「確かに兄や鷹臣さんが言う通り、昔の私は今とは少し違っていたかもしれませんね。だから……、今とは違う意味で、人に迷惑を掛けてきました」
話は彼女の中学生時代にまで遡る。
小学生までは三島も話していた通り、イタズラ好きの問題児として、特に何事もなく過ごすことが出来ていた。
だが中学にも上がると、やはり多感な時期だ。
ちょっとした変わり者では、済まなくなってくる。
いつしか周囲は彼女を異質な存在として、避けるようになる。
そんな時、一人の少女と出会う。
少女の名前は、北上 青葉。
中学入学後、初めのクラス替えで出会った同級生だ。
北上さんは、当時既にどこか浮いていた豊橋さんに声を掛け、彼女を孤独の淵から救い出した。
彼女のおかげで、豊橋さんも辛うじて自分らしさを保つことが出来た、と言う。
北上さんは当時の豊橋さんにとって、紛れもなく親友と呼べる存在だった。
その後、二人は同じ高校に入学する。
だがココで、ターニングポイントが訪れる。
それは高校2年の京都への修学旅行だと言う。
「なるほどな。じゃあ、そこで何かトラブルがあった、と」
俺がそう言うと、彼女はコクリと頷く。
「ですね……。いえ。むしろ、トラブルで済む問題、かは分かりませんが……」
彼女はそう言いながら、どこか口惜しそうに遠い目をする。
どうやら、豊橋さんは日頃の感謝の意味を込めて、北上さんに対してあるサプライズを計画していたらしい。
丁度、日程の2日目に北上さんの誕生日を迎えるということもあり、何か仕掛けるタイミングとしてはピッタリだと考えていたようだ。
そこで、彼女なりに趣向を凝らしていたようだが……。
「ナンカ……、どっかで聞いたような話だな」
彼女は静かに微笑み、頷く。
「ですね。だから羽島さんから彼女の……、浜松さんの話を聞いた時はとても他人事とは思えなかったです」
豊橋さん曰く、北上さんには当時気になるクラスメイトがいたらしい。
そこで彼女は、サプライズの決行場所としてとある縁結びの神社を選定した。
まぁ要するに、豊橋さんはそこで色々と余計なお世話を焼いてやることにしたそうだ。
余談だが、そのとある縁結びの神社とやらは、今日俺が罰ゲームを実行した神社らしい。
運命とやらは、豊橋さん以上にイタズラ好きのようだ。
具体的な手順としてはこうだ。
決行は、2日目の自由行動の時間。
まずは北上さんを連れて、境内にある龍穴(陰陽道や風水などで繁栄するとされているパワースポット)へ行く。
そこで予めターゲットの男子がいるグループと示し合わせ、偶然を装い、バッティングさせる。
その後、豊橋さんが体調を崩したフリをし、北上さんとその男子を残す。
ホテルへ戻るポーズを取り、その後の二人を生温かく見守る、という何とも古典的で王道的なものだった。
だが、事は豊橋さんの思惑通りには進まない。
北上さんは彼を前に、動揺のあまり何も言うことが出来なかった。
それどころか、震えながらその場を走り去ってしまった。
そのことが北上さんの深い傷となり、部屋から出られなくなってしまったらしい。
それ以来、豊橋さんはその時の彼女の姿が事ある毎に頭に浮かび、自分らしく振舞えなくなったと言う。
「あの時は、まさか彼女があんなことになるとは思いませんでした……。ホテルに戻ってから、ずっと部屋で泣いてる彼女の姿を見て、やっと気づきました。自分のしてしまったことに」
彼女は自虐的な笑みを浮かべて言う。
「私が……、私が全部イケないはずなのに、何か勝手にトラウマみたいなもの抱えちゃって……。ナニ被害者振ってるんだって話ですよね? こんなの彼女にも失礼だし、何より未だにちゃんと彼女に謝れていないし……」
なるほど。全て腑に落ちた。
確かに三島の話していた通り、かつての彼女は今とは違うベクトルで問題児だったようだ。
豊橋さんは彼女に対しての恩を、ある種の仇で返してしまったことを未だに悔いているのだ。
