四国の南側に位置する高知県は、四国山地に囲まれた県である。晴れの日が続くことが多く、雨が降る時は一気に降り注ぐといった気候であった。水量豊富な河川が多くあり、海沿いの山地ではあるが国内有数の清流を持っている。

 囲まれた山地から海沿いに下ると少ない平地が続き、帆堀町と伊野川村が合併して新設された茉莉海市があった。旧帆堀町に新しい学校が建てられた事によって、地域の発展を促そうと都市計画を県が立ち上げたのだ。

 大型船が荷物を運搬する港を残し、防波堤から山地へと続く荒ら地を県が急ピッチで開拓。高知県の路面電車と四国電車の線がこの土地まで伸びたのは、学校を建てた男が、莫大な私財を県と市町村に投資したからだといわれている。

 区画整理がなされた新しい都市は、これまで農村地帯にはなかった多くの企業が入った。学園を中心に住宅街が広がり、大通りには、これまで都会にしかなかった店が多く集まった。

 圧倒的に飲食店が多いのは、地元住民のニーズに業者が対応したためである。パチンコやカラオケなどの娯楽は一つずつしかなく、幅広い年齢客が求める品を取り揃えたショッピングセンターが人気だった。

 荒ら地の間にぽつりぽつりとあった農家は、県の支援を得て新たな農地を与えられていた。地元産の果物や野菜は茉莉海市では安く販売され、業者や他の市町村へは右肩上がりで流れている。交通機関が整備されたことによって、物資の運搬が円滑になっているためだ。学生たちのデザインを取り入れた茉莉海市役所は、農地と町の境にあり、常に地元民と身近にあり続ける活動を積極的に行っている。


 六月の十七日、雪弥は質素なシャツとスポーツウェアの軽装で電車に乗り込んだ。途中から路面電車へと乗り換え、最後はバスに乗って茉莉海市へとやってきた。
 

 高知県警察本部のヘリポートを使えば便利だったのだが、怪しまれずに学園で潜入しなければならなかったので、彼らと接触はしなかった。学生という偽造身分を携え、車やバイク、またクレジットカードも無しにやって来たので、到着したときは午後二時を回っていた。

 雪弥が務める機関が確保していたのは、茉莉海市にまだ三件しか建っていない高層マンションだった。東京や特殊機関本部がある西大都市に比べるとやや低めだが、学園に近い住宅街に建てられたそれは、単身用の小さな間取りの部屋と一世帯用の二種類の部屋が備え付けられていた。彼が持っていた鍵は、1LDKの最上階にある部屋の物だ。

 つい先程まで誰かがいたように、最上階の部屋は換気がされていた。学園の制服が、ボリュームのある一人用ベッドに置かれている。その隣には拳銃が二丁と替え用の弾、そして隠しナイフが十本並べられてあった。

 あとは若者向けの服が埋め込み収納棚に詰められているだけで他の家具はなく、代わりに本部から送られてきた荷物がダンボールのまま置かれていた。