「今日は早く休んだ方がいい。いきなり知らない世界に連れて来られたんだ。これからどうするかはゆっくり決めればいい」
片づけをするシュベルトさんは、私を気にかけてくれている。
「私に拒否権なんてあるんですか?」
正直半ば諦めていた。
何も言われないままここまで連れて来られて、当然のように受け入れられている状況に嫌悪感を覚えているのは私だけのようだから。
「クラネスだって、本人の同意なしに研究をしようとしているわけじゃない」
「そうだな。ただ一ヶ月間、何もせずに時が経つのを待っているのと研究に協力するのとじゃ、かなり変わってくると思うけどな」
なんでそんな偉そうなの。それにクラネスさんがやっている研究がどんなものか分からない限りは協力するのも気が引ける。何考えてるか分からないし、怖い。
「言わなくても分かっているかと思いますが、私は嫌ですからね」
はっきり言った私に対して、クラネスさんの表情は変わらなかった。
「気が変わったら教えてくれ」
そう簡単に変わらないと思うけど。
このまま私が拒み続ければ、どうするつもりなのだろうか。それこそ連れて来る前に確認しておけばよかったのに。
話せば断られると思って、あえて何も言わなかった?
「さて、俺はそろそろ帰ろうかな」
食器を洗い終えたシュベルトさんが帰り支度を始めた。
帰る。つまりここはシュベルトさんの家ではない。
私は肝心なことを思い出した。
「あの、私はどうすれば……」
「そこはクラネスと相談しておきな。クラネス、お嬢さんの信用を得たいなら行動で示せよ」
そう言ってシュベルトさんは帰っていった。
ここ、クラネスさんの家だったんだ。
しかしこの人と二人きりになって会話が成立するとは思えない。ましてや、ここに居続けることも。
「普段俺は隣の部屋で作業をしている。さっきまで君がいた部屋は来客用で、そこに誰かがいる限り俺は立ち入らない」
「え?」
クラネスさんは私に背を向けたまま話を続ける。
「用事があったら作業部屋に来てくれ。俺が外出する時は必ずメモを残す。それでいいな?」
「あの、急にどうしたんですか。出会った時は、まともに会話してくれなかったのに」
これが通常なら、あの時は意図的に会話をしてくれなかったということになる。
「信用を得たいなら行動で示せと言われたからな。この家で寝泊まりするのが嫌なら他へ行ってくれても構わないが、おすすめはしない。異国の女性が不用心に出歩くと何が起こるか分からないからな」
その異国の女子高生をここにおいてくれるというのだろうか。
この家も怪しいけれど、他に行く当てはない。
「俺はしばらく作業部屋にこもる。浴室は廊下を出て一番奥にある、着替えも知り合いに頼んでクローゼットの中に仕舞ってもらったから好きなものを選んでくれ。あと、キッチンにあるものは自由に使ってくれて構わない。君が望むなら明日にでもこの町を案内しよう」
必要事項を言い終わると彼は部屋を出ようとした。
「あの!」
それを引き止めたのは私だった。横を通り過ぎた背中に向かって声をかける。
「なんだ?」
「名前で、いいです。"君"って呼ばれると誰のことか分かんないから……これからよろしくお願いします」
静かに頭を下げると、彼は「あぁ、よろしくな」と返事をしてくれた。
こんな風に事情もちゃんと話してくれれば、素直に聞くこともできたかもしれない。
「よく分からない人だな」
一人になったリビングで呟いた。