「羽島ぁ。最近豊橋さんと連絡とってんのか〜?」
あの因縁の合コンの日から、早くも2週間が経った。
あんなゴタゴタがあった後だ。
少しは気まずい雰囲気の一つも醸し出すのかと思いきや、やはりそこは米原である。
週明けの月曜日には、何事もなかったかのような態度で接してくる。
思えば、コイツには損な役回りをさせてばかりだ。
そろそろ、礼の一つもせねばなるまい。
「ゴリゴリの音信不通だな。この前の合コンが今生の別れ、かもな」
俺は精一杯どうでも良さそうな雰囲気を装い、応える。
「ハァ……。豊橋さんが居なくなってから、ますます陰キャに磨きが掛かっちまったなぁ〜。しゃーない! 今夜はキャバクラでも行くとするか!」
何が『しゃーない!』のかは不明だが、これは丁度いい。
米原への罪滅ぼし第一弾を決行することとしよう。
本音を言えば、金だけ渡して俺は帰りたいのだが。
ただまぁ……。あまりそういうのは良くない気がする。
「そうだな。たまには付き合ってやんよ」
俺が極めて事務的に返事をすると、米原は何も言わず呆然とする。
「ん? 何だよ? 行くっつってんだろ?」
「お、おう! そっか! いや、普通に断ると思ってたからよ。オッケ〜。じゃあそういうことで! お兄さん俄然ノッてきたよ〜!」
などと言いながら、意気揚々と喫煙ブースへ向かっていく米原だった。
何なんだ、コイツは……。
言い出しっぺのクセして。
しかし、合コンの次はキャバクラか。
何だかんだ一通り、社会人としての嗜みを堪能してしまっている自分につくづく嫌気が差す。
「現美で〜す。隣り失礼しま〜す!」
米原への負い目を解消するために、キャバクラの誘いに乗ったのはいいが、正直に言えば合コン以上に馴染みのない場所である。
こういう場では開き直りが重要だ。
なんせ、向こうは客商売のプロ。
女慣れしていないこちらが主導権を握ろうとすればするほど、オカシな方向へ進んでいくに決まっている。
ここは潔く相手に手綱を預け、プロのトークを堪能する他ない。
そう思えば、合コンよりかはいくらか気が楽ではある。
そんな俺を待ち受けていたのは、幸か不幸か、ノリで言えば女版・米原のようなキャストだった。
さて、プロのお手並み拝見と行くか。
「あー、羽島望です。同僚の付き合いで来ました。宜しくお願いします」
何の予防線だか自分でも分からないが、枕詞として言い訳染みたことを言ってしまった。
自分で言っていてなんだが、こういうのは相手に失礼だと思う。
そんな俺の無礼な挨拶をものともせず、彼女は職務を全うする。
「そうなんだ〜。じゃあこういう場所は初めて?」
「いや、初めてじゃない。だが、いつまでも初心を忘れたくないもんだな」
「あはは! 何、ソレ〜! 羽島っち、ウケる〜〜!」
やはり予想通り、完全移植版・米原だった。
偶然にしても質が悪い。
だが、俺のしょうもない掴みを大げさに笑って見せるあたり、プロの底力を感じる。
「それでー。お客さんなんか悩んでる感じー?」
「は? なんで?」
「何でって言われてもねー。そんな顔してるよ」
これは驚いた。
やはり人を見るプロは違う。
ここで一つの選択肢が生まれる。
どうせリピーターになるつもりもない。
彼女とは今夜限りでお別れだ。
何の責任も持たない第三者だからこそ言える、客観的な意見もあろう。
そう思い、俺はこれまでの一連流れと今後の身の振り方について、デリカシーという点では些か怪しいこの女に意見を乞うてみることにした。
「ふーん、そうなんだ。要するに、元カノの法事に行くか迷ってるってこと?」
思い切って聞いてみたものの、思いの他反応が軽い。
それなりにヘビーな話だと思っていたが。
「いや、まぁそうなんだけどさ……。冷静に考えれば確かにそれだけ、か……。ん?」
