その光景が脳裏に浮かび上がり、萬狩は、当時のうんざりとするような気持ちまで思い出してしまった。

 元妻は、恐ろしいほどの行動力を持った強い女だ。冷静な顔で用済みの携帯電話を、先程まで夫だった萬狩の前で地面に落としたうえ、ヒールで踏みつけて破壊したのだ。

 冷静沈着――というより表情筋が年々硬直しているような長男は、それを静かに眺めていたし、次男は「わぁ」と呆けた顔をしていた事も、萬狩はよく覚えていた。

 料理が運ばれてきて、そこで会話は一旦途切れた。

 谷川が「美味しそうだねぇ」と合掌して箸を手に取り、萬狩は、最強の元妻とのやりとりを頭から追い出して、刺身にかける醤油を手に取った。

 店員が礼儀正しく出ていったのを見送った翔也が、料理を見降ろし「冗談ではないと思うんだけどなぁ」と、不思議そうにぼやいた。

「兄さんは、まぁ確かに無表情が通常運転みたいな人だけど、冗談は言わない人ですよ、父さん」

 萬狩は答える代わりに、刺身を口に放り込んだ。翔也は可愛らしく眉根を寄せて、それから、「いただきます」と箸を手に取った。

 離婚する二年前から、萬狩と妻は既に別居生活を送っていた。萬狩は、翔也がこんなにも落ち着いて話せる事が意外でもあったが、離れている間にも子は成長する物だと、どこか納得もしていた。

 子供達との間には、わだかまりも何もなかったとは思っている。

 萬狩は、自分が父親として何もしてこなかった事を、今となっては自覚していたから、わだかまりを作るような出来事すらなかったと知っていた。

 だからだろうか。息子を前にしても、話せるような事は何も浮かばなかった。

 萬狩が黙々と食事を進めている横で、谷川が、翔也に仕事について話を振った。翔也は、今の仕事は難しくもあるが楽しいのだと語った。