家の裏は辺り一面山だった。
 目印として洞窟への道にある木々にはロープが結ばれている。一本道で迷うことはない。
 普通の山道だけれど、急な坂もないし、不安定な階段もないから案外平気かもしれない。
 洞窟の前にはヴァイトちゃんが遊べるように花畑を作っているらしい。そこを目指して歩く。


 「はぁぁぁ」

 自然の空気を吸えば頭を空っぽにできると思っていた。
 でもなぜか私は、人気(ひとけ)のない場所に来ると考え事をしてしまうらしい。

 クラネスさん大丈夫かな。ヴァイトちゃんの扱いには慣れてそうだったけど。
 気になって無心で歩くことができない。

 私もヴァイトちゃんみたいに気持ちを言えたらいいのにな。
 素直になったとして、私は何を言うつもりなんだろう。

 「いっそこのまま、うわっ!?」

 独り言に気を取られ、その衝撃に目をつぶった。

 私は冷たい地面にうつ伏せになって倒れていた。足元には飛び出ている木の根。これに躓いたらしい。

 転ぶとか子どもじゃないんだし。こんなところを誰かに見られなくてよかった。
 ゆっくりと立ち上がり、服についた土を払う。

 「いっ……」

 歩こうと左足に力を入れた瞬間、電気が走ったような痛みに襲われた。
 転んだ時に捻ったのかな。
 一度引き返そうかと思ったけれど、こんな格好のまま手ぶらで帰ったら転んだことに気づかれる。せめて鉱石を持って帰らないと。

 私はできるだけ左足に負担がかからないように歩いた。そうすることで痛みは和らぐけれど、その分時間がかかってしまう。
 感覚的に転ぶまで半分は登れていたと思う。その後は痛みに耐えながら進むことに必死で、どれくらい歩いたかなんて考えなかった。

 それから少しして。

 「嘘でしょ……」

 目の前には木でできた階段。この上に花畑があって、洞窟がある。つまりこれを登らなければならない。

 行くしかないか。

 ここには掴まれる木や手すりはない。

 「うっ……くっ……」

 息を零しながら、崖の断面に手を添えて一段ずつ上がっていく。
 こんな階段、怪我なんてしていなければすぐに登れるのに。時間が経てば傷も悪化する、急がないと。
 そう頭では分かっていても、体は思うように動いてくれない。最後の段を登りきる頃には息が切れていた。

 「はぁ、はぁ……つい、た」

 言われた通りそこには色とりどりの花が咲いている花畑があった。とても綺麗だけれど今は景色を楽しんでいる余裕はない。
 顔を上げると数メートル先に洞窟が見えた。
 花に囲まれた道を真っ直ぐ進み、洞窟の岩壁に手をついて中を覗くと、暗闇に赤く光る石がいくつもあった。

 「これだ、深紅石(しんくうせき)

 この洞窟にしかない珍しいもの。濃い赤色をしている手のひらサイズの鉱石。
 どれも地面に転がっているため、しゃがまないと採れない。右足に重心を置き、少しずつ地面との距離を縮めた。

 「あ!」

 途中で足が滑って、座り込んでしまった。おかげで鉱石には手が届いたけれど、ここからまた立たなきゃいけない。
 来た道を戻らなければ。私は洞窟の中から花畑の向こうに見える木々をぼんやりと眺めていた。
 このペースだと三十分以上はかかってしまう。そうなると、この左足が持つか分からない。
 軽く足首に触れると、そこは熱を持って腫れていた。冷やして治るまで安静にしないと……ここが山でなければ。

 少し休もうかな。

 洞窟の中は涼しくて気持ちがいい。それに、下りるための体力を回復させたかった。

 でも、急がなきゃ。

 空はいつの間にかオレンジ色になっていた。このままでは夜になってしまう。
 私は近くの岩に手をついて立ち上がろうとした。

 「灯?」

 突然視界が陰り、顔を上げた。

 「え……」

 そこにはクラネスさんがいた。

 「どうしたんですか?」

 気が抜けていたせいか、力のない声を上げてしまった。

 「一人では心配だから、様子を見に来たんだが」

 クラネスさんは、じっとこちらを見つめていた。
 そうだ。私は今、服を汚してしゃがみ込んでいる。黙って顔を上げているだけだと怪我に気づかれてしまう。……何か言わないと。

 「洞窟の中、気持ちよかったから休憩していたんですよ。すみません」

 私は咄嗟に笑顔を作った。

 「みんな心配しているから、早く下りるぞ」

 彼は私に背を向けて歩き出した。
 今のうちに立って追いかけないと。

 岩に両手をつき、体重を預けるようにして立ち上がった。まだ痛みは引いていない。
 私は怪我に気づかれないよう、できるだけ普通に歩いた。


 花に囲まれた道の中。前を歩く背中を追いかけていたその時、ぱっと彼がこちらを振り向いた。

 「わぁっ!」

 驚いた私は、目を閉じて尻もちをついてしまった。
 芝生があったおかげでそこまで痛みは感じなかったけれど、つぶっていた目を開けた時、目の前にはクラネスさんがいた。

 「お前、怪我してるだろ」

 「えっと……」

 青色の瞳に見つめられ、目を逸らせない。

 「見せてみろ」

 腫れていた左足を見せた。
 どうなっているか見なくても分かるから、私は視線を外した。

 「どうして分かったんですか」

 クラネスさんは持っていた布を足首に巻いてくれていた。

 「歩く音だ。まぁ洞窟の中に座り込んでいる時点で怪しいとは思っていたが、隠すつもりだっただろ?だからわざと脅かした」

 ばかだな。普通に考えたら気づかれると分かるはずなのに。上手く頭が働かないせいで、余計に迷惑をかけてしまった。


 「ひとまずこれで」

 左足を固定し終わったクラネスさんは私と距離を詰めてそのまま顎を掬い、強引に視線を重ねた。

 「いいか怪我人。今から俺の言うことはなんでも聞くと約束しろ」

 その目は怒っているのか、愉んでいるのか分からない。ただ、逃げるなと言われていることだけは分かった。

 「……はい」

 私は、そう返事をすることしかできなかった。



 「乗れ」

 クラネスさんは背中に私を乗せて山を下りると言った。

 「いや、さすがにそれは……」

 「約束」

 「……」

 背中から見えない圧を感じる。
 私は、土に触れた手で彼の服を汚してしまわないように、黙って腕を回した。