静寂の中で地面を踏む足音と、風に揺れている葉の音が聞こえる。
 しばらく無言の時間が続いていたけれど、クラネスさんが口を開いた。

 「最近俺のこと避けてただろ?」

 その言葉に鼓動が早まる。

 「……バレてました?」

 騒ぐ心臓に振り回されず、言葉を探す。

 「隠したいことがあるならもう少し上手くやれよ」

 「クラネスさんに言われたくないですよ」

 後ろから彼の表情は見えない。
 見えないのなら、言ってしまおうか……全部。

 山の中は薄暗い。もうすぐ夜になる。



 「クラネスさん。私、ずっとクラネスさんに言いたかったことがあるんです」

 「なんだ?」

 その足は止まることなく進み続ける。
 私は彼に届くように優しく言った。

 「私が怖いって言ったから、夜は会わないようにしてくれてますよね?」

 「……そんなつもりはなかったが」

 今の間は、多分図星。

 「気にしてたから、容姿を変えたんでしょ?気づいてますよ」

 「……」

 夜になると私の前には現れないようにしていると気づいた日。実はこっそりコンタクトをつけて部屋を覗いていた。

 以前私は、少女漫画に出てくるようなイケメンの吸血鬼だったらよかったのにと言った。それは本来の姿がイケメンではないというわけではなく、少し視線が冷たかったり、青白い肌に傷があったりして、普段との温度差に怖がっていたから。

 「できるだけ、今の姿と変わらないようにしてますよね」

 その日私が見たのは瞳の色が変わっただけの、いつも通りのクラネスさんだった。
 容姿を変えるものなんて、この人ならすぐに作ってしまうだろうから、私に言われた翌日にでも試していたのかもしれない。

 「どうして怖がっていいなんて言ったんですか」

 「灯を不安にさせたくなかったからだ」

 「でも気にしてたんですよね」

 「気にしていたわけではない。ただ、好きな人にとって理想の姿でありたいと思っただけだ」

 好き。
 淡々と過ぎる時間の中で、その言葉だけがふわりと浮いていた。


 私は、手をきゅっと結んだ。

 「どんな姿になっても、クラネスさんはクラネスさんです。……私が好きなことには変わりないですよ」

 「それは、どういう意味だ?」

 返ってきた言葉は先程までと変わりない調子だった。
 私は自分にも聞こえるように言った。

 「言葉通りの意味ですよ。私はクラネスさんのことが好きなんです」

 この人、私に対して抱いている感情はあるくせに、私の気持ちには気づいていなかったんだ。
 そうなると私が避けていた理由は本当に分かっていなくて……それはそれで、ちょっと申し訳ないことをしたかもしれない。



 少し間が空いた後、私は言葉を続けた。

 「クラネスさんは私のことが大切だとか、好きだとか言ってくれてますが」

 「あぁ」

 「……クラネスさんの言う好きは、恋愛感情の好きではないですよね?」

 「では恋愛の好きとはなんだ?」

 言葉だけじゃ本当はどんなことを思っているのか分からない。
 知りたい……喜びか、悲しみか、哀れみか、迷惑に思っているのか。

 「私を気遣ってくれているなら、その必要はないですよ。もう分かってるので」

 「……」

 私は軽く息を吐いた。
 これで最後だ。

 「クラネスさんの言う好きは、親が子どもに注ぐような愛情と同じですよね。小さい頃から私のことを見ていたのなら、その成長過程を見守る中で芽生えた愛情」

 声が震える。
 次の言葉が紡がれるまでが長く感じる。


 「……どうだろうな」

 「そこ曖昧にする必要あります?」

 笑い混じりに言い返した。
 その後、何も言葉は続かなかった。


 私は、いつから好きだと気づいていたんだろう。
 一緒に過ごす時間の中で距離が縮まって、彼の隣が心地良くて、見えていなかった優しさに気づいて、どうしようもなく好きだと思った。その形は不器用で繊細なものかと思えば、急に言葉にしてこちらを見つめてくるし、私から近づくと一歩引かれてしまう。

 私はクラネスさんの肩に、こつんと額をつけた。

 人生初告白だったんだけどな。
 初めから上手くいくなんて思っていなかった。唯一ありがたかったのは、彼がいつも通りに言葉を返してくれたこと。変な空気になることなく、聞き流すわけでもなく、いつもと変わらない時間の中にいられたこと。それだけで十分だった。
 これでもう、思い残すことはなにもない。