萬狩の生活は、以前住んでいた場所から遥か南に位置する沖縄へ来てからも、空が明るくなる頃から始まった。

 入居日早々に搬入させた家具は、すぐ身に馴染んだし、もともと外を出歩く人間ではなかったから、都会から離れているとはいえ、食糧を買い置きすれば過ごし易いとさえ思える家だった。

 何故なら緑の木々に囲まれたこの家は、海から届く風もあって、窓を開ければどこからでも風の出入りがあった。五月という比較的暑さも弱い季節も、ちょうど頃合いが良かったのかもしれない。

 老犬は早朝一番に一度、トイレの用事を済ませ、弁護士から手渡された『説明書の資料』に記載されている通り、朝の八時の食事の時間にはリビングへ来た。

 老犬の歩みは、一見すると優雅にも見えるゆったりとしたものだった。しかし、もしかしたら遅い足取りは、老化によるものなのかもしれない。

 ちらりとそんな事を考えて、萬狩は、それはそれで少し面倒だなと感じた。彼は自分のためにも最低限のルールは守るつもりでいるが、まるで専門としていない動物相手の介護、という身の負担は勘弁願いたく思っていた。

「俺は最低限の世話はしてやるが、それ以上に手を出す気はないぞ。いいか、しっかり自分の足で歩くんだぞ」

 契約の内容には、犬が動けるうちは必要以上の介護をしなければならない決まりはなかった。萬狩はそこまで世話を焼く気はなかったので、老いた犬が理解出来るのかは知らないが、そう声を掛けた。

 老犬――シェリーは朝食を済ませると、例の犬用寝室でもう一眠りし、正午になると網戸を前足で器用に明けて縁側に出てきた。

 萬狩が、観察ついでに煙草を吸うため縁側に出ていた時、ちょうどシェリーが芝生の上を横切って、生い茂った木々の下に行き、そこに出来た影に腰を下ろしたのだ。