「本当はちゃんと説明したかったんだが、言っても聞いてくれなくてな」

 後ろから声がして振り向くと、そこには例の男がいた。
 彼を見た瞬間、溜め込んでいた鬱憤が体の奥から這い上がってきた。

 「話を聞いてくれないのはあなたですよね!?私の話を聞かずに……」

 「何はともあれ、無事に誘拐できたわけだし」

 華麗に無視された挙句この人、今はっきり誘拐と言った。
 そして私の背中を押しながら一緒にテーブルへと近づく。

 「それはさすがにお前が悪いぞ」

 誘拐犯よりまともそうな彼は注意した後も特に慌てることなくテーブルに料理を運んでいる。この光景は日常茶飯事なのだろうか。


 「すみません、私帰りたいんですけど」

 なぜ私が申し訳なさそうにしなければならないのか分からないけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。とにかく家に帰れたら何でもいい。

 「あー、そうしてあげたいのは山々なんだが……お嬢さんは次の満月の日まで、この世界から出られないんだよ」

 「え、どういうことですか?」

 料理を運ぶ手を止めてこちらを向いてくれた彼が気まづそうに口を開いた。

 「なんとなく気づいてるかもしれないが、ここはお嬢さんのいた世界とは別の世界だ。その二つの世界を繋ぐ鏡があって、それは満月の日にしか使えない。だから次に帰れるのは一ヶ月後といったところかな」

 フィクションじゃあるまいしそんなこと……。
 その時、私はひとつの仮定を思い浮かべた。

 漫画の世界のような町並み、在り来りな物語の設定。
 本、漫画、フィクション……夢。


 「どこへ行く?」


 誘拐犯の横を走り抜けて再び二階へ向かう。
 そして窓を開けて下を見た。
 これならいけると、窓枠に片足をかける。

 「おっと……あえて聞こう。何をするつもりだ?」

 駆け足で追いかけて来た彼に対して、視線は外に向けたまま答えた。

 「これは夢です。だからここから飛び降りれば目が覚めると思います」

 夢なら何かしらの衝撃を与えればここから出られる。

 「それはやめておいた方がいい」

 返ってきた声は落ち着いていて、荒ぶっていた感情が少し抑え込まれる。

 「どうしてですか。こんなよく分からない場所、さっさと出たいんですけど」

 私の言葉に彼はため息をついた。

 「これは夢ではないからだ。……分かった。君をここへ連れて来た理由を話そう。聞いてくれるな?」

 彼の言う通りこれが夢ではなかった場合、ここから飛び降りれば間違いなく怪我をする。
 信じたくはないけれど、今は大人しくしていよう。

 窓枠にかけていた足を下ろして体を部屋の中に戻すと、もう一人の男性もいた。

 「それならまず飯を食ってからだな。お嬢さんは病み上がりらしいし、無理は禁物だ」

 なぜ私が病み上がりなのを知っているのだろうか。でもお腹が空いているのは本当で、寝込んでから何も食べていない。


 「悪いな。あいつはちょっと不器用なんだ」

 先に部屋を出た誘拐犯の背中を見ながら彼が言った。
 私からすれば、不器用というか言葉足らずの自由人だ。
 私の一番苦手なタイプ。気が重い。
 夢なら早く覚めてほしい。
 そう願いながら階段を下りた。