老犬が健在の間は、土地や物件に対して変化を加える事は禁じられている。もし、その老犬が無事に天寿を全うしたならば、その時は土地と家の両方を、売るなり改築するなり自由にしていいとの事だった。

「前家主様は、我が子のようにその犬を愛していらっしゃいました。お客様の入居後も、その犬にかかる費用は全てこちらから出させて頂く事となっております。生活の中で、老犬に関わる費用が発生した場合は、こちらの方に支払いの請求をされて下さい」

 不動産で最終の契約をし終えた後、萬狩は、酒井(さかい)と名乗った弁護士の男から詳しい説明を受けた。疑い深い目を分厚い眼鏡の奥に隠したその高齢の男は、淡々と説明しながら、支払い請求先を記した用紙も萬狩に手渡した。

 どうやら、元の家主の財産は、老犬に相続されているらしい。管理をしているらしい弁護士事務所の代表である酒井は、話の最中、始終眠たげで、萬狩にはまるで関心もないといった顔をしていた。

 しかし、酒井はどこか抜け目ない眼光を宿しており、気のない振りをしつつも萬狩の反応を一つ一つ見ては、顔を僅かに顰めるような表情を浮かべたりした。何度もピンと伸ばした中指で眼鏡を眉間に押し込み、打算するようなその眼差しが、萬狩は人間としての点数を計られているようで苦手意識を覚えた。

「残った財産は、寄付される予定ですよ。ご立派だと思いませんか?」

 そこまでの情報は必要としていない萬狩は、何故それを俺に話すんだろう、と鼻白んだ。しかし、説明はきちんと聞く義務があるだろうから、反論もせず下手くそな紙芝居のような弁護士の、淡々とした棒読みの説明に長々と付き合った。