広いリビングには、肌色の椅子が四席置かれた食卓と、大きなテレビを正面に置いた三人掛けソファ、ローテーブルが広々としたフロアに置かれていた。窓から差し込む光が、電話機の置かれている白い棚や、壁に設置されている空っぽの大きな棚を明るく照らし出している。

 萬狩は、生活に使用する個室についても、郵送で届いた案内書を確認しながら順に見て回った。

 寝室や書斎部屋の他、いくつもの空部屋があったが、どの部屋も大きな家具の他はなく伽藍としていた。既に収まっている大きな家具に関しては、位置を移動したり破棄したりは出来ない契約なのだが、広さは十分にあるので、これから到着する彼の家具も難なく収まるだろうと思われた。

 萬狩は、話に聞いていた『問題の寝室』に向かう前に、ピアノが一台だけぽつんと置かれた部屋に足を踏み入れた。

 そこは他の個室とは違って、扉が取り払われて常に解放されている唯一の部屋だった。他の部屋に比べてやや小さな造りで、部屋の中央に立派な黒いグランドピアノが置かれている。

 前家主は、趣味でピアノでも極めていたのだろうか。

 不動産でピアノがあるという話は聞いていたが、まさかこんな立派なものだと予想していなかったから、萬狩は呆気にとられた。

 ほとんどの私物が取り払われたこの家で、ピアノ部屋にある背の低い棚にだけ、古びた楽譜が並んで残されている光景は、音楽に精通していない萬狩には見慣れないものでもあった。

 萬狩は、酒井よりも先に説明してくれた不動産業者の男から、ここで暮らしている老犬の事を、少しだけ聞かされていた。老犬は楽譜の匂いを嗅ぎ、そばでうたた寝することもあるらしい。

 この部屋は、使う事もないだろう。萬狩はピアノを弾いた事はなかったし、他にいくつもの大きな部屋があるのだ。一人暮らしには、他にある部屋だけで十分だ。

 萬狩は、先日にも再三に言われた老犬の事を思い出しながら、最後に、彼女を寝かせてあるという寝室へ足を進めた。