ピアノの鍵盤は、想像していた以上に指に重く感じた。これを流れるように素早く叩いているピアニストは、どれほど凄いのかと考えてしまう。

 そういえば、下の息子が中学生の頃、校内合掌コンクールでピアノの伴奏を務めていた事を萬狩は思い出した。今思えば、なんでも出来る子供達だったと思う。

 どちらの息子も、特に手も掛からず進学校へ進み、大学受験も失敗しなかった。長男は経済学を学び、次男は法律を学んで巣立っていった。けれど、もしかしたら、それは萬狩が知らないだけで、妻は彼らの教育に苦労した面もあるのかもしれない。

 離婚を突き付けられたあの日、相変わらず隙なく着飾った妻は若々しく、刺々しいほどの気品をまとっていた。昔は可愛らしい娘であったような気がするが、子供を産んでから顔付きも変わったのではないかと疑いたくなる。

「そういえば、あいつはピアノを触っていた事があったな」

 彼と妻が出会ったのは、会社の事務所が大きい場所へと移ったすぐ後だった。パート・タイムを希望していた彼女は、いつか化粧品店を出すために勉強をしているのだと面接時に明かし、専門学校の夜間部にも籍を置いて、複数の通信教育も受けていた時期だった。

 飛び抜けて美しいというわけでもなかったが、小奇麗にしていた事もあり、それなりには目を惹くような女だった。指の動きがどことなくキレイで、二人になった機会に尋ねた時に、大学当時までは茶道や舞踊、ピアノや合唱と幅広くやっていたのだと知った。

 もしかしたら次男の方は、彼女にピアノを指導してもらったのかもしれない。萬狩が知らないところで、萬狩のいない時に、なんらかのやりとりが行われていたのだろう。