帰りを待っていたにしては、萬狩の顔を見ても、シェリーは特に目新しい反応は見せなかった。ちっとも動く様子がない彼女に、萬狩がどうしていいか分からず頭をかくと、シェリーが不思議そうに小首を傾げて見せた。

 ふと、萬狩は唐突に「ああ、そうか」と気付いてしまった。

 もう二ヶ月になるというのにと、少し申し訳ない気持ちで苦笑する。

「ただいま」

 慣れない言葉を呟くと、シェリーが満足げに「ふわん」と答え、立ち上がって踵を返した。ここが俺の家だったな、と萬狩は思いながら、靴を脱いで彼女の後に続いた。

 シェリーは真っ直ぐリビングへと進むと、自分のご飯皿置き場の前で腰を降ろした。萬狩は「全く、賢い犬だな」と顰め面で呟いて、間食分のご飯を用意してやった。

 彼女が食べている間に、萬狩は、留守にしていた間のトイレシートを交換した。縁側の窓を開けた時、自分が数時間も煙草を吸っていなかった事を遅れて思い出し、テラス席に腰かけて火をつけた。

 その時、萬狩はライターを操作する手に、若干の違和感を覚えた。

 ピアノの練習を、どうも頑張りすぎたらしい。初めて草むしりを長時間行った時のように、手先のほとんどが強張ってしまっていた。

「指も、筋肉痛になったりするのだろうか」

 煙草を吹かしながら、萬狩は、自分の右手をぼんやりと眺めた。

 電子ピアノの鍵盤は驚くほど軽かったが、あのグランドピアノで弾けるようにならないといけないのだ。もし、グランドピアノで練習したのならば、もっとひどい強張りが現れる事だろうと予測された。

 誰かに約束をしているわけでもないのに、早く弾けるようにならなければ、と焦燥に似たものも感じていた。

 多分、新しい事に興味が向いているせいだろう、と萬狩は仕事に熱中した若い日々を思い返した。もとより自分は堪え性がなかったし、目標は早々に達成するのが常だった。