「いや、流石にそれだけとは言わないよ。羽島っちも凄い悩んでるんだと思うしさ」
「俺は、そんな悩むとか……。ただな、葬式も行かなかったわけだしな」
「でも、それも羽島っちなりに考えてのことなんでしょ?」
「まぁそう言われればそうなんだが……。ただそれを世間一般的に言えば、逃げと言うような気もするんだよな」
「そっかそっか! じゃあそんな羽島っちに問題です!」
「は?」
現美はコホンとワザとらしく、咳払いを交え続ける。
「一般的に法事に掛かる費用はいくらでしょう? はい、羽島っち!」
「知るかっ!」
「はい、残念! 20名規模で行うとして、お布施に会食費、卒塔婆代に供花・供物、引き出物等々、締めて40万円以上也」
「何で知ってんだよ……」
「凄いでしょ? 実家葬儀屋なんだ」
そう言うと、現美は胸を突き出し、得意気な笑みを浮かべる。
「……で、ソレがどうしたんだ?」
「戒名料とかがない分、お葬式と比べると費用は少ないけど、それでも結構するの。だから施主の立場としては、少しでも赤字を縮めたいわけ。分かる?」
「まぁそりゃ、そうだろうけどさ……」
「そ。だから欠席は少ないに越したことはないの。もちろん、どうしても都合が悪いなら、香典だけ渡すのもアリだけど、どうせ払うならちゃんとご飯食べて引き出物ももらった方がお得じゃない?」
「なんじゃそりゃっ!」
現美のあまりに的外れで本末転倒な意見に、思わず声を上げる。
そんな俺を見て、彼女は嬉しそうに吹き出す。
「ははは〜! ゴメンゴメン! チョット適当に言ってみたところある!」
この女……。
やはり彼女に相談したのは間違いだったか。
「でもさ……。実際、動機なんてそんなモンでいいんじゃない? あとでいくらでも後付できるんだし」
「そりゃまぁ、そうだが……」
腑に落ちない俺を見つめ、優しく微笑みながら彼女は続ける。
「確かに羽島っちが思っているように、人ってそういうの求めるよね。何かを始める立派な理由とか。そんなんないっつーの! コッチは目先の生活だけで精一杯だっつーの!」
彼女は何に向けてのものか分からない怒りを、何故か俺に向けて来る。
「私がキャバ始めた理由だって友達に『稼げるからやってみ〜』って言われたからってだけだし。でもやってみたら、結構楽しくてさ! まぁたまに面倒臭い客とかいるけど……」
そう言いながら、彼女は向かいの席でカラオケに勤しむ米原に視線を移す。
勝負曲と思しき一昔前の失恋ソングを得意気な顔で歌っていた。
酔いが回っているのか、そもそも音程という概念がないのかは定かではないが、どこぞのガキ大将並みの濁声に多くのキャスト陣は眉を顰めている。
ヤツが失くしたのは、恋だけではなさそうだ。
「ま、まぁ別に深い意味はないんだけどさっ!」
彼女は気まずそうに、こちらに視線を戻す。
「だからさ……。有り体に言っちゃうと、羽島っちがどうしたらいいかじゃなくて、どうしたいかだと思うんだよね。冷静に一つ一つ整理してみたら? 羽島っちが彼女とどんなカタチで向き合いたいのか」
まさに無責任の極みとも言える意見だ。
だが、確かに彼女の言う通り、理由などという崇高なものを求める方が間違っているのかもしれない。
「今日はありがと〜。また来てね〜」
「あー、こちらこそありがとう。何かヘンな話して悪いな」
俺がそう言うと、現美は何を言うでもなく微笑む。
さて、あまり乗り気ではなかったキャバクラも、終わってみればそれなりの収穫があったものだ。
俺は荷物をまとめ、帰り支度をする。
「あのー、すみません。この方のお連れ様、ですか?」
ふと、一人のボーイに呼び止められる。
彼が指差す方へ顔を向けると、すっかり夢の世界の住人に成り果てた米原の姿があった。
