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金曜日の夜七時少し前、宏弥はリビングのソファーに座りスマホに届いているメールをチェックしながら世依を待っていた。
浴衣を着ていくと言うことで二階の自室で着付けているはず。
女性の準備は時間のかかるものとわきまえている宏弥はのんびり待つことにした。
出張が今日の金曜から土曜夜まで出張となった隆智は、今朝宏弥に念押しをしていた。
かき氷食べたがるけど一杯までにしてとか、あの店の露店はぼったくりだから買うなとか、世依はとにかく男慣れしてないから絶対に守って欲しいと。
宏弥からすると最初から人懐っこかった世依だが、それはあくまで学長から安心安全とお墨付きをされ、隆智もいる家だから世依は安心しきっているのかもしれない。
あれだけ隆智が心配しているところを見ると、世依が心ない男に嫌な目に遭ったのかと思うと宏弥は責任重大だと思いつつ、今までなら嫌がる祭りを楽しみに思っていた。
「ごめん!」
階段を降りる音と共にドアの向こうから声がして宏弥は立ち上がりドアに向かう。
同じタイミングでドアが開き、ドアノブを握り損ねた世依が宏弥の胸に顔面ごと突っ込んだ。
「大丈夫ですか?!」
世依の腕を大きな手が掴み、ゆっくり起き上がらせる。
まさか出かける前から世依に怪我をさせたのではと、珍しく取り乱すような宏弥に笑いそうになって、世依は大丈夫と手で鼻をさすりながら顔を上げた。
顔を上げて世依の口が軽く開く。
そこには世依がいつも見慣れている顔では無い、俳優かモデルのような顔立ちの男がいた。
うっとうしい前髪はほとんどをスタイリング剤で後ろに撫でつけられていて、思い切り端正な顔を出している。
風呂上がりなど眼鏡前髪無しの宏弥をを見てきた世依だが、こんなバージョンは初めてだとじぃっと食い入るように見てしまった。
「おかしいですか」
宏弥が食い入るように自分を見る世依に声をかけると、ハッとしたように目をそらした。
「いや、おかしくないよ。これなら朝日奈先生とはバレないなと感心してた」
「それは良かったです」
少しだけ細めた目に、世依は再度目をそらす。
「似合ってますね、浴衣。とても素敵です」
胸に手を当て深呼吸でもしようかと思っていた世依は、不意打ちの攻撃に再度心臓に強く手を当て前のめりになった。
「本当に大丈夫ですか?」
「うん。慣れないことって刺激が強いなって実感してただけ」
未だに視線をこちらに向けない世依の浴衣は、地の色がかなり濃い紫でそこに大柄の白い蓮の花が描かれていた。
「この浴衣はどうしたんですか?」
「高校の時におばさんが仕立ててくれたの。
隆ちゃんは渋すぎるって言ったんだけど、おばさんにこれなら色気が出るからって」
そこまでさらさらと話し口を開けたまま固まる。
そうだ、今日はどの浴衣にしようか悩んで、これなら色っぽいと言われたのを思い出した。
大人の男性と並ぶのだから少しだけでも背伸びしたいと、年頃らしい気持ちで選んだ浴衣。
変に思われていないか世依は不安になって上目遣いで背の高い宏弥を見る。
そんな世依に宏弥は、
「世依さん、『宵闇』の色はどんな色だと思いますか」
え、と急な質問にうろたえる。
そこまで言われた単語に思わずもしや何か気付いたのかと焦ってみれば色の質問。
浴衣のまま世依は腕を組んで考えた。
「うーん、夜に近いんだからグレーとか?」
その返事に宏弥はくすりと笑う。
「『宵闇』という単語はそもそも季語なんです。
中秋の名月を過ぎた月の出る時間が遅くなる時間を指します。
僕の個人的なイメージですが、世依さんの浴衣の色そのものです。
濃い、深い紫色。
僕はとても好きです」
ふわっと宏弥の表情が柔らかくなった。
それを見て、そしてそんな言葉を聞いて世依は声も出ない。
「それにその花は蓮の花ですね。
それも白蓮華(びゃくれんげ)。
仏教に出てくる蓮の花の色は赤や黄色などがあるのですが、白の蓮の花はまさしく『純粋』、『穢れ無き心』などを意味すると言われています。
大学と同じ名前で白。
宵闇の色を純粋な白で飾った浴衣、世依さんにとても似合っていると思います」
世依はいつになく甘い言葉を自分に向ける宏弥に翻弄されていた。
おそらく単に知識を披露しただけなのだろう。
だけど全てが世依を褒めてくれる修飾語に聞こえた。
「行きましょうか。お腹も空きましたし」
世依はあまりに慣れない事を立て続けに味わい、何だかほわほわとしたような心持ちで宏弥と家を出た。