仲村渠には、電話で「しばらく一人になりたい」と話していたから、彼から連絡がいっているだろう仲西や、古賀からの連絡や訪問はなかった。

 正午前にやって来たのは、ブラックスーツを身に付けた高齢の男で、それは、入居の手続きの際に会った弁護士の酒井だった。

 萬狩が玄関先で出迎えると、酒井は、僅かに顔を顰めるような表情を浮かべたものの「このたびは――」と、ありきたりな台詞を口にした。彼は、萬狩の目の腫れをチラリと見やったが、すぐに事務的な説明を始める。

 契約完了の書類は、後日に弁護士事務所の方から届けられるらしい。

 萬狩は、ほとんど耳に入って来なかった。早く一人にしてくれないかという眼差しで見つめていると、不意に酒井が、庭先の花壇へと目を止めて口をつぐんだ。

「……一つだけ」
「はい?」

 萬狩が聞こえなかった事を伝えると、酒井弁護士が、改めて彼の方へと視線を向け、ぽつりと口の中で言った。

「一つだけであれば、遺品として受け取れます。あの首輪は彼女のものではありませんし、今なら火葬に間に合います」
「……いいえ、必要ありません。一緒に燃やしてやって下さい」

 萬狩は、本心からそう答えた。いつの間にか、萬狩の買ってきた首輪をつけている事が普通になったシェリーの、元気だった頃の姿が脳裏に浮かんで、消えていった。

 その時、萬狩は、自分のポケットに入っていたクッキーを思い出した。まだ、キッチンの棚の中にも残っていたはずだ。

「もし、一つだけお願いが出来るというのなら、このクッキーを一緒に燃やしてもらえませんか。とても気に入って食べてくれていたものです」

 萬狩がそう言って手渡すと、酒井は、また眉を潜めた。