「ありがとうございます」

いい歳をして涙声で答えれば、闇夜姫がふふ、と笑う。

「奥様の快癒を心より祈っています。
また貴方に力を貸してもらうときが来るかも知れません。その際はお願いできますか」

「もちろんでございます」

片岡は姫の気遣いを無駄にしてはならないと、精一杯笑みを浮かべてそう答えた。


闇夜姫は着替えをする部屋に戻り侍女達によって着替えを済ませ、一人用の大きな椅子に座っていた。
侍女達から着替えが終わったことを知らされた、闇夜姫の『守護者筆頭』である隆智が部屋の外から声をかけ、どうぞという声に頭を下げて入ってきた。

『守護者』とは『闇夜姫』の最側近であり、姫のプライベートを含めサポートをしている。
守護者は老若男女十数名いて『守護者筆頭』の上、全てをとりまとめるのが『守護代』。
『宵闇師』の実質的トップになる。

「ほうじ茶でございます」

隆智が座っている姫の横に片膝を突くと一杯の温かい茶を差し出し、闇夜姫は礼を言って受け取ると香りを嗅いでからゆっくりと口に含む。
姫の肩の力が抜けたのを確認し、隆智は内心ホッとした。

彼女は明日も朝早くから大学の講義が入っている。
ただでさえ疲れているのだから早く休んで欲しいと急かしたい自分の気持ちを抑え込む。

「明日もお早いでしょう」

「はい」

「後は全てこちらが行います。どうぞ姫はお帰りになってゆっくりお休みください」

空になった器を受け取った隆智は、姫に名を呼ばれて返事をする。

「あの者をどう思いますか」

急に振られた話題。
片岡の件だろうか。
それを先に知らせておいたのは隆智だが、姫に諭され先ほど本人から感謝の言葉を聞いて終わっているはず。
ならおそらく。

「朝日奈という男のことでしょうか」

えぇ、と闇夜姫が頷くと、ふわりと髪が揺れ動いた。

「父、いえ『守護代』は食えない男だと言っておりました。
あの様子だと珍しく気に入ったようでしたが、俺にはとても」

「好きでは無い?」

楽しそうな声に隆智はわかりやすく嫌そうな顔をした。

「『闇夜姫』を面白おかしく公表されたのでは今まで我々が為してきたことを潰されてしまいます。
姫の心配となるようでしたら俺が」

「大丈夫ですよ。
守護代が気に入ったところを見るとそれなりの理由があるのでしょう。
それに、私も彼に興味があるのです」

にこりとそのようなことを言った姫に、隆智は思わず目を丸くし、そして緊張した表情に変わる。
それが何を意味しているのかわかり闇夜姫は安心させるように、

「わかっていますよ。貴方が心配するような事ではありません」

「差し出がましいことを」

そう言いながら隆智が頭を下げた。

『闇夜姫』には禁忌がある。
その一つ、いや一番難しい『生娘のままでいる』ということ。

古い時代は寿命故に『闇夜姫』の任は短かった。
だが現代は長寿の時代。
一番若く美しい時期を本人の意思に関係なく背負わされた責務に費やさなければならない。

恋の一つや二つ経験し、そして恋人がいてもおかしくない大切な時期を、『闇夜姫』は一切排除しなければならなかった。
それはどれだけ残酷なことだろう。

それがわかっているから宵闇師達の忠義心も厚い。
そして守護者達は姫に無用な男から遠ざけつつも、出来るだけの自由を味あわせたい考える。