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 それからしばらく、私は細かな閊えを祓う作業を繰り返しながら父の店の手伝いやアルバイトに精を出す日々を続けていた。

 父いわく神崎家との話し合いはやや難航しているそうで、家出から二週間が経った今でも私の籍は宙に浮いたままになっているのだが、お世話になっているお寺にはすでに父から諸々の連絡がいっており費用負担の話もついているため、現状、何不自由なく生活できている。

 叔母がなぜ今になって私を引き渡さないよう抵抗しているのかそれは疑問だが、いずれにしても父は、理由はどうあれ突発して母や叔母に迷惑をかけている責任を強く感じているため、叔母には強く出られない様子だった。

 平行線を辿る話し合いを静観しているうちにあっという間に日々は過ぎていき、夏休みも中盤から終盤に差し掛かっていたある昼下がりのこと。

 父の店の手伝いを終えてバスで帰路についていると、信号待ちで停車したその数分の間に、窓の外に見知った顔を見つけた。

(あれは……陽菜?)

 そこは商業施設が建ち並んでいる大通りで、交差点を右方向にまっすぐ行くと比較的大きな駅がある。

 陽菜は見覚えのある派手な私服姿にマスクを付けて伏せ目がちに信号を渡っていて、その隣には彼女の肩を抱き寄せるようにして歩く、帽子を被った男性の後ろ姿がある。

 まさかと目を疑ったけれど何度見ても間違いない。あれは明らかに陽菜だ。

 陽菜については先日設楽先輩の話を聞いて以来ずっと気掛かりになっていて、何度か神崎家の近くまで様子を見に行ってみたりもしたけれど、さすがにドアを開ける勇気まではわかずこれといった接触がないまま今日に至っていた。

『次は成内北駅交差点前〜。お降りの方は降車ボタンをお押しください〜』

 陽菜を目で追いかけているとタイミングを合わせたように車内アナウンスが頭上に流れた。

 唇を噛む。戸惑いはあった。追いかけて行ったところでなんて声をかければいいのかわからないし、要らぬ世話だと邪険にされる可能性が高い。

 でも、あれだけお祭りで設楽先輩とのデートを楽しみにしていた陽菜が先輩以外の男と街を歩いていること、そして覇気のない顔をしていたことがどうにも気がかりで、無意識に腕が伸びて降車ボタンを押していた。


 ***


 陽菜の姿を見失わないようバスを降りる。どうやら彼女は駅方面に向かって歩いているようで、やがて二人は駅前の立体駐車場に入っていった。

 二人は一階に駐車中の黒いワゴン前で足を止めると二、三会話を交わす。程なくして車の扉が開き、待機していたと思しき人が中から顔を出した。

「やっときたー! 遅かったじゃんー。陽菜ちゃんだっけ? 早く乗りなよー」

 にこにこと胡散臭い笑みを浮かべ、気安く陽菜に向かって手を差し出した金髪男を見てぎょっとする。

(あ、あいつ……!)

 忘れもしない、山川さんと一緒にいた時に絡んできた二人組の金髪男だ!

 ――ということは。もしやと思い慌てて物陰に隠れて目を凝らすと、

「わりーわりー。なんかトイレ行きたいとかいうからさあ、コンビニ寄ってたら無駄に時間食っちまってさあ〜」

 あの語尾が間延びした喋り方……間違いない。帽子をかぶっていたせいで気づかなかったが、陽菜と肩を組んで歩いている帽子の男は、あの晩金髪男と一緒にいた坊主頭である。

(嘘でしょ……なんであいつらがこんなところに!)

 まさかの再会にぞっとしたと同時に、一気に高まる危機感。

 先日、私たちが絡まれた時もかなり強引に車でどこかへ連れ去ろうとしていた。

 しかも大きな声を上げた途端にやましさを露呈するよう慌てて逃げていったところからして、奴らが不審人物であることは間違いないだろう。

 急いであたりを見渡す。幸いなことにここは駅前ですぐ近く交番があり、人通りも多い。

 ただし交番は大通りを挟んだ反対側にあるため、お巡りさんを連れてこようとも往復している間に車に乗り込まれ、走り去られてしまう可能性の方が高かった。

 かくなるうえは……! 

 キッと顔を上げ、すぐそばにある駐車場の管理室に向かって走る。

「すみません、開けてください!」

「どうかしました?」

「友達が怪しい男たちに連れ去られそうなんです! お巡りさん呼んでください! 早く!」

「えっ⁉ わ、わかった!」

 神様との約束通り無茶をしないようまずは管理室に助けを求め、中にいたおじさんが110番通報するのを目で確認してから、急いで陽菜がいる黒いワゴン車の近くまで戻る。

 陽菜は車に乗ることを躊躇っているようだった。

 いや、躊躇というよりあれは嫌がっているのだろう。あの晩の私たちと同じで強引に車の中に引き込まれそうになっている。慌てて近くにあった三角コーンを持ち上げ、震える足に喝を入れながらまっすぐに突っ込む。

「……だからあ、大丈夫だって。俺らの馴染みの店だしー、女の子もいっぱいいるからさあ。早く行こうぜ。車ですぐのところだか――」

「えいッッッ!」

 気合のこもった掛け声とともに三角コーンを大きく振る。

 ぶんっ、と音を立てたコーンは帽子を被った男の頭に見事にスポンっとはまり、陽菜の体が男から解放された。

「ふごっ‼」

「ちょっ、なっ」

「……⁉」

 突然の急襲に慌てふためく金髪男と三角コーンをかぶった坊主頭の男。

「まっ、前が見えねえっ!」

「逃げるよ、陽菜!」

「え? つ、月乃⁉」

 驚く陽菜の腕をとり、すばやく男たちから引き剥がす。

「お、お前! あの時の……!」

 すぐさま金髪男が車から飛び降りて追いかけてこようとしたが、心の準備ができている人間とそうではない人間とでは明暗が明らかだった。

「てめぇ、あの時はよくも――」

「お巡りさんっ、助けてください! ここです、不審者はここですーー!」

「……っ!」

 大通りに向かって張り上げた声が立体駐車場の壁にぶつかって跳ね返ってくる。

 なんだなんだと振り返る大通りの通行人。半分威嚇のために上げた大声だったが、機転をきかせた管理室のおじさんがすぐ近くの交番から呼び込んでくれたのだろう、制服を着た本物のお巡りさん二人がこちらに向かって全速力で駆けつけてくる。

「げっ。マジかよ!」

「そこの男、止まりなさい!」

「む、お前は非公開捜査中の……」

「やべえ、逃げろ!」

「お、おい待てよ! 頭がはまって抜けな――」

「おっと、詳しい話は交番で聞かせてもらおうか」

 お巡りさんたちの迅速な拘束術によりあっという間に身柄が拘束されていく二人を尻目に、私は陽菜の手を握ったまま駐車場を飛び出す。

 背後で喚く二人組の男の声が聞こえた気がしたが、集まり出した野次馬の声、パトカーの音であっという間にそれも雑音の彼方にかき消されていった。