俺は大きな溜息を吐く。
「……ちゃんと持って帰ります。すみませんが、タクシー呼んでもらえますか?」
「はい。何か、すみません」
ボーイは困ったような笑みを浮かべながら、詫びを入れてくる。
それはこちらのセリフだ。
本当にこの男のブレなさ具合にはほとほと感心する。
「はい。えっと……、住所はこの免許証のヤツで。はい。すみません。よろしくお願いします」
それから十数分後、ボーイが呼んだタクシーがやってくる。
俺は運転手に米原の住むアパートの住所だけを告げ、ヤツの身を託した。
タクシーのドアを閉めようとした時、突如米原が腕を掴んできた。
「……ちょい待てよ」
大凡、意識混濁状態の人間が出すとは思えない力で、引き止めてくる。
俺は再び深い息を吐く。
「すみません、俺も乗ります……」
運転手は苦笑いを浮かべながら、俺の乗車を受け入れた。
米原を後部座席の右奥に強引に押し込み、自分が乗るスペースを確保する。
当の本人は、呼び止めたことなどどこ吹く風とばかりにスヤスヤと眠りこけている。
覚悟はしていたが、運転手を含め男3人の空間はやはりむさ苦しい。
米原が放つ酒臭さも相まって、こちらもヘンな酔い方をしてしまいそうになる。
そして、俺の心配を他所に車は静かに走り出す。
「お前……、法事行ってこいよ」
タクシーが走り出して、数分後。
沈黙を破ってきたのは、米原だった。
声の主は依然として目を瞑っており、本当に米原かどうかすら怪しく思える。
「……起きてるなら、言え」
「おい、答えろよ……。でないと……」
ムニャムニャと次の言葉が消え入ってしまった。
俺は法事に行かないと、米原に何をされてしまうのか。
それにしても、喋るのか寝るのかはっきりして欲しいところだ。
「飲み過ぎだっつーの……。俺は別に良いけど、店に迷惑かけんじゃねーよ」
「でーたー! ツンデレの権化ー! キモいからやめとけ……」
かつての記憶も蘇り、横のノンデリカシーの男を殴りそうになるが、既のところで拳を収める。
それからまた俺たちの間に、静寂が訪れた。
タクシーは、キャバクラ店のある最寄り駅に差し掛かる。
現在時刻は、日を跨ぐ直前だ。
内窓越しに駅前の様子を見ると、すっかり出来上がっている大学生集団が奇声を発していたり、妙齢のカップルが改札前の階段で話し込んでいたりと、極めて統一性のない景色が広がっている。
一般的には終電で帰るか、俺たちのようにタクシーに乗るか、もしくは駅前の宿泊施設なりで一夜を明かすか、判断が迫られる頃だ。
喧騒さと空虚さが共存している独特な時間帯であり、謎の緊張感がこみ上げてくる。
そんな中、米原は再び口を開く。
「豊橋さん、言ってたぞー」
「何を、だよ……」
「『羽島さんを何とかしてあげたい!』って。すっかり懐かれてんな」
「懐くとか、そんなんじゃねぇだろ……」
「他にもよー、『米原さんには悪いけど、内心ちょっとだけ楽しかったです……』とか言ってたんだぜ。酷くね?」
確かにそれは酷い。
だが三島が言っていたことが事実であれば、或いは……。
「まぁ俺が思ったよりガチだったから、本気で悪いとは思ってたらしいけどな。あの娘なりに気付かないようにしてたんだろうよ。お前と悪巧みしてる時に楽しんでる自分ってヤツに」
そこまで言われて、俺は何も言えなかった。
答えに窮する俺を見て、米原は更に続ける。
「いいんじゃねぇの? 続編的なヤツで。お前だって内心そう思ってんだろ?」
米原にそう言われた時、胸が締め付けられるような感覚がした。
自覚というほど、明確なものではないし、確信もしていない。
だが、何かが動き出した感触自体はあるのかもしれない。
いつかの駅前で出会ったあの日から。
「続編って……。そもそも初稿もまだ上がってないんだっつーの。第一、お前はそれで良いのかよ?」
「元々、俺なんかお呼びじゃなかったんだよ。だから気にすんなって……」
米原はそう言うと、ヘラっと口角を上げた。
そして、そのまま再び意識を手放してしまう。
それからアパートに着くまで、米原が目を覚ますことはなかった。
あの因縁の合コンの日から、早くも2週間が経った。
あんなゴタゴタがあった後だ。
少しは気まずい雰囲気の一つも醸し出すのかと思いきや、やはりそこは米原である。
週明けの月曜日には、何事もなかったかのような態度で接してくる。
思えば、コイツには損な役回りをさせてばかりだ。
そろそろ、礼の一つもせねばなるまい。
「ゴリゴリの音信不通だな。この前の合コンが今生の別れ、かもな」
俺は精一杯どうでも良さそうな雰囲気を装い、応える。
「ハァ……。豊橋さんが居なくなってから、ますます陰キャに磨きが掛かっちまったなぁ〜。しゃーない! 今夜はキャバクラでも行くとするか!」
何が『しゃーない!』のかは不明だが、これは丁度いい。
米原への罪滅ぼし第一弾を決行することとしよう。
本音を言えば、金だけ渡して俺は帰りたいのだが。
ただまぁ……。あまりそういうのは良くない気がする。
「そうだな。たまには付き合ってやんよ」
俺が極めて事務的に返事をすると、米原は何も言わず呆然とする。
「ん? 何だよ? 行くっつってんだろ?」
「お、おう! そっか! いや、普通に断ると思ってたからよ。オッケ〜。じゃあそういうことで! お兄さん俄然ノッてきたよ〜!」
などと言いながら、意気揚々と喫煙ブースへ向かっていく米原だった。
何なんだ、コイツは……。
言い出しっぺのクセして。
しかし、合コンの次はキャバクラか。
何だかんだ一通り、社会人としての嗜みを堪能してしまっている自分につくづく嫌気が差す。
「現美で〜す。隣り失礼しま〜す!」
米原への負い目を解消するために、キャバクラの誘いに乗ったのはいいが、正直に言えば合コン以上に馴染みのない場所である。
こういう場では開き直りが重要だ。
なんせ、向こうは客商売のプロ。
女慣れしていないこちらが主導権を握ろうとすればするほど、オカシな方向へ進んでいくに決まっている。
ここは潔く相手に手綱を預け、プロのトークを堪能する他ない。
そう思えば、合コンよりかはいくらか気が楽ではある。
そんな俺を待ち受けていたのは、幸か不幸か、ノリで言えば女版・米原のようなキャストだった。
さて、プロのお手並み拝見と行くか。
「あー、羽島望です。同僚の付き合いで来ました。宜しくお願いします」
何の予防線だか自分でも分からないが、枕詞として言い訳染みたことを言ってしまった。
自分で言っていてなんだが、こういうのは相手に失礼だと思う。
そんな俺の無礼な挨拶をものともせず、彼女は職務を全うする。
「そうなんだ〜。じゃあこういう場所は初めて?」
「いや、初めてじゃない。だが、いつまでも初心を忘れたくないもんだな」
「あはは! 何、ソレ〜! 羽島っち、ウケる〜〜!」
やはり予想通り、完全移植版・米原だった。
偶然にしても質が悪い。
だが、俺のしょうもない掴みを大げさに笑って見せるあたり、プロの底力を感じる。
「それでー。お客さんなんか悩んでる感じー?」
「は? なんで?」
「何でって言われてもねー。そんな顔してるよ」
これは驚いた。
やはり人を見るプロは違う。
ここで一つの選択肢が生まれる。
どうせリピーターになるつもりもない。
彼女とは今夜限りでお別れだ。
何の責任も持たない第三者だからこそ言える、客観的な意見もあろう。
そう思い、俺はこれまでの一連流れと今後の身の振り方について、デリカシーという点では些か怪しいこの女に意見を