あの日は、酒井が彼の妻と共に訪問した時でした、と仲村渠は、やや声量を落とした。

「サチエさんが、グランドピアノのある部屋で倒れているのを発見して、酒井が救急車を呼びました。私が駆け付けた時は、ちょうど彼女を乗せた救急車が、病院に向けて出発したところで、私は酒井夫婦と共に病院に向かったのです」

 一人身の女主人には、家族や親戚もなかった。戦争で全てを失って、ようやく巡り合えた愛しい男とも死別してしまったからだ。その男の方も、戦争で家族を失っていた身だったらしい。

「その時は大事には至りませんでしたが、しばらくは入院が必要だと医者は言いました。サチエさんは、『こんなの平気よ』と笑っていましたが、手術も出来ない身体でしたから、もしもの時の事も考えて、酒井に頼んで、生前に出来る手続きは進めていました」

 萬狩は、なんとなくその先が想像出来てしまった。どうしてか、彼女の想いまで手に取るように見えるような気がした。

「私達は彼女に頼まれた通り、彼女が戻るまでの間、シェリーちゃんの世話をしてくれる人や物を手配しました。きっと、いつものように短期入院だろうと思っていたのに、入院生活は一ヶ月、二ヶ月と続いて、……『また明日』と、私と酒井が会いにいった翌日、彼女は、あっさり一人で逝ってしまったのです」

 不動産に家を出した際、希望者の申請が続いたそうだ。まずは彼女と懇意にしていた不動産の仲村(なかむら)という、萬狩が最初に話を聞きに行った男が、説明の際に一時審査を行い、最終的には弁護士の酒井が判断を下すという流れが出来た。

 けれど、それまでの全員が駄目だったのだと、仲村渠は静かな口調で語った。