「美味しかった!あの犬には最後まで触れなかったのは残念」

「また機会があればチャレンジすれば良いですよ」

店を出て歩道を二人並んで歩く。
この時期にしてはさほど寒くなくて、食事を終えて歩くには冷気が心地良い。

世依が店を出る前にトイレに行って帰ってくると、宏弥が会計を済ませてしまっていた。
驚いた世依が財布を開くが、それを宏弥が手で覆って鞄にしまうように言い、世依は渋々従った。

「私が奢るって言ったのに」

「では今度何か奢って下さい」

「何食べたい?」

今度、という宏弥の言葉に世依の声が知らずに明るくなる。
歩いて信号にぶつかった。
そこは穴八幡宮の前の交差点。
宏弥は指を指して、

「気になってたんですよね、あの鯛焼き屋」

穴八幡宮の信号を挟んで対面にある鯛焼き屋には、もう夜八時近いというのに人が並んでいる。
寒いせいもあって温かな鯛焼き屋はとても人気のようだ。

「今から買いに行く?」

「今はお腹がいっぱいですので。
世依さんは食べたいですか?」

「ドルチェも食べたしお腹いっぱい。
じゃぁ今度奢るね。

ねぇ、せっかくだし穴八幡宮にお参りしていこうよ。
今なら空いてるよ」

「良いですね。行きましょうか」

信号は青。
二人は信号を渡り、穴八幡宮の大きな鳥居をくぐった。
目の前の階段をゆったり上がり出す。

「そういえばこれ知ってる?
鯛焼きには天然ものと養殖ものがあるんだよ」

急ななぞなぞに宏弥は真面目に考える。

「養殖は例えば冷凍品を温めるだけとか?」

真面目な顔で答えた宏弥に、世依は嬉しそうな顔をする。

「不正解!
正解は、焼く個数。
養殖ものはたこ焼きみたいに一気に大量に焼くヤツで、天然ものは一つずつ型で焼くの」

自慢げに話す世依に、宏弥の口元が上がる。

「なるほど。勉強になります」

そうでしょう、と嬉しそうに話す世依を見ているのに、ふと過ってしまう。
彼女のもう一つの顔が。


階段を昇りきり、奥に進むと一人だけ年配の女性とすれ違っただけ。
あの夏の日の活気など嘘のようにここは静かだ。

二人で拝殿まで行き、さい銭を入れて手を合わせる。
形だけで済ませた宏弥より、世依の方が先に顔を上げていて宏弥は意外に思った。
こういうのは女性の方が必死に神頼みするイメージを持っていたからだ。

「早いんですね」

宏弥は思わず言葉にしてしまった。
きょとんとした世依の表情が、寂しげな物に変化する。

「頼むことがシンプルだから」

そう言って背を向けると砂利の上を世依が歩き出す。

夜の境内は治安を考えてそれなりの外灯が付いている。
二人以内誰もいないここには、下の道から聞こえる車の音よりも、世依が砂利を踏みしめる音の方が大きく宏弥には聞こえた。

「世依さん」

明るい電灯の下を歩いていた世依が立ち止まる。

宏弥はもう黙っていることが出来なかった。
もっと自分は我慢が出来て、いやもっと冷めている人間だと思っていたのに。

「世依さん、貴女は、闇夜姫、ですね?」

ゆっくりと、むしろ自分を落ち着かせるかのように宏弥は問いかけた。

急に世依の頭上を照らしていた外灯が、ジジッと音を立て瞬く。
そしてぷつりと灯りが消えた。

世依の身体を照らしていた灯りが消え、世依はゆっくりと振り返る。
どんな表情を見せるのか。
泣いてしまうのか、怒ってしまうのか。

だが宏弥に向き合った娘の表情は、菩薩のように穏やかな笑みを浮かべていた。