宏弥が風呂から上がってくるとリビングからテレビの音がする。
ドアを開けてソファーを見れば、世依がスマホを弄っていたが宏弥に気が付いた。

家の中なので宏弥は眼鏡も無いし、邪魔な前髪はいつも通り横に分けてヘアピンで留めてある。

「なんか飲み物用意しようか?」

「いえ。僕が用意します」

宏弥はキッチンに行き、各自に割り当てられている引き出しを開ける。
そこから先日購入したばかりの茶葉をティーポットに入れ、時間をおいてから二つのマグカップに注ぐ。
世依のは外側が花柄の可愛らしいもの、宏弥は白のシンプルなマグカップ。
それを持って行き、ソファーに座ると熱いから気をつけてと渡す。

世依はマグカップから立ち上る湯気で香りを嗅いだ後、そろりと火傷しないか気にするように一口飲んだ。

「これ、ジンジャーのハーブティー?」

薄い黄色の紅茶を宏弥も飲んで、

「カモミールとジンジャーのハーブティーだそうです。
たまたま通ったお店に女性が多くいたので、どの紅茶が人気か店員さんに聞いたらこれをお勧めされました。
寒いので寝る前に温まる物が人気だそうで」

「もしかしてわざわざ買ってきてくれた?」

世依が上目遣いで尋ねると、宏弥ははい、と答えた。

「ローズヒップティーのお返しにと」

「たいしたことないのに。でもありがとう、美味しい」

マグカップを両手で持ちながら、世依の心は違う意味で温かみを感じる。
いつもの顔を隠して猫背のまま、女性達のいるお店で買ってきたのかを想像すると面白いと感じる面と、やはり嬉しいという感情がわき上がる。

「そうだ、さっきの続き!
クビになったのによくうちの大学来られたね。なんで?」

好奇心一杯の目。
この瞳を向けられるのも今は慣れて、彼女の好奇心を少しでも満たしてあげたいと思ってしまう。

宏弥は再度、らしくない行動で買ったこの紅茶を飲んで、

「大学院卒業後、お世話になった教授の助手をしていたんです。
僕は闇夜姫という国文学の中でもマニアック中のマニアックを研究していて、それは同じ分野にいる人々からすれば異端でした。

恩師はそれを受け入れてくれ、大学時代から色々と闇夜姫を発表する場を作って下さいました。
そんな恩師が大学で助手の更新が出来ない僕を何とかしようと思ったのでしょう、知り合いであるこの大学の学長に僕の卒論やちょっとした共著の本と供に推薦してくれたんです。

そうしたら、学長が闇夜姫を聞いたことがあるという事で僕に興味を持って下さったようで。
おかげで無職にならずにここにいることが出来ています」

じっと宏弥の顔を見ていた世依が、

「そうだったんだ。
その先生と、ある意味闇夜姫に救われたんだね」

世依の表情はいつも見ている子供っぽい笑顔。

もしかして、とずっと宏弥は引っかかっている。
何故か闇夜姫と世依が繋がってしまうからだ。

どうしてなのかはわからない。
いや、考えようとするのをおそらく無意識に止めている。

もしもそんな事がわかったならば、この穏やかな日常は消えてしまうだろう。

・・・・・・この日常が偽物であったとしても。