萬狩は、普段見ている正午のニュースを全く聞いていなかった事に気付いた。いつもなら聞き耳を立てているというのに、今日に限っては、全く耳に入って来なかったらしい。

 自分のご飯を半分食べ進めたシェリーが、満足そうに食卓の傍で横になった。庭ではしゃぎ疲れてしまったため、一度には食べ切れないようだ。彼女は大抵、運動をした後は数回に分けて食事を食べていたから、萬狩は気にしなかった。

「ピアノ教室は、どんな感じですか?」

 食後、麦茶で喉を潤した仲西が、テーブルの上のゴミを片付けながらそう訊いた。萬狩は礼を述べつつ、「まぁ、普通だな」と答えた。

「通いやすいとは思う」
「アキ姉ちゃんは、教え上手ですからね。昔から面倒見がいいんですよ」

 萬狩は、「ふうん」と呟いた。

「俺には娘がいなかったから、よく分からんなぁ」

 彼が知っている女性と言えば、芯が強い元妻だけだった。

 萬狩にとって妻が初めての女性であり、先にも後にも、他に交際経験はなかった。


        ※※※


 早朝五時半に起床し、夜は十時までには就寝する。そんな萬狩の生活の中に、日中の日課としてピアノの練習が加わり、二週間もすると馴染み始めた。

 まず、萬狩は朝一番に郵便物が届いていないか確認し、パソコンの電源を入れてメールをチェックする。八時にシェリーの朝食を用意しながら自分も軽く済ませ、花壇で可愛く咲くパンジーに水をやってから煙草を吸い、それからピアノの前に座る。

 ピアノを始めて数日間は指に違和感が残ったものの、次第にグランドピアノの鍵盤も不思議と軽く感じ始めた。練習時間の大半はグランドピアノが相手であるせいか、電子ピアノの素っ気ない軽さに違和感を覚えるほどだ。かといって彼の腕はあまり上達していなかったが、シェリーが逃げ出さない程度の音にはなっていた。