谷川は萬狩の鬱憤を、紳士的な微笑みを浮かべて聞き入り、時折深い共感さえ見せるような相槌を打って、話の先を促した。

「権利までは取られなかったのだから、良しとしようじゃないか。あのマンションの最上階だって、都内では一番人気だろう? 君の方は毎月の収入も安定しているし、今はほとんど何もしなくていいお役職だ。誰もが君を羨むよ」

 谷川は、まるでノルウェイの澄んだ湖を見つめるかのような眼差しでそう言い、珈琲カップを見降ろした。多くの人間から言わせれば美麗な顔立ちをしている谷川は、萬狩とほぼ同年代とは思えないほど若々しい容貌をしている。

 萬狩と谷川は、大学時代の先輩後輩の仲だった。谷川は世渡りの上手い男で、なぜか同じサークルにいた萬狩に積極的に話し掛けたのが、二人が交友を始めたきっかけだった。

 萬狩は大学へ入学した当時から、自分の会社を立ち上げる事を目標に掲げていた。初めは面白くそれを聞いていた谷川だったが、彼の卒業が迫った日に突然「僕を君の人生に巻き込んでくれ」と、実に陽気な口調で参加を宣言してきたのだ。

 萬狩に言わせれば、谷川は変わった男だった。売られた喧嘩は買う主義だった若き時代の萬狩は、自然と喧嘩も強くなっており、大学当時は、運動部に負けないほど体力もあった。

 上の学年に在籍していた不良全員を叩きのめした事でも怖がられ、謙遜されていた萬狩に、平気な顔で話し掛ける後輩は、谷川ぐらいのものだったのである。

 谷川は多数の才能を有し、政治家でも弁護士でも叶えられる技量を持っていたから、萬狩は、すぐに谷川の参戦を認めはしなかった。しばらくは、「ちゃんと考えろ」「俺の人生に関わったら最後、激動の日々だぞ」と忠告したが、若い谷川はちっとも耳を貸さなかった。

 不思議に思った萬狩は、大学の卒業の日「夢はないのか」と聞いた。すると谷川は、面白い事がしたいのだと答えた。

 世界中を旅して周るのもいいし、評論家も楽しそうだ。ずっと、楽しく情熱を注ぎこめる何かを探していたのだと、谷川は主席とは思えないほどお洒落に決め込んだ恰好で、そう陽気に語った。

 当時、萬狩は「大変なだけだぞ」と最後にもきちんと忠告してやったのだが、谷川は平気な顔でついてきた。彼は大学在学中にも関わらず、宣言通り萬狩を助け、会社の創立から安定期に入るまで彼をサポートし続けたのだ。