萬狩は、大型犬に顔を舐めまわされている女優が何だか気の毒にも思えたが、そう言えば、犬とはそういうものであったとも思い起こされた。

 息子達がまだ小さかった頃、友人から短い間預かって面倒を見ていた柴犬が、確かああいう風であったはずだ。萬狩は何度か「舐めるな馬鹿犬ッ」と叱り付けた事も思い出した。
 
 その時、玄関の呼び鈴がけたたましく鳴り響いて、萬狩は飛び上がった。

 外の雨はいよいよ勢いを増しており、まさに嵐だ。

 ゲリラ豪雨の中で、唐突に予定もない訪問というのも心臓に悪い。萬狩は友人もいない土地に一人で移住しており、尚且つここは山の上の一軒家だ。隣近所の家は存在していないし、だから月曜日の他は決まった訪問者はないはずだった。

 シェリーが顔を上げて、真っ直ぐ耳を立てた。萬狩は初めて、老犬が緊張した雰囲気を発している様子に気付いた。そうしている間にも、玄関の呼び鈴を鳴らした人物が、続けて何事かを言いながらドンドンと玄関を叩き始める。

 強盗とか、そういうものじゃないよな……?

 以前住んでいたマンションや一軒家に比べて、防犯機能がほとんどないに等しい家だ。萬狩は、最近読んだ海外のサスペンス小説を思い出して、ゴクリと唾を飲んだ。

 そっと覗き穴から確認すると、それは、レインコートをかぶった二人の警察官だった。萬狩は「やれやれ」と安堵の息を吐き、玄関を開けた。

「一体何事かね?」
「こちらに新しく住まわれている萬狩様――でよろしかったでしょうか?」
「ああ、そうだが」
「フィリピン沖で台風が発生しており、進路によっては強い影響で酷い雨が続く可能性があります。その場合には、土砂崩れ等の危険が発生する場合もありますので、警報が出た場合は、こちらに避難して頂きますようお願いします」

 五十代手前と思われる警察官が、レインコートの下から知らせの用紙を取り出した。