萬狩は、まだ三回目という事もあり、当初の緊張感が抜けないまま、ぎこちなく愛想笑いを浮かべて「どうも」と会釈した。他にも何か話題を繋げた方がいいだろうかと考えて、「あの」と話を続けてみる。

「なんだか、必死そうな生徒さんがいますね。なんというか深刻――いえ、真面目に向き合っているというか……」
「三ヶ月前から通って頂いている方なんですよ」
「まさか彼にも横繋がりがあるんじゃ――うぉっほんッ――知人か何かですか?」
「いいえ、彼は紹介でもないですし、ご自身で雑誌の広告を見て来てくれたみたいなんです。名前にも覚えがないので、ここの地区の人ではないでしょうね」

 内間は「有り難いお話です」と笑顔を浮かべた。少ないが、他にもそういった生徒はいて、今後増えていくと嬉しいです、と彼女は語った。

 萬狩は相槌を打ちながら、そうだよな、偶然がそんなに重なるはずがないじゃないか、と己れの心配を払拭した。俺らしくもなく、バカな懸念をしたものだ。

「――そんな三流小説みたいな展開は、そう続かないだろう」
「え、何がですか?」

 胸中で呟いたはずが、思わず口に出てしまっていた。恐らく、老犬に話しかける事に違和感がなくなってきたせいだろう。

 萬狩は「妙な癖がついたな、くそッ」と心中で悪態をつきつつ、きょとんとしてこちらを覗き込んできた内間に「何でもないです」と慌てて言い訳した。

 復習がてら、はじめに内間にお手本を弾いてもらい、楽譜の一小節分を丁寧に教えてもらった後で、萬狩はイヤホンを耳にあて、ひどく押し心地の軽いピアノへ向き直った。

 楽譜を睨みつけながら、必死に両手を使い、ゆっくりと着実にメロディーを踏んでいった。しかし、そこで萬狩は、自分もどことなく猫背になっている事に気がついた。楽譜と手元に集中するあまり、姿勢が前のめりになってしまっているのだ。