家に帰った後、私は作業部屋に来ていた。
 テーブルの上にはエネルギー源の材料リストが置いてある。私がそれを見たことをクラネスさんは知っていた。恐らくシュベルトさんに聞いたのだろう。


 夕日に染る町、その空間に声を指した。
 聞きたいことがあると言った私の言葉に、クラネスさんの表情は変わらなかった。

 『帰ったら全て話す』

 全て知った気でいたけれど、私にはまだ知らないことがあるんだ。


 「このリストに書かれてあるのは事前にクロムが調べてくれた必要なもの。一番下のもの以外はな」

 「どういうことですか?」

 「最後の項目は俺が見つけて書き足したものだ」

 私の歌声はクラネスさんが見つけてきた、最も入手困難と言われていたもの。

 私がいた世界とこの世界を繋ぐ鏡を作り出してまで会いに来た。
 歌声なんていつでも手に入れることはできたはずなのに、今まで一度も歌声に関することは口にしなかった。
 私は必要な材料を集めるための交渉役。多分これは嘘だ。クラネスさんならこんなこと一人でやってのけるはず。

 「塗りつぶされたものは、必要なものですか?」

 クラネスさんに訊ねた。そんなこと分かりきっているのに。
 必要なものを書いてあるリストの中で黒く塗りつぶされていた項目。これは必要ないからではなく。

 「皆さんが、優しいからとか臆病だからと言っていたのは、クラネスさんが私の歌声を奪うことに抵抗があるからですか?」

 「そうだ」

 「……!」

 その答えは迷うことなく飛んできた。
 あまりにも素直な言葉に、一歩足を引いてしまう。
 私のことなんかで躊躇う必要ないのに。

 「どうして」

 そこに優しさなんて必要ないのに。

 「灯はただ歌えばいいだけと思っているのかもしれないが、エネルギー源に必要なのは歌の声。つまり歌声を奪えば、灯はもう二度と歌えなくなってしまう」

 「え……」

 歌えなくなる?

 「声そのものを奪うわけではないから、普段話すのに支障はないし会話もできる。ただ……灯にとって歌は、特別なものではないのか?」

 その声は胸を締つけるほど優しい。

 私にとって歌は、母親の記憶を繋ぐ大切なもの。一度は思い出したくない記憶に塗り替えてしまったけれど、本当は大好きなんだ。

 「何も言わずに持って行ってくれればよかったのに」

 ぽつりと零れる言葉。

 「この世界のことを知り、この町の者のことを知っている。そして強い願いがある人の歌声しか、エネルギー源には使えない」

 それが、私がこの世界にいなければならなかった理由。人と関わらなければならなかった理由。

 まるで道具みたいだ。それなら道具らしく心もなくなってほしかった。空っぽだったら、こんな思いもしなかった。

 どうしよう。感情が溢れて止まらない。同情なんていらない。私の声がいるなら早く持って行ってほしい。歌えなくなるのが嫌だと思うのは、私だけで十分だ。

 「何も言わずにただ歌えと言ってくれれば歌いました。この町を変えたいのは私も同じなんです!歌が歌えなくなったって、私は!」

 「俺は灯が大切だから」

 「あっ……」

 その言葉に、息が零れるだけだった。

 「大切な人を傷つけたくないし、その人にとって大事なものは奪いたくない。そう思うのはだめなのか?」

 私に優しく問いかける。
 本気だ。この人は本気で言っている。
 クラネスさんにとって私は、いつからそんな風に映っていたのだろう。
 胸が、今までとは違う痛みに襲われる。

 「なんで今そんなこと話すの……私の歌声と町の未来を天秤にかける……そんな、答えなんてすぐに決められるでしょ」

 それに対して、クラネスさんは困ったように笑った。

 「この町へ連れて来た時の灯のままだったら、なんの迷いもなく歌声を手に入れていたかもしれない。でも、色んなものに触れて、感じて考えて、前を向いて進んでいる灯を見ていると……一緒にいる時間増えた分、愛おしさが増してしまったのかもしれないな」

 ここへ最初に来た時。

 『私帰りたいんですけど』
 『これは夢です。だからここから飛び降りれば目が覚めると思います』
 『こんなよく分からない場所、さっさと出たいんですけど』

 そうやって、あからさまに拒絶する態度をとり続けていたら奪えていたのかもしれない。

 考えが変わるのを待つ?ううん。きっと彼は時間が経っても優しいままだ。引き伸ばすと今よりも困らせてしまう。
 奪いたくないと思わせてしまったのなら、私にも責任がある。それならちゃんと説得しないと。私の歌声を受け取ってもらえるように。私がここにいる役目は、初めから変わらないのだから。

 それに私にも迷いはある。自分から好きなものが消えるというは、どういうことなんだろう。本当に、消えていいものなのか。そのモヤモヤが解決しない限りは先に進めない。

 「……そんなこと言われたら歌う気なくなりました」

 顔は俯いても、言葉だけは前に届くように。痛む胸を抑え込んで言葉を続ける。

 「もう二度と歌えなくなる、正直そんなリスク負いたくないです。でも答えはちゃんと出しますから、次の交渉が終わるまで待ってください。そこで私の決めた答えを尊重すると約束してもらえませんか?」

 クラネスさんが作り上げてきたものを、私の歌声がないという理由で無駄にしてしまうのは嫌だ。

 「私のことが大切なら、私の気持ちを優先してくれますよね?」

 彼は優しいから、この意志を聞いてくれるはず。そこに確信はあった。

 「これは一本取られたな。仕方がない、考えておこう」

 そう言ったクラネスさんは笑っていた。