翌日、全ての講義を終え教室を出ると、西園寺綾乃が一人鞄を持って廊下に立っていた。
「体調はもう良いんですか?」
「はい、おかげさまで。昨日は大変にご迷惑をおかけしました。
私のせいで大切な講義を休講にさせてしまい、なんとお詫びすれば良いのか」
ただ必死に謝罪する彩也乃に宏弥は、
「西園寺さん、体調を崩すなんてことは誰にだってあります。
そんなことを気にする必要などありません。
ですがもしかしたら自分では軽いものだと思っていたことが、実際は大きな病を抱えている場合もある。
きちんと病院には行きましたか?」
宏弥の声と言葉にかなりの心配をかけたことを理解した彩也乃は観念したように事情を話す。
「実は時々眠れないんです。
病院でストレスだろうと睡眠導入剤を処方されているのですが、あまり薬に頼るのも良くないと眠れないときは諦めて本を読んだりするのですが」
最後は言いにくそうにしている彩也乃を見て、宏弥はこれ以上踏み込むのを止めた。とりあえず病院に行っているのなら後は専門家に任せるべきだ。
「そうですか。
僕は医師ではありませんのでそういうことはプロを信じることにします。
ですがまた今後も体調が悪そうなら気にせず休むこと、講義途中に具合が悪くなったらすぐに保健室へ行って下さい」
「その、先生には抱っこまでさせてしまって」
恥じらうように彩也乃が言うと、流石に宏弥が申し訳なさそうな表情になる。
「あっという間にその件が大学で広がったようで西園寺さんの方が迷惑だったでしょう、緊急とは言え失礼しました」
「いえ!ぼんやりしてましたが足が見えないように先生のジャケットを掛けて下さったとか。
それで、その、この後お時間あれば軽くご飯でも奢らせては頂けないでしょうか」
上目遣いで彩也乃が尋ねてきた。
その目から一切逸らさずに、宏弥が見つめ返す。
端から見れば男女の熱い視線が絡まっているようにしか見えない。
だが宏弥は口元を緩め、
「お気遣いは結構ですよ、教員として当然のことをしたまでです。
それに厄介になっているお家で晩ご飯を用意して貰っていまして」
彩也乃はまさか断られるとは思わず頬を赤らめて、
「そうでしたか、失礼しました。
せめてお礼としてこちらを。どうぞ皆さんで」
鞄の後ろに隠していた紙袋を宏弥の手に押しつけ、彩也乃は数歩下がり綺麗なお辞儀をする。そして柔らかい笑顔を見せた。
「先生の授業、楽しみにしていますね」
「はい。西園寺さんも気をつけて帰って下さい」
そう言って二人は別れた。
彩也乃は一人キャンパスの門に向かいながら首をかしげる。
『色々と知りたいのならこういうチャンスを使って尋ねてくるかと思ったのに。
もう少し私の様子を見たいのかしら』
もしかしたら色々話せるかもと、思ったよりも自分が楽しみにしていたことに気付いて、彩也乃は笑ってしまった。