どんなに辛くても、悲しくても、人と距離を置けば気づかれない。笑って誤魔化せば何とかなることを知っている。ちゃんと自分の気持ちに蓋もできていた。
 そんな私の過去を知っていて、声をかけようとしてくれた。私の手を取ろうとしてくれた。
 でも、私が夢の中に閉じ込められてしまうから、触れられないように逃げるしかなかった。何も言わないまま、顔も見せないで。

 「だから、初めて手を握れたんだ」

 目が覚めた時、右手にはまだ温もりが残っていた。
 彼はずっと触れられなかったその手を、離さないでいてくれた。

 「あ……」

 ギュッと胸が締めつけられる。そのまま俯いて、手を胸の前で握りしめた。
 どうしよう……。
 これは、親を亡くした子どもが心配で見守ってくれていただけのこと。そこに深い意味はない。
 こんなの、ただの夢物語だ。
 だけど私にとっては、やっと手の届いた人で、やっと顔を見て話すことができた人。置いていかないでと言ったら、そばで手を握ってくれる人。
 そんな人のことを、夢物語で終わらせたくない。

 この感情は、なんと言うのだろう。



 「だが昨夜は夢に入っていない」

 「そうなんですか?」

 涙を隠し、俯く私にクラネスさんが言った。
 確かにいつもは熱が出る前に見ていたのに、今回は熱が出た後だった。
 それなら昨日見たあの影は、歌声が聞こえていた母親だったりするのだろうか。

 歌か。
 歌も母親も本当は大好きだったということをあの夢は思い出させてくれた。

 いつまでも逃げていては、お母さんに追いつけない。

 「――♪」

 耳に馴染んでいるメロディー。
 この歌に歌詞はなく、ハミングだけが部屋に響く。


 「灯の歌声はいいな」

 歌い終わった後、聞いてくれていたクラネスさんが言った。

 「それは好きってことですか?」

 調子に乗った私も普段なら絶対に聞かないようなことを聞いた。

 「そうだな」

 初めて母親以外に歌を褒められた。照れくさいけど、すごく嬉しい。
 それは彼だからだろうか。
 クラネスさんがここにいてくれる。それが嬉しくて、心地良くて、安心する。

 私は「ありがとう」を小さな声で呟いた。