そして、自覚している。
北上さんとの一件は、自分の性質が招いた最たる悪例だと。
だから、彼女はこれまでの自分を封印した。
ここまで聞いて大凡、他人事とは思えなかった。
同じだ。浜松と。
やはり、当時の豊橋さんは独善的でどこか浜松に似ていた。
いや、厳密に言えばそれも少し違う。
今も本質的な部分は似ているのだ。
両者の唯一の違いは、その境遇にある。
浜松の場合、大病を患い、ある種どこか吹っ切れたからこそ、自分自身を貫くことが出来たのだろう。
何かきっかけがなければ、豊橋さんと同じようにいつの日か塞ぎ込んでいたかもしれない。
であれば、豊橋さんが本当の意味で過去から解放されるためには……。
……いや、待て。
「おい。ちょっと待て。その話、本当か?」
「えっ!? えっと……、それは……」
俺が問いかけると、彼女はギクリという擬音が飛び出さんばかりに顔色を変える。
「本当、か?」
「え、えーっと……」
俺が再び真顔で迫ると、彼女は目を逸らす。
この女、完全に黒である。
なるほど。
どうにも話が深刻過ぎるというか、出来過ぎているというか……。
やはり彼女は役者としては、まだまだ未熟のようだ。
「……怒らないから答えてくれ。ど・こ・ま・で・が、本当だ!?」
「……すみません。引きこもりになった、という部分は少し脚色しました……。実際は、修学旅行が終わった翌週も、普通に登校してきました」
「はぁ……。やっぱりか」
「ご、ごごごごめんなさいっっっ!!!! 真面目な話してたのにっ!!! ナンカ、こう言った方が羽島さんが話に入り込みやすいかなーって思って、つい……。流石にフザケ過ぎ、ですよね?」
豊橋さんは怒涛の勢いで謝ってくる。
彼女の極めて率直な言葉を聞いた時、俺はあることに気づく。
そうだ。
彼女のトラウマに気を取られ、俺は重要なことをすっかり忘れていたようだ。
確かに彼女の言う通り、それなりに真面目な話をしていたつもりだ。
しかし、それは俺が最後の意志確認などと称して、彼女のトラウマを一方的に穿り出そうとしていただけに過ぎない。
彼女の成長を阻害する原因を洗い出すなどと正当化していたが、どの道彼女の心を土足で踏み荒らそうとしていたことに変わりない。
やれやれ。
我ながら浅慮というか、なんと言うか。
だが、彼女はそれでも俺に嘘を吐いてくれた。
これを彼女のホスピタリティーと言わずして何というか。
自分自身の至らなさと、彼女のある意味でのひたむきさに、自然と笑いが抑えられなくなる。
「クククッ」
「あの……、羽島さん?」
豊橋さんは、思わず笑い声を溢してしまった俺の顔を、心底不思議そうな表情で覗き込んで来る。
「いや、悪い。そうだったよな。面接って言ったのは俺だよな」
「えっと、あの……、どういうことでしょうか?」
彼女の様子から察するに、どうやら意図的ではなかったらしい。
俺はピンと来ていない彼女のために、フォローの意味も込めて一つヒントを与えることにした。
「いいか? そもそも面接とはどんな場だ?」
「えっ!? えっと……、企業に自分を売り込む場、ですか?」
「違うな。企業が見たい自分を見せる場、だ」
俺の言葉に彼女は何かに気付いたのか、ハッとしたような表情を浮かべる。
そんな彼女を見た俺はすかさず畳み掛ける。
「そうだ! だから別に嘘を吐いても構わない。面接なんて、多少の経歴詐称はご愛嬌だ。別に犯罪じゃねぇんだからな」
「何ていうか……、ホントに滅茶苦茶な人ですね」
そう呆れながらも、彼女は柔和な笑みを浮かべていた。
「アンタも人のこと言えたもんじゃねぇだろ」
俺がそう言うと、二人で顔を見合わせ笑みを溢す。
「でも、それ以外は本当で……。さっきも言った通り、未だに和解出来ていないんです。というより、私が一方的に彼女を避けてしまったんですよね……」
彼女は、再び顔を曇らせて言う。
これは相手が許すとか許さないとか、そういう問題ではない。
心の奥底で燻り続けるものは、そう単純に解消出来るものではないのだ。
だから今、彼女はこうして苦しんでいるんだろう。
「この前は羽島さんにあんなこと言ってしまいましたが、本当に燻り続けているのは、やっぱり私なんです。彼女とあんなことがあってから、なんと言うか……。自分自身がどう振る舞っていいか分からなくなって……。就職に失敗したのも、詐欺に引っ掛かってしまったのも、ソレが尾を引いた結果なんだと思います」
「まぁ要するに……、自分自身の何もかもを疑っている内に、世の中に蔓延る嘘や本質を見抜けなくなった、ってところか?」
「はい……。大体、そんなところだと思います」
やはり前提そのものが違っていた。
デート商法や詐欺の件など、彼女を蝕むトラウマが引き起こした結果に過ぎなかった。
「でも……、羽島さんと出会ってから、ちょっとだけ昔みたいになれる瞬間っていうか、そういうのが出来て……。あのっ! ホントに今更なんですけど……、ありがとうございます! 羽島さんのおかげで大切なことに気付け」
「待て。礼を言うのはまだ早い」
「えっ!?」
俺は核心に触れようとする彼女を制す。
思えば、今日はずっと彼女の掌の上で踊っていた感覚だ。
最後くらい、俺に見せ場をくれたっていいだろう。
「なぁ、豊橋さん。アンタやっぱりまだ勘違いしてるわ」
「えっと……、それは、どういう意味で?」
彼女は恐る恐るといった様子で、俺に問いかけてくる。
「豊橋さん。アンタは俺のおかげで昔の自分を取り戻せそう、みたいなことを言おうとしたな? そりゃ大きな間違いだ」
「えっと、あの……」
「俺も豊橋さんも確かに燻っていた。だが俺とアンタでは決定的に違うことがある。何か分かるか?」
そう問いかけると、彼女は言葉に詰まる。
俺はワザとらしく咳払いを交え、続ける。
「いいか? 俺は人任せとは言え、曲がり形にも自分の過去とケリをつけた。それに引き換え、豊橋さんはどうだ? 偶々自分と境遇の近い人間を見つけて、一丁前に過去と向き合った気になってんじゃねぇのか?」
「そ、それは……」
「今アンタがするべきなのは、俺に対しての礼か? 違うだろ。アンタの言う自分ってモンは、そんなお手軽に取り戻せる安っぽいモンなのかよ」
滔々と身の程知らずな説法を垂れる俺を前に、豊橋さんはこれでもかというほど目を泳がせる。
そんな彼女を見ていると、少しばかり罪悪感に苛まれる。
「それで、だ。随分遅くなっちまったが、今日の豊橋さんの茶番について、俺が出した答えはコレだ」
俺は手持ちのクラッチバッグからあるものを取り出し、彼女に見せつける。
「え……、それって……」
豊橋さんの顔色がみるみるうちに青ざめていく。
当然かもしれない。
俺に罰ゲームを実行させるために、あれだけ手の込んだ茶番を仕掛けたんだ。
そして何より、俺はこうしてこの場へやってきたわけだ。
よもや、俺の元に絵馬があるとは思うまい。
「……まぁ、そういう反応になるだろうな。だが、そう早とちりするな」
俺は手に持った絵馬を裏返し、そこに書かれた文字を見せつける。
「え……」
彼女は呆然とする。
状況を整理出来ていない。
いや。正確に言えば、俺の意図を理解出来ないのだろう。
まぁ、それも無理はない。
何せ……。
『続きのない物語を俺と』
「あの……、それは……」
「豊橋さんは、人は簡単に変われないと言ったな? でも、俺は変われると思っている」
「は、はい……」
「もし、だ! この先、豊橋さんが自分に自信を取り戻せたと胸を張って言える日が来たら、アンタの負けだ。罰ゲームとして、今度はアンタがコレをあの神社に奉納して来い!」
「っ!?」
これは完全に黒歴史確定だ。
上手いことを言ったつもりが、ただただイタいだけの奴になってしまった。
というより、シンプルに重いか?
ただ、続きがあること前提で相手と向き合うのは、やはり何か違う気がする。
言ってみりゃ、これも俺なりの誠意だ。
俺本位の一方的な展開に、彼女は未だに二の句が継げない。
無理もない。
ならば俺ならではのアプローチで、助け舟を出してやるまでだ。
「……俺はな。もう脚本家業に疲れちまったんだよ。あんなことがあったんだ。当然だろ? だからコレで最後にしたい。ここまで言えば分かるか?」
我ながら偏屈と言うか、なんと言うか。
だが残念ながら、俺にはこういうやり方しか出来そうにない。
全く。誰の影響かは知らんが。
そうだ。
俺の中で合否なんて、とうの昔に決まりきっている。
というより、もう既に始まっているのだ。
彼女との続編が。
「えっと……、じゃあ」
ようやく俺の意図を察したのか、豊橋さんは大きく目を見開き、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「……俺の方は今日で完全に終わった。次はアンタが過去にケリをつける番だ。俺は今、そんなストーリーを思い描いている。その後は……、まぁ何でもいい。警察沙汰にならない範囲で付き合ってやる。だから、まぁ、つまり」
俺が最後まで言い終える前に、彼女は勢いよく抱き着いてきた。
「何言ってるか良く分かりませんでしたが、でも……、良く分かりました」
俺の身体に密着し、スーツの下襟のあたりに口元を付けながら、もごもごと彼女は言う。
「どっちだよ……」
「まぁ羽島さんですからね。仕方ないです」
「言っとくけどな。俺のヒネた言い回しでピンと来る時点で、アンタも大概だぞ」
「はい。分かってます。ですから……」
すると彼女は、襟元から顔を離し、俺を見上げてくる。
「私たち、似たもの同士ですね!」
彼女は満面の笑みを咲かせて言う。
改めて彼女からその言葉を聞き、顔が熱くなる。
本当はもっと言うべきことがあったのかもしれない。
『ヒネた』などと前置きしたところで、その実タダ口下手なだけだ。
だが、それは彼女とて同じだろう。
だから、きっと。
俺たちはこれでいい。
「……アンタはそれでいいのかよ?」
「……今更、言いますか? マニュアル作りだって、誰が始めたと思ってるんですか? 始めたからには最後まで責任取って下さい」
彼女は少しムクれながら、俺を睨むように見上げる。
彼女の言い分は至極真っ当だ。
全ては俺のエゴで始まった。
だからこそ、俺は彼女の行く末に対しても責任を持つべきなのだろう。
……だが、所詮は俺だ。
誓いの言葉、などといった大層なものは用意出来そうにない。
そのかわり。
彼女への誠意の証として、一つ言質をくれてやることにしよう。
「すっかり、暗くなっちゃいましたね……」
彼女は俺の胸元に埋まりながら、呟く。
9月も下旬に差し掛かり、近頃着実に日が詰まってきている。
長話をしたこともあり、辺りはすっかり暗くなっていた。
「そうだな……。ところで、豊橋さんに一つ言っておくことがある」
「はい?」
俺は目線を上げ、空を見上げる。
それに合わせて、豊橋さんも首を上げる。
中秋の名月というだけあり、シチュエーションとしてはバッチリだ。
丸々と良く肥えた月は、今から俺が小っ恥ずかしいセリフを吐くとも知らずに、いつものように呑気に街並みを照らしている。
「俺、月が綺麗だと死んでも良くなるんだわ」
彼女はゆっくりと視線を、俺に向けてくる。
何も言わない彼女をうっすら見下ろすと、みるみる内に顔が赤くなっていくことが分かる。
そんな彼女を、俺はいつまでも直視は出来なかった。
「何ですかソレ!? 情緒不安定なんですか!?」
ようやく俺の意図に気付いた彼女は、慌てるようにまくし立てる。
「そりゃお互い様だろ」
そう言いながら、俺は静かに彼女の腰に手を回した。
俺と彼女のマニュアル作りは、たった一つの成功例だけを残して終わりを告げた。
それは皮肉にも俺が手掛けたものではなく、彼女自身の感性や価値観、経験に基づいて作られた、極めて汎用性のないものだった。
マニュアルとしては落第点だし、出来損ないもいいところだ。
だが、それでも……。
こうして充足感に包まれた男がココに存在するのだ。
ただ、それだけで。
彼女の誠意ある欺瞞には価値が、ある。
話は彼女の中学生時代にまで遡る。
小学生までは三島も話していた通り、イタズラ好きの問題児として、特に何事もなく過ごすことが出来ていた。
だが中学にも上がると、やはり多感な時期だ。
ちょっとした変わり者では、済まなくなってくる。
いつしか周囲は彼女を異質な存在として、避けるようになる。
そんな時、一人の少女と出会う。
少女の名前は、北上 青葉。
中学入学後、初めのクラス替えで出会った同級生だ。
北上さんは、当時既にどこか浮いていた豊橋さんに声を掛け、彼女を孤独の淵から救い出した。
彼女のおかげで、豊橋さんも辛うじて自分らしさを保つことが出来た、と言う。
北上さんは当時の豊橋さんにとって、紛れもなく親友と呼べる存在だった。
その後、二人は同じ高校に入学する。
だがココで、ターニングポイントが訪れる。
それは高校2年の京都への修学旅行だと言う。
「なるほどな。じゃあ、そこで何かトラブルがあった、と」
俺がそう言うと、彼女はコクリと頷く。
「ですね……。いえ。むしろ、トラブルで済む問題、かは分かりませんが……」
彼女はそう言いながら、どこか口惜しそうに遠い目をする。
どうやら、豊橋さんは日頃の感謝の意味を込めて、北上さんに対してあるサプライズを計画していたらしい。
丁度、日程の2日目に北上さんの誕生日を迎えるということもあり、何か仕掛けるタイミングとしてはピッタリだと考えていたようだ。
そこで、彼女なりに趣向を凝らしていたようだが……。
「ナンカ……、どっかで聞いたような話だな」
彼女は静かに微笑み、頷く。
「ですね。だから羽島さんから彼女の……、浜松さんの話を聞いた時はとても他人事とは思えなかったです」
豊橋さん曰く、北上さんには当時気になるクラスメイトがいたらしい。
そこで彼女は、サプライズの決行場所としてとある縁結びの神社を選定した。
まぁ要するに、豊橋さんはそこで色々と余計なお世話を焼いてやることにしたそうだ。
余談だが、そのとある縁結びの神社とやらは、今日俺が罰ゲームを実行した神社らしい。
運命とやらは、豊橋さん以上にイタズラ好きのようだ。
具体的な手順としてはこうだ。
決行は、2日目の自由行動の時間。
まずは北上さんを連れて、境内にある龍穴(陰陽道や風水などで繁栄するとされているパワースポット)へ行く。
そこで予めターゲットの男子がいるグループと示し合わせ、偶然を装い、バッティングさせる。
その後、豊橋さんが体調を崩したフリをし、北上さんとその男子を残す。
ホテルへ戻るポーズを取り、その後の二人を生温かく見守る、という何とも古典的で王道的なものだった。
だが、事は豊橋さんの思惑通りには進まない。
北上さんは彼を前に、動揺のあまり何も言うことが出来なかった。
それどころか、震えながらその場を走り去ってしまった。
そのことが北上さんの深い傷となり、部屋から出られなくなってしまったらしい。
それ以来、豊橋さんはその時の彼女の姿が事ある毎に頭に浮かび、自分らしく振舞えなくなったと言う。
「あの時は、まさか彼女があんなことになるとは思いませんでした……。ホテルに戻ってから、ずっと部屋で泣いてる彼女の姿を見て、やっと気づきました。自分のしてしまったことに」
彼女は自虐的な笑みを浮かべて言う。
「私が……、私が全部イケないはずなのに、何か勝手にトラウマみたいなもの抱えちゃって……。ナニ被害者振ってるんだって話ですよね? こんなの彼女にも失礼だし、何より未だにちゃんと彼女に謝れていないし……」
なるほど。全て腑に落ちた。
確かに三島の話していた通り、かつての彼女は今とは違うベクトルで問題児だったようだ。
豊橋さんは彼女に対しての恩を、ある種の仇で返してしまったことを未だに悔いているのだ。
そして、自覚している。
北上さんとの一件は、自分の性質が招いた最たる悪例だと。
だから、彼女はこれまでの自分を封印した。
ここまで聞いて大凡、他人事とは思えなかった。
同じだ。浜松と。
やはり、当時の豊橋さんは独善的でどこか浜松に似ていた。
いや、厳密に言えばそれも少し違う。
今も本質的な部分は似ているのだ。
両者の唯一の違いは、その境遇にある。
浜松の場合、大病を患い、ある種どこか吹っ切れたからこそ、自分自身を貫くことが出来たのだろう。
何かきっかけがなければ、豊橋さんと同じようにいつの日か塞ぎ込んでいたかもしれない。
であれば、豊橋さんが本当の意味で過去から解放されるためには……。
……いや、待て。
「おい。ちょっと待て。その話、本当か?」
「えっ!? えっと……、それは……」
俺が問いかけると、彼女はギクリという擬音が飛び出さんばかりに顔色を変える。
「本当、か?」
「え、えーっと……」
俺が再び真顔で迫ると、彼女は目を逸らす。
この女、完全に黒である。
なるほど。
どうにも話が深刻過ぎるというか、出来過ぎているというか……。
やはり彼女は役者としては、まだまだ未熟のようだ。
「……怒らないから答えてくれ。ど・こ・ま・で・が、本当だ!?」
「……すみません。引きこもりになった、という部分は少し脚色しました……。実際は、修学旅行が終わった翌週も、普通に登校してきました」
「はぁ……。やっぱりか」
「ご、ごごごごめんなさいっっっ!!!! 真面目な話してたのにっ!!! ナンカ、こう言った方が羽島さんが話に入り込みやすいかなーって思って、つい……。流石にフザケ過ぎ、ですよね?」
豊橋さんは怒涛の勢いで謝ってくる。
彼女の極めて率直な言葉を聞いた時、俺はあることに気づく。
そうだ。
彼女のトラウマに気を取られ、俺は重要なことをすっかり忘れていたようだ。
確かに彼女の言う通り、それなりに真面目な話をしていたつもりだ。
しかし、それは俺が最後の意志確認などと称して、彼女のトラウマを一方的に穿り出そうとしていただけに過ぎない。
彼女の成長を阻害する原因を洗い出すなどと正当化していたが、どの道彼女の心を土足で踏み荒らそうとしていたことに変わりない。
やれやれ。
我ながら浅慮というか、なんと言うか。
だが、彼女はそれでも俺に嘘を吐いてくれた。
これを彼女のホスピタリティーと言わずして何というか。
自分自身の至らなさと、彼女のある意味でのひたむきさに、自然と笑いが抑えられなくなる。
「クククッ」
「あの……、羽島さん?」
豊橋さんは、思わず笑い声を溢してしまった俺の顔を、心底不思議そうな表情で覗き込んで来る。
「いや、悪い。そうだったよな。面接って言ったのは俺だよな」
「えっと、あの……、どういうことでしょうか?」
彼女の様子から察するに、どうやら意図的ではなかったらしい。
俺はピンと来ていない彼女のために、フォローの意味も込めて一つヒントを与えることにした。
「いいか? そもそも面接とはどんな場だ?」
「えっ!? えっと……、企業に自分を売り込む場、ですか?」
「違うな。企業が見たい自分を見せる場、だ」
俺の言葉に彼女は何かに気付いたのか、ハッとしたような表情を浮かべる。
そんな彼女を見た俺はすかさず畳み掛ける。
「そうだ! だから別に嘘を吐いても構わない。面接なんて、多少の経歴詐称はご愛嬌だ。別に犯罪じゃねぇんだからな」
「何ていうか……、ホントに滅茶苦茶な人ですね」
そう呆れながらも、彼女は柔和な笑みを浮かべていた。
「アンタも人のこと言えたもんじゃねぇだろ」
俺がそう言うと、二人で顔を見合わせ笑みを溢す。
「でも、それ以外は本当で……。さっきも言った通り、未だに和解出来ていないんです。というより、私が一方的に彼女を避けてしまったんですよね……」
彼女は、再び顔を曇らせて言う。
これは相手が許すとか許さないとか、そういう問題ではない。
心の奥底で燻り続けるものは、そう単純に解消出来るものではないのだ。
だから今、彼女はこうして苦しんでいるんだろう。
「この前は羽島さんにあんなこと言ってしまいましたが、本当に燻り続けているのは、やっぱり私なんです。彼女とあんなことがあってから、なんと言うか……。自分自身がどう振る舞っていいか分からなくなって……。就職に失敗したのも、詐欺に引っ掛かってしまったのも、ソレが尾を引いた結果なんだと思います」
「まぁ要するに……、自分自身の何もかもを疑っている内に、世の中に蔓延る嘘や本質を見抜けなくなった、ってところか?」
「はい……。大体、そんなところだと思います」
やはり前提そのものが違っていた。
デート商法や詐欺の件など、彼女を蝕むトラウマが引き起こした結果に過ぎなかった。
「でも……、羽島さんと出会ってから、ちょっとだけ昔みたいになれる瞬間っていうか、そういうのが出来て……。あのっ! ホントに今更なんですけど……、ありがとうございます! 羽島さんのおかげで大切なことに気付け」
「待て。礼を言うのはまだ早い」
「えっ!?」
俺は核心に触れようとする彼女を制す。
思えば、今日はずっと彼女の掌の上で踊っていた感覚だ。
最後くらい、俺に見せ場をくれたっていいだろう。
「なぁ、豊橋さん。アンタやっぱりまだ勘違いしてるわ」
「えっと……、それは、どういう意味で?」
彼女は恐る恐るといった様子で、俺に問いかけてくる。
「豊橋さん。アンタは俺のおかげで昔の自分を取り戻せそう、みたいなことを言おうとしたな? そりゃ大きな間違いだ」
「えっと、あの……」
「俺も豊橋さんも確かに燻っていた。だが俺とアンタでは決定的に違うことがある。何か分かるか?」
そう問いかけると、彼女は言葉に詰まる。
俺はワザとらしく咳払いを交え、続ける。
「いいか? 俺は人任せとは言え、曲がり形にも自分の過去とケリをつけた。それに引き換え、豊橋さんはどうだ? 偶々自分と境遇の近い人間を見つけて、一丁前に過去と向き合った気になってんじゃねぇのか?」
「そ、それは……」
「今アンタがするべきなのは、俺に対しての礼か? 違うだろ。アンタの言う自分ってモンは、そんなお手軽に取り戻せる安っぽいモンなのかよ」
滔々と身の程知らずな説法を垂れる俺を前に、豊橋さんはこれでもかというほど目を泳がせる。
そんな彼女を見ていると、少しばかり罪悪感に苛まれる。
「それで、だ。随分遅くなっちまったが、今日の豊橋さんの茶番について、俺が出した答えはコレだ」
俺は手持ちのクラッチバッグからあるものを取り出し、彼女に見せつける。
「え……、それって……」
豊橋さんの顔色がみるみるうちに青ざめていく。
当然かもしれない。
俺に罰ゲームを実行させるために、あれだけ手の込んだ茶番を仕掛けたんだ。
そして何より、俺はこうしてこの場へやってきたわけだ。
よもや、俺の元に絵馬があるとは思うまい。
「……まぁ、そういう反応になるだろうな。だが、そう早とちりするな」
俺は手に持った絵馬を裏返し、そこに書かれた文字を見せつける。
「え……」
彼女は呆然とする。
状況を整理出来ていない。
いや。正確に言えば、俺の意図を理解出来ないのだろう。
まぁ、それも無理はない。
何せ……。
『続きのない物語を俺と』
「あの……、それは……」
「豊橋さんは、人は簡単に変われないと言ったな? でも、俺は変われると思っている」
「は、はい……」
「もし、だ! この先、豊橋さんが自分に自信を取り戻せたと胸を張って言える日が来たら、アンタの負けだ。罰ゲームとして、今度はアンタがコレをあの神社に奉納して来い!」
「っ!?」
これは完全に黒歴史確定だ。
上手いことを言ったつもりが、ただただイタいだけの奴になってしまった。
というより、シンプルに重いか?
ただ、続きがあること前提で相手と向き合うのは、やはり何か違う気がする。
言ってみりゃ、これも俺なりの誠意だ。
俺本位の一方的な展開に、彼女は未だに二の句が継げない。
無理もない。
ならば俺ならではのアプローチで、助け舟を出してやるまでだ。
「……俺はな。もう脚本家業に疲れちまったんだよ。あんなことがあったんだ。当然だろ? だからコレで最後にしたい。ここまで言えば分かるか?」
我ながら偏屈と言うか、なんと言うか。
だが残念ながら、俺にはこういうやり方しか出来そうにない。
全く。誰の影響かは知らんが。
そうだ。
俺の中で合否なんて、とうの昔に決まりきっている。
というより、もう既に始まっているのだ。
彼女との続編が。
「えっと……、じゃあ」
ようやく俺の意図を察したのか、豊橋さんは大きく目を見開き、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「……俺の方は今日で完全に終わった。次はアンタが過去にケリをつける番だ。俺は今、そんなストーリーを思い描いている。その後は……、まぁ何でもいい。警察沙汰にならない範囲で付き合ってやる。だから、まぁ、つまり」
俺が最後まで言い終える前に、彼女は勢いよく抱き着いてきた。
「何言ってるか良く分かりませんでしたが、でも……、良く分かりました」
俺の身体に密着し、スーツの下襟のあたりに口元を付けながら、もごもごと彼女は言う。
「どっちだよ……」
「まぁ羽島さんですからね。仕方ないです」
「言っとくけどな。俺のヒネた言い回しでピンと来る時点で、アンタも大概だぞ」
「はい。分かってます。ですから……」
すると彼女は、襟元から顔を離し、俺を見上げてくる。
「私たち、似たもの同士ですね!」
彼女は満面の笑みを咲かせて言う。
改めて彼女からその言葉を聞き、顔が熱くなる。
本当はもっと言うべきことがあったのかもしれない。
『ヒネた』などと前置きしたところで、その実タダ口下手なだけだ。
だが、それは彼女とて同じだろう。
だから、きっと。
俺たちはこれでいい。
「……アンタはそれでいいのかよ?」
「……今更、言いますか? マニュアル作りだって、誰が始めたと思ってるんですか? 始めたからには最後まで責任取って下さい」
彼女は少しムクれながら、俺を睨むように見上げる。
彼女の言い分は至極真っ当だ。
全ては俺のエゴで始まった。
だからこそ、俺は彼女の行く末に対しても責任を持つべきなのだろう。
……だが、所詮は俺だ。
誓いの言葉、などといった大層なものは用意出来そうにない。
そのかわり。
彼女への誠意の証として、一つ言質をくれてやることにしよう。
「すっかり、暗くなっちゃいましたね……」
彼女は俺の胸元に埋まりながら、呟く。
9月も下旬に差し掛かり、近頃着実に日が詰まってきている。
長話をしたこともあり、辺りはすっかり暗くなっていた。
「そうだな……。ところで、豊橋さんに一つ言っておくことがある」
「はい?」
俺は目線を上げ、空を見上げる。
それに合わせて、豊橋さんも首を上げる。
中秋の名月というだけあり、シチュエーションとしてはバッチリだ。
丸々と良く肥えた月は、今から俺が小っ恥ずかしいセリフを吐くとも知らずに、いつものように呑気に街並みを照らしている。
「俺、月が綺麗だと死んでも良くなるんだわ」
彼女はゆっくりと視線を、俺に向けてくる。
何も言わない彼女をうっすら見下ろすと、みるみる内に顔が赤くなっていくことが分かる。
そんな彼女を、俺はいつまでも直視は出来なかった。
「何ですかソレ!? 情緒不安定なんですか!?」
ようやく俺の意図に気付いた彼女は、慌てるようにまくし立てる。
「そりゃお互い様だろ」
そう言いながら、俺は静かに彼女の腰に手を回した。
俺と彼女のマニュアル作りは、たった一つの成功例だけを残して終わりを告げた。
それは皮肉にも俺が手掛けたものではなく、彼女自身の感性や価値観、経験に基づいて作られた、極めて汎用性のないものだった。
マニュアルとしては落第点だし、出来損ないもいいところだ。
だが、それでも……。
こうして充足感に包まれた男がココに存在するのだ。
ただ、それだけで。
彼女の誠意ある欺瞞には価値が、ある。