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「夏休み中実家に帰らないの?」


リビングのソファーで本を読んでいた宏弥に、チョコの入った箱を持ちながら世依が話しかけてきた。

今は夕方だが、隆智は日中仕事で外にいて買い物をして帰ってくると言って朝出て行った。
宏弥は地下の書庫に入室を許可されてからはほとんどそこにいるのだが、時間の流れがおかしくなって気が付けば夕飯に間に合う時間にセットしていたアラームに気付くのが通常の日々。

今日は疲れて早めに帰ってきたもののソファーで勉強の為の本を読んでいれば、晩ご飯を待ちきれない世依がおやつを摘まみながら隣に座る。
そして個包装のチョコを一つ、無理矢理宏弥の手に握らせた。

宏弥はありがとうございますと言ってその袋を開けて口に入れる。
ずっと頭をフル回転させていた宏弥の疲れが、たった一つのチョコで溶かされていく気がした。

「そもそも実家がありません」

チョコを味わいながら言う宏弥に世依は首をかしげる。

考えてみたら宏弥の家の状況は聞いたことが無い。
実家が無いという意味に世依が考えあぐねていると、

「僕の血縁者は一応父だけになると思うのですが、海外に行ったままどこにいるのかわかりません」

えっ?!と世依が驚いた声を出す。

「行方不明なの?!」

「いえ、仕事で行っているのでどこかにいるはずです。
死ねば会社か大使館から連絡が来るでしょう、おそらく」

特に興味も無さそうに世依に向けていた視線をまた本に戻した。

世依は宏弥の言動と態度に酷く戸惑っていた。
元々あまり感情を出さない人間ではあるが、自分の前ではだいぶ気を許してくれているように思えていた。
だが横にいるのは冷え切った感情を持つ人。

自分の親に対し『死ねば』、などという言葉を普通使うだろうか。
憎しみすら感じる言葉に言葉を失っていると、そんな驚き戸惑っている世依に気付いた宏弥はその顔を見て反省する。

彼女に悪気は何も無い。
それなのにあまりに今のは大人げの無い言い方だったろう。

「すみません、嫌な言い方をしましたね」

眉を下げた宏弥に、それでも世依は何と言えばいいのか口ごもる。

「あまり僕の家の話は面白い内容では無いので」

未だ困ったような声色の宏弥に思わず世依は宏弥の腕を掴み、宏弥は流石にぎょっとして自分の腕と世依を見る。
だが世依は見上げながら真剣な目をしていた。

「家の事情に面白いも面白くないも無いよ。
宏弥さんにとって言いたくない話題を振ったのなら謝る。
でも何か吐き出して良いのなら私はそれを聞きたい」

ぎゅっと宏弥の腕を掴む力が強くなる。
強くなったと言えど所詮力など知れていて宏弥には何も痛くは無い。
なのにそこから伝わる真剣さと、世依の熱がじんわりと宏弥の中に伝わってきた。

宏弥は読んでいた本を閉じ自分の横に置く。
世依も何かを感じ取って腕から手を放しお互いは向き合った。

「僕の母は物心ついたくらいに蒸発しました。未だに行方知れずです。
父は母に子育ては任せきりだったのでしょう、親が自分だけになっても子育てをする気のなかった父は田舎に住む自分の母親、ようは僕の祖母に預けました。

その後は定期的にお金が祖母に送られてきていたようですが、僕の住んでいた祖母の家に父は一度も来ることは無く、この歳まで会っていません。

祖母も実の息子ながら呆れかえっていたようで、でも僕の前で悪口を言うようなことはしませんでした。
ただ自分が責任を持って育てると。
祖母も自分の伴侶を亡くしたばかりで寂しかったのかも知れませんが。
おかげでグレるということも無く、こんな歳になれました」

「今、おばあさんは」

「亡くなりました、僕が大学生の頃に。
それでその家を売却したので僕の帰る場所というのは無いんです」

終始自嘲気味に話す宏弥に、世依の心は締め付けられる。

不意に悪気は無いとは言え聞いてしまった言葉で、宏弥はあまり触れられたくは無いだろうプライベートな内容を話すことになってしまった。