仲西青年はリビングの床に腰を降ろすと、早速とばかりにシェリーのトリミングに必要な一式を取り出しながら、「萬狩さん」と呼んだ。

「体調はどんな感じですか? 昼食は冷やしソーメンにしようかと思っているんですが」
「お前は俺の息子か何かなのか?」

 ここ最近の月曜日と木曜日は、いつもこのような調子だ。萬狩がこの家の主であるというのに、仲西が率先してキッチンに立っている。

 萬狩が胃腸の悪さと、現在の立場に苦悩しているそばから、仲村渠が面白がるようにこう言った。

「すっかり仲が良くなって、羨ましいねぇ。萬狩さんが父親役で、仲西君が息子役だったら、私がお爺ちゃん役でしょうかねぇ」
「想像するだけで、俺の精神の平穏が遠のきそうな構図だな」
「何を言っているのですか、萬狩さん。年寄りに暇は大敵なのですよ」

 人生の大先輩が言うのだから確かです、と仲村渠は自信たっぷりに言い切る。そして首を右方向に傾け、老人にしては活力のある茶目っ気の眼差しを萬狩に向けた。

「ところで、ピアノの方はどうですか?」
「この人も結構な頻度で、話が飛ぶんだよな……」

 その点に関しては、仲西青年と仲村渠老人と同類である。

 萬狩は、口の中で苦々しくぼやいた。腹の中で複雑に思いつつも「まぁまぁだ」と答えた際、仲西がシェリーを抱き寄せて「可愛いかわいい」とやっているのが目についた。

「……練習している間、以前のように犬が逃げなくなった」
「おや、それは大きな進歩ですな」
「音の調子はなんとかなっているが、曲を奏でるってのは、思っていた以上に難しいらしい」

 自分が不器用な事を忘れていた。鍵盤を叩く位置は何度も間違えるし、楽譜から少し目を離すと、頭が真っ白になってしまうのだ。