも苦痛な役目であるはず。

世依は少しだけ顔を上げ、薄暗い木々に視線を向ける。
そして再度宏弥に顔を向けた。