思わず、自分の後方に座っている男を肩越しに盗み見た。

 きっと彼も、不慣れながら必死なのだろう。そう共感してみると、先程、彼を笑いそうになった自分が少しだけ恥ずかしくなった。

 萬狩は、今一度、自分の姿勢を正してみた。

 姿勢が強張ったら、上手く指先も動いてくれないかもしれない。内間が弾いていた時の様子を脳裏に思い浮かべ、肩の緊張を解して、再び鍵盤の上に両手を置いてみた。パソコンと同じ要領で、指から出来るだけ力を抜く事も意識した。

 すると、ぎこちなくではあるが、当初よりも随分指先への負担が軽くなった。分からないところを丁寧に教えてくれる内間の優しい指導もあって、萬狩は、楽譜の三小節目まで進める事が出来た。

 萬狩が水分補給で一時手を休めている間も、後方の小さな丸い男は、顔に汗を浮かべながら、まだピアノに向かっていた。萬狩が口を開けてしばらく見つめていても、気付かないほど必死に鍵盤を叩いている。

 何か強い思い入れでもあるのかもしれない。いや、もしかしたら三十代前半だと思っている俺の観察眼が間違っていて、本当は、彼は現役の学生で、ピアノに関連する何かに追われているのかもしれない……

 萬狩は己れの心の平和のためにも、そう想定しておく事にした。

          ※※※

 ピアノ教室を出たのは、正午を少し過ぎた頃だった。七月の中旬、日中の日差しは突き刺すようにじわじわと強くなっていて、彼は堪らず冷房の効いた近くのスーパーへと避難し、仲西青年の分の弁当も買ってから自宅へと戻った。

 玄関の鍵を開けると、自然の風が顔をふわりと打った。

 家を出る時は冷房をかけたはずだが、どうやら仲西青年が切ってしまったらしい。最近、仲西青年は冷房機の操作方法も慣れたもので、テレビのリモコンの位置や電源も把握してしまっている。