クラネスと出会ってから十年以上が経ったある日。

 「クロム。今時間いいか?」

 クラネスが部屋を訪ねて来た。幼かった頃と比べるとその頻度は減ったが、自分のことは変わらず覚えてくれていた。

 「あぁ、大丈夫だよ」

 そう言って連れ出されたのは一軒の仕立て屋だった。
 服を仕立ててほしいなんて一度も言ったことはないが、生きていくために必要なものだからと強引に説得された。

 「いらっしゃい」

 店に入ると可愛らしい女の子が出迎えてくれた。しかし彼女にクロムの姿は見えていない。

 「クラネス……何しに来たのよ」

 彼女はクラネスのことを見て、あからさまに嫌そうな顔をしていた。

 「服をいつくか仕立ててもらいたいんだが……まずこのメガネをかけてくれるか?」

 そう言ってメガネを渡していた。確かあれは初めて会った時に作ったもの。
 戸惑いながらも彼女はメガネをかけた。

 「あれ?クラネスの隣に誰かいる」

 目が合った。これで二人目だ。

 「実はこいつの服を仕立ててもらいたいんだ。この通り透明人間だから普通の者には見えない。だから、この薬品を生地に混ぜて作ってくれないか?」

 クラネスは透明な液体の入った容器を見せた。

 「えぇ、いいけど……透明人間?」

 彼女も透明人間を初めて知ったのか、言葉に迷いがあった。
 そこで今度はクロムが言葉を発した。

 「初めまして。クロム・ランナイトと申します」

 これを聞いた彼女は、仕事モードに入ったようで目つきを変えた。

 「モモ・カーネットよ。何か希望はあるかしら?」

 「生憎ファッションの知識はなくてね。任せてもいいかな?」

 「もちろん」

 そう言うと彼女は生地を持って、行ったり来たり。クロムの体に合わせてどのようなものがいいか吟味している。

 「よし、大体は決まったわ。完成したら連絡するから取りに来てもらえる?」

 「あぁ、ありがとな」

 仕立て屋を出るとクロムは気になっていたことを聞いた。

 「あの液体は?」

 「以前作った見えないものを見えるようにするメガネ。あれを液体化した。モモの作る服に染み込ませることによって、服だけでも見えるようになればと思ってな」

 クラネスの評判は耳にしていた。依頼したものがそのまま完璧に再現できる天才、この手のプロフェッショナル、彼に作れないものはない、と。この時から町中の者たちが彼の名を知っているくらいには有名な発明家になっていた。

 「モモなら心配いらない。透明人間に会ったからって言いふらすような子じゃないからな」

 クラネスがそう言うと、クロムは「そうか」と安堵の声を零した。


 ――


 数日後、完成した服を持ったクラネスが再びクロムの部屋を訪ねていた。
 これまでのものは身につけると身体と一緒に透けていたが、彼女に作ってもらったものは特殊加工が施されているため、服だけはちゃんと見えるようになっていた。

 「これでメガネがなくとも見えるようになったな。でもまだメガネに代わるものはできていないから返せないぞ?」

 これで自分は透明人間ではなくなってしまった。クラネスと仕立て屋の彼女には申し訳ないけれど、これは受け取れない。

 「透明人間だからって必ずしも全てが透明でなくてはならないと誰が決めたんだ?」

 「え?」

 クロムの心を見透かしているかのようにクラネスは言った。

 「服を着たところでクロムは透明人間だ。その事実は変わらない。それに見えていないのはクロムの外側であって、クロム自身はこの世界にいるんだ。今までと何も変わらないじゃないか」

 この子はいつの間にこんなに大きくなっていたんだろうか。彼の言葉や行動に何度も背中を押されてきた。
 周囲から見える服を着ていても、クロムがこの世界に存在する透明人間であることは変わりない。

 「いつからそんな口が聞けるようになったんだ?」

 「お前が部屋に閉じこもっている間に成長したのでな」

 そんなやり取りにお互いおかしくなって笑っていた。



 「それで本題なんだが、クロムに相談がある」

 クラネスはいつになく真剣な顔をしていた。和んでいた空気がピリつく。
 そして一番聞きなくなかったことを、一番聞きたくない人から告げられた。

 「俺は、この町を変えたいと思っている」

 知っていた。彼ならそう言うであろうと、そんな気がしていた。何なら確かめもした、あのコンパスで。そうしたら今、全くその通りになっている。十年以上経った今でもあれは壊れていなかった。

 「誰も嫌われ役を望んでいるわけではないし、怖がらせたいわけでもない。ただ必要なものを探しに行ったら怖がられてしまった。中にはこの生活に慣れている者もいるが、それ以外の方法でもこの町は成り立つと思うんだ」

 芯のある真っ直ぐな声を、今はただ聞くことしかできない。

 「別のエネルギー源を作る方法を見つけたんだ。だからクロム、協力してくれないか?」

 熱のこもった言葉を投げられ、自分の中にある答えを探す。背中を押すべきか、やめろと否定するべきか。どちらが正しいのか分からない。
 少しの間沈黙が続き、クロムは答えを決めた。


 「それは、やめたほうがいい」

 その声はいつもと変わらない穏やかなものだった。

 「なぜ?」

 「前に話したコンパス、本当は動いていたんだ。過去と未来がちゃんと見えていた。……僕だって、クラネスと同じようにその未来を変えようとした。でも何度やっても変わらないんだ。どんなに未来に抗おうとしても失敗してしまう。未来を変えることは、できないんだ……!」

 クロムは初めて声を荒らげた。
 いくら才能があるクラネスだって、百年以上も続く歴史を変えることは不可能だと思った。
 それにこの方法にはいくつか必要なものがある。その中のひとつに。

 「誰か宛はあるのか?」

 最も入手困難なものがある。

 「あぁ。彼女なら大丈夫だ」

 「例の子か……」

 例の子と言うのは、クラネスが夢で何度も出会う人の子。
 話は聞いていた。二度目の出会いが存在しない夢の中で不思議なことが起こるのだと。クロムにもその理由は分からなかった。

 「そんなに思い入れのある子を選んで、本当にできるのか?優しいクラネスのことだ。ギリギリになってやっぱり無理だった、なんてことは……」

 「やるさ」

 その一言で重く沈んでいた空気が一気に軽くなった。

 「もう決めたんだ。それに、いつまでも迷っているのは性に合わない」

 真っ直ぐに前を見つめる瞳がクロムを突き刺す。

 初めて出会った時に感じていたもの。
 もしも本当に彼が作ったのだとしたら。自分のことが見えているのだとしたら。
 彼なら、やってのけるかもしれない。自分じゃ成し得なかったことを。

 「分かったよ。君を信じよう」

 僕にできるのは、君の作る未来を信じることだ。