家に着いてしばらくすると、月が雲に隠れてしまった。

 「私が帰る日は晴れますかね」

 ここを出るのは、月の見える夜。

 「天候が崩れることはあまりないから心配いらないと思うが、万が一雨が降ってもちゃんと帰れるから安心しろ」

 この町に来てから何度か雨は降っていたけれど、それが長く続くことはなかった。

 何気ない会話の中で、先程までの熱が残っていた私はなんの躊躇いもなく質問した。

 「クラネスさんは、私が離れたくないと言ったらどうにかしてくれますか?」

 「叶えてやりたい気持ちもあるが……新しいエネルギー源には人間の世界とこの世界を繋ぐ力がない」

 今二つの世界は夢で繋がっているけれど、それはエネルギー源のおかげであり、人の夢に頼らなくても成り立つ町ができれば、その繋がりは必要なくなる。当然会いに行ける手段も消える。

 最後に旧エネルギー源の力を使えるのは壊した後、僅かに力が残っている数日だと言われた。
 つまり私は、満月の日までに帰らなければこの世界から出られなくなってしまう。

 「ここに残ることもできるが、この世界にいる人間の時は止まってしまう。だから最悪町が無くなってしまった場合でも、灯は一人この地を彷徨い続けることになる。俺は、そうはさせたくない」

 クラネスさんの悲し気な表情に、次の言葉が喉に詰まる。

 「そんな辛そうな顔で言わないでくださいよ。ちゃんと帰りますから、安心してください」

 明るく振る舞う自分の声が頭に響く。
 大丈夫、ちゃんと帰るから。心配かけないから。ただ少し、寂しいだけで。

 夢はいつか覚めるもの。
 ここへ来た時に決めたはずだ。今日までの出来事は、長い夢だと思えばいいと。

 「灯は生きるべき世界で、好きな奴と生きろ。俺は好きな人が幸せならそれでいい」

 それを聞いた瞬間、私の中で何かが切れた。
 その勢いのままクラネスさんに近づく。

 「私はクラネスさんじゃなきゃ嫌です」

 正面からぶつけた答えに、クラネスさんは困ったように笑っていた。

 「全く、子どもだな。俺なんかよりいい奴はいるだろ。これから色んな出会いがあるんだから、視野を広くな」

 「俺なんかって言わないでください。私はあなたがいいんです。たとえクラネスさんに別の好きな人ができても、私は一生片思いのままでいいですので」

 私はいつからこんな自分勝手な人間になっていたんだろう。言葉だけでも「はい、分かりました」と言えばいいのに。
 一生片思いなんて相手にも迷惑だ。
 そう思っていたのに、返ってきたのは予想外の言葉だった。

 「可愛いことを言ってくれるな」

 そして顔を赤らめたクラネスさんに抱きしめられた。

 「なにも一途に愛してくれとは言わない。ただ、俺の存在に縛られて新たな出会いを見落とさないでほしいだけだ」

 同じ世界で生きられる人ではないからこそ、こんな風に言ってくれているというのは分かっている。
 だけど、愛おしくて大切な存在に会えない寂しさを私は知っている。それならせめて、言葉に残しておきたい。伝えられなくなってからでは遅いから。

 「視野は広く持ちますよ。だからクラネスさんを好きでいていいですか?」

 包まれた温もりの中、顔を上げて言った。
 この記憶を忘れないように。

 「俺は嬉しいが、なぜそこまでこだわる?」

 あ……目、逸らした。
 可愛いところもあるんだ、なんて心の中で微笑みながら考えた。
 今まで誰かをこんなに好きになったことがないから、初めての恋に舞い上がっているのかもしれない。
 それでもきっと、クラネスさん以上に好きになれる人はもう現れないと思うから。こんな素敵な相手は他にいない。

 「それくらいクラネスさんのことが好きってことですよ」

 言葉にしたのはこれだけだった。
 自分でも酔いそうになるくらい甘くて、こんなことを考えているのが信じられない。
 でも素直になった途端、心も身体も軽くなった気がした。

 「そうか、灯はそんなに俺のことが好きだったのか」

 彼は嬉しそうに頷いていた。
 そうだ、クラネスさんはこういう人だった。
 私が好きを伝えたせいで、調子に乗るかもしれない。そう気づいた時にはもう遅かった。

 「そこまで言うなら、俺も灯の好きなところを教えてやろう」

 「え、あの」

 こうなると私の声は届かない。

 「まずは可愛らしい笑顔だな。それから寝顔が可愛いところ、その声で名前を呼んでくれるところ、歌声も好きだな。あとは素直に気持ちを打ち明けてくれるところ、手を引っ張ってくれるところ、真実を見ても逃げないで向き合ってくれたところ」

 「あー!もういい!」

 声を上げて続く言葉を遮った。
 この調子だといつ終わるか分からないし、何を言われるか分からない。

 「好きなのは伝わりましたから、もういいです」

 私は手で顔を隠した。
 これ以上は、さすがに恥ずかしい。

 それを見たクラネスさんは、ふっと笑って腕の力を緩めた。

 「さて、もう遅い。今日は疲れただろうから早く休めよ」

 「はい、おやすみなさい」

 肩に手をトンっと置かれ、クラネスさんは部屋を出ていってしまった。



 私は寝る支度を手早く済ませ、布団に潜った。

 「パーティー楽しかったなぁ」

  天井を見上げて今日のことを思い出していた。

 一日で一週間分の体力を使い果たした感じがする。
 パーティーの準備から動き回って、みんなと会って話ができて楽しかったな。帰りにはあんな……。

 あ、私告白されたんだ。

 忘れていたわけではない。一時的に記憶から消していただけで、ちゃんと覚えている。
 思い出すとまた体が熱くなってきた。

 眠れるわけがない。告白をされたら冷静になれるはずがない。
 思い返せば私も雰囲気に流されたとは言え、あんなことを……。

 「あー、忘れたい」

 告白された事実だけを残して後の記憶は消したい。泣いたし抱きついたし、好きとか言ってたし。あんなの私じゃない。
 幻滅されていたらどうしよう。やり直したい。今度は泣かずにちゃんと返事をするから。

 「はぁぁぁぁ」

 なぜ寝る前に思い出してしまうのか。
 それに今は、会えなくなる寂しさよりもあの距離感の恥ずかしさの方が勝っている。

 「至近距離で見たクラネスさん、普通にかっこよかった」

 背中に乗った時の頼もしさも、抱きしめられた時の温もりも、笑顔を向けてくれた時も、胸が締めつけられるほど、どうしようもなく好きだと思った。

 誰かを好きになるって、こんな感じなんだ。温かくて痛くて寂しくて優しい。思い出すだけで幸せになれる。忘れたくないもの。

 「……好き」

 鮮明な記憶を抱きしめるように、私は眠りに落ちた。