十一月といっても終盤となれば、秋というよりもう冬だ。
文化祭当日の空はどんよりとしたくもり空で、山から下りてきた風がイチョウの葉を飛ばしていった。
私たちが住んでいるのは坂の街で、県立南高校はその中腹にある。二階や三階の教室からは、坂の下に広がる海が見渡せた。
私はこの景色が好きだ。世界で五本の指には入る美しさなんじゃないかと、ひっそり思っている。ノンがまた変なこと言ってるってばかにされちゃうから、誰にも言わないんだけれど。
この日文芸部の部室から見下ろした街は、いつもより薄い空気を纏っていて、冬をつれていた。じきに北側の山のてっぺんが白くなりはじめるだろう。想像するだけで胸がわくわくしてくる。
朝のもやに覆われた街に想いを馳せていると、景色にそぐわないゴミ収集車の音楽が流れてきて、雰囲気を台無しにした。
「ノン、リボン曲がってるよ」
文芸部誌を数え終えた直ちゃんが、私の制服のリボンを持ってきゅっと正した。そしてカバンからクシを取り出し、ゆっくりと私の髪を梳かしてくれる。
「オイルつけていい?」
「うん」
「結ぶ?」
「うーん、うん。後ろでくるりんぱって、してほしいな」
「オッケー」
直ちゃんの柔らかい指が、器用に私のくせっ毛をまとめあげる。直ちゃんと違ってくねくね曲がってて、染めてもないのに少し茶色い髪。
おじいちゃんに似た髪質だから、これだけはわりとお気に入りなんだけれど。でもやっぱり、直ちゃんみたいなサラサラストレートの黒髪に憧れちゃうのは事実だ。
「ノンの髪は崩れやすいから、最後にスプレーで固めるね」
「はぁーい」
普段はバレーボール部に所属している直ちゃんだが、水曜日限定で我が文芸部に助っ人にきている。去年の三年生が卒業した時に、部員が規定の五人を下回ってしまったからだ。
もちろん、この文化祭で発行した部誌にも『文武両道』というテーマのエッセイを寄稿してくれた。大したものだ。私の方は、何の変哲もない詩を三篇書いただけなんだけど。
「部誌って、ここにあるのが余り?」
「うん。朝校門のところで配って、あと二十部くらいは配布所に置いてる」
「じゃ、ライブの前に体育館前で配ろっか。午前中はお笑いライブとかしてて、人の出入り多いと思うし」
「さすが直ちゃん! アヤたちも手伝ってくれるかな~?」
「お昼奢ればしてくれるかもね」
朝から気合を入れてメイクをしていたアヤを思い出し、私たちはふふっと笑った。美羽も美羽で、アツキ先輩の真ん前の位置陣取る! なんて張り切っていたし。
私は私で朝一番に、段ボール迷路の入口の装飾をぶっ壊してしまったんだけど。男子たちが急ピッチで直してくれた。
「ノンの詩、どれも良かったよ。梅田先生も褒めてたし。特に最後の、好きだな」
「うへへ、ありがと。褒められ慣れてないから、照れるなあ」
「ノンの詩はすごいよ! 自信持って」
****
茜さす霜月の午後 校舎の壁が、やわらかなピンク色に染まる
色づいたのは木の葉か 白壁か それとも私の頬か
****
部誌をぺらりと捲って、私はまた「うへへ」と笑った。優等生の直ちゃんに褒められるなんて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「なんだか、恋してるみたいな詩」
「そう? 私、恋とかよく分からないから、想像で書いてみたんだけど。テーマ、『青春』だったし。本当の恋でも知れば、もっと上手く書けるんだろうけどなぁ」
「ノンにもそのうち現れるかもよ~? 素敵な彼が」
「現れる気がしないよぉ~、直子先輩!」
直ちゃんは私の髪を結び終えると、もう一度制服のリボンをチェックして、ブレザーの裾を正してくれた。私がやるとどうも曲がっているらしく(自分では分からないんだけれど)、いつも直ちゃんが正してくれる。
だから時々、男子に『直子はノンのお世話係』なんてからかわれるのだ。私だってもうちょっと、ちゃんとしたいと思っている。でもどう頑張ってもその『ちゃんと』が分からない。だから常にこの問題は私を悩ませた。
今日も私は自分に自信がない。
「さっ、出来た。まだ時間あるし、色々見て回ろう? 美羽の出るファッションショーもあるし」
「うん! ありがとう」
「ノンは可愛いんだからさ、午後までリボン曲げないでね」
「それはどうだろう」
私たちはふふふと笑いながら、部室を後にした。北側にある文化部棟の廊下は寒い。走り抜けるだけで、体が凍えてしまいそうだ。
「ノン、足真っ青じゃん! あったかいもの買いに行こう!」
「じゃ、ブラックコーヒーがいいな」
「もう」
直ちゃんの彼のバンド名を口にしたら、彼女は頬を真っ赤に染めた。
色づいたのは木の葉か 白壁か それとも私の頬か。私と反対で、直ちゃんはとっても暑そうだ。
恋というものはきっと、冬でも真っ赤に燃え上がるものなんだろう。
私は文化部棟の昇降口からジャンプで飛び降りながら、そんなことを思った。もちろんリボンは曲がってしまった。
文化祭当日の空はどんよりとしたくもり空で、山から下りてきた風がイチョウの葉を飛ばしていった。
私たちが住んでいるのは坂の街で、県立南高校はその中腹にある。二階や三階の教室からは、坂の下に広がる海が見渡せた。
私はこの景色が好きだ。世界で五本の指には入る美しさなんじゃないかと、ひっそり思っている。ノンがまた変なこと言ってるってばかにされちゃうから、誰にも言わないんだけれど。
この日文芸部の部室から見下ろした街は、いつもより薄い空気を纏っていて、冬をつれていた。じきに北側の山のてっぺんが白くなりはじめるだろう。想像するだけで胸がわくわくしてくる。
朝のもやに覆われた街に想いを馳せていると、景色にそぐわないゴミ収集車の音楽が流れてきて、雰囲気を台無しにした。
「ノン、リボン曲がってるよ」
文芸部誌を数え終えた直ちゃんが、私の制服のリボンを持ってきゅっと正した。そしてカバンからクシを取り出し、ゆっくりと私の髪を梳かしてくれる。
「オイルつけていい?」
「うん」
「結ぶ?」
「うーん、うん。後ろでくるりんぱって、してほしいな」
「オッケー」
直ちゃんの柔らかい指が、器用に私のくせっ毛をまとめあげる。直ちゃんと違ってくねくね曲がってて、染めてもないのに少し茶色い髪。
おじいちゃんに似た髪質だから、これだけはわりとお気に入りなんだけれど。でもやっぱり、直ちゃんみたいなサラサラストレートの黒髪に憧れちゃうのは事実だ。
「ノンの髪は崩れやすいから、最後にスプレーで固めるね」
「はぁーい」
普段はバレーボール部に所属している直ちゃんだが、水曜日限定で我が文芸部に助っ人にきている。去年の三年生が卒業した時に、部員が規定の五人を下回ってしまったからだ。
もちろん、この文化祭で発行した部誌にも『文武両道』というテーマのエッセイを寄稿してくれた。大したものだ。私の方は、何の変哲もない詩を三篇書いただけなんだけど。
「部誌って、ここにあるのが余り?」
「うん。朝校門のところで配って、あと二十部くらいは配布所に置いてる」
「じゃ、ライブの前に体育館前で配ろっか。午前中はお笑いライブとかしてて、人の出入り多いと思うし」
「さすが直ちゃん! アヤたちも手伝ってくれるかな~?」
「お昼奢ればしてくれるかもね」
朝から気合を入れてメイクをしていたアヤを思い出し、私たちはふふっと笑った。美羽も美羽で、アツキ先輩の真ん前の位置陣取る! なんて張り切っていたし。
私は私で朝一番に、段ボール迷路の入口の装飾をぶっ壊してしまったんだけど。男子たちが急ピッチで直してくれた。
「ノンの詩、どれも良かったよ。梅田先生も褒めてたし。特に最後の、好きだな」
「うへへ、ありがと。褒められ慣れてないから、照れるなあ」
「ノンの詩はすごいよ! 自信持って」
****
茜さす霜月の午後 校舎の壁が、やわらかなピンク色に染まる
色づいたのは木の葉か 白壁か それとも私の頬か
****
部誌をぺらりと捲って、私はまた「うへへ」と笑った。優等生の直ちゃんに褒められるなんて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「なんだか、恋してるみたいな詩」
「そう? 私、恋とかよく分からないから、想像で書いてみたんだけど。テーマ、『青春』だったし。本当の恋でも知れば、もっと上手く書けるんだろうけどなぁ」
「ノンにもそのうち現れるかもよ~? 素敵な彼が」
「現れる気がしないよぉ~、直子先輩!」
直ちゃんは私の髪を結び終えると、もう一度制服のリボンをチェックして、ブレザーの裾を正してくれた。私がやるとどうも曲がっているらしく(自分では分からないんだけれど)、いつも直ちゃんが正してくれる。
だから時々、男子に『直子はノンのお世話係』なんてからかわれるのだ。私だってもうちょっと、ちゃんとしたいと思っている。でもどう頑張ってもその『ちゃんと』が分からない。だから常にこの問題は私を悩ませた。
今日も私は自分に自信がない。
「さっ、出来た。まだ時間あるし、色々見て回ろう? 美羽の出るファッションショーもあるし」
「うん! ありがとう」
「ノンは可愛いんだからさ、午後までリボン曲げないでね」
「それはどうだろう」
私たちはふふふと笑いながら、部室を後にした。北側にある文化部棟の廊下は寒い。走り抜けるだけで、体が凍えてしまいそうだ。
「ノン、足真っ青じゃん! あったかいもの買いに行こう!」
「じゃ、ブラックコーヒーがいいな」
「もう」
直ちゃんの彼のバンド名を口にしたら、彼女は頬を真っ赤に染めた。
色づいたのは木の葉か 白壁か それとも私の頬か。私と反対で、直ちゃんはとっても暑そうだ。
恋というものはきっと、冬でも真っ赤に燃え上がるものなんだろう。
私は文化部棟の昇降口からジャンプで飛び降りながら、そんなことを思った。もちろんリボンは曲がってしまった。