萬狩がそんな事を考えていると、仲村渠老人が「そういえば」と思い出したように掌に拳を落とした。

「あなたは、ピアノはお弾きにならない?」
「ピアノ? いや、弾いた事もないな……」

 萬狩は、契約の際にシェリーが健在の間は捨てるな、としかいわれていないグランドピアノを思い起こした。

 音楽や楽器関係の知識はないので、正確な価値については分からないが、グランドピアノなので、安くないだろうとは理解している。だから小まめに清掃はしており、埃は被っていなかった。

 もしかしたら、彼はピアノが弾ける人間なのかもしれない。客人に見せても見苦しくない状態であるので、萬狩は「触っていきますか」と尋ねてみた。

 すると、仲村渠が首を横に振って「私もダメなの」と言った。

「ただ、勿体ないなぁとは思いましてね。サチエさんが他界する直前まで、調律師が来て、きちんと管理されていたピアノでしてねぇ。私、そもそも楽譜が読めない人間なんだけど、萬狩さんはドレミも無理?」
「はぁ。ドレミぐらいなら……」
「ギターや三線、リコーダーやオカリナに興味は?」

 考えた事もなかったので、萬狩は、首を左右に振って見せた。

 老人は白衣の襟を整えると、にっこりと微笑んだ。

「時間がおありなら、ピアノをちょっとやってみてごらんなさい。実を言うとね、私の友人の娘さんで、ピアノ教室をやっている子がいるんですけど」
「なんだ、受講者を増やすよう頼まれた口か」

 そんな事か、と萬狩が察して肩の力を抜くと、仲村渠が「バレましたか」と悪びれる様子もなく笑った。