「大丈夫だから、落ち着きなさい」

 大丈夫だから、と警察官は優しく訴えるように、何度もそう告げた。徐々に落ち着き出した老犬に合わせて、彼は、自分の声量も落としていく。

 シェリーは次第に力を失くし、最後は懇願するように「クゥーン、クゥーン」と啜り泣きのような、細く長い声を上げた。老いた四肢で砂利を思い切り蹴ったせいだろうか。老犬の足からは血が滲み出ていた。

 萬狩は、大きく逞しい番犬が急速に老いてしまうような、奇妙な衝撃からしばらく立ち直れなかった。激しい雨に全身を打たれながら、シェリーがぐったりと動かなくなる様子に、しばし言葉を失っていた。

 中年の警察官が彼女を持ち上げようとする様子に気付いて、萬狩は我に帰り、慌ててそれを手伝った。転んでしまっていた若い警察官もやって来て、雨に濡れた老犬を、三人がかりで家の中へと運びこんだ。

「犬を興奮させてしまったみたいで、申し訳ない」

 シェリーをリビングに運び、一通り彼女の濡れた身体をタオルで拭った後、中年の警察官が残りを後輩に任せ、恐縮しきった様子で何度も謝ってきた。

「いや、そんなに頭を下げんで下さい。普段は大人しい犬なんです。私にも、何がなんだか……」

 互いに頭から濡れてしまっていたので、萬狩は、自分の分のタオルを確保しつつ、二人の警察官にも「これを使って下さい」と手渡した。

 若い警察官が老犬の身体を拭っている間に、萬狩は電話帳を広げ、そこに記してある仲村渠獣医の店の番号に電話を掛けた。電話に出たのは野太い若い声の男で、彼は萬狩の話を一通り訊くと、「すぐに先生を向かわせます」と告げて電話を切った。

 先程まで稼働していた冷房機は、シェリーを運び込んだ時点で止めていた。謝罪する警察官に「大丈夫ですから」といって帰ってもらった後、萬狩は、ドライヤーで老犬の身体を乾かしに掛かった。