老犬は嫌がる素振りも見せず、萬狩が敷いたバスタオルの上に伏せたまま、大人しくドライヤーの熱風を受けていた。

 酷く疲労したようで、老犬はぐったりとして動かなかった。萬狩としても、まさかこの犬が、あんなに速く走り、玄関から外へしなやかにジャンプするなど考えてもいなかったから、戸惑いは続いていた。

 仲村渠が駆け付けたのは、それからしばらくが経った頃だった。やってきた彼は老犬を見るなり、「おやおや、無理をしたんだねぇ」と目と言葉で彼女を労わった。手早く四肢の様子を確認して消毒を行うと、薬を塗り始める。

「サチエさんが亡くなったのが、この時期でしたからねぇ……恐らくは、勘違いしてしまったのだと思います」
「『サチエさん』……?」
「――ああ、これは失礼致しました。以前の家主様の名前なんですよ、萬狩さん。彼女は私より年上の女性でしたから」

 どこか遠い目で、仲村渠はシェリーの足の傷を見つめていた。傷薬を塗り終わると、皺だらけの細い手で老犬の頭を優しく撫でながらも言葉を続ける。

「サチエさんは、救急車で運ばれて、長期入院となって、結局帰ってくる事はなかったのです。この子は、サチエさんが死んだ後も、ずっと玄関先で待ち続けていました。もう帰って来ないんだよと、私達がどんなに言い聞かせても、しばらくは分かってくれなかった。……あの頃の記憶は、まだ色褪せていないのでしょうねぇ」

 老犬は撫でられる事が心地いいのか、獣医の手に頭をすり寄せた。甘えるように鼻先を寄せて、弱り切った様子で目を閉じる。

 それは、ちょっとした仕草だったが、萬狩には何だか、老犬が泣いているように見えてしまった。雨の中で中年の警察官に抑え込まれた彼女の寂しげな声が、まるでこの世の終わりと絶望に嘆くようだったと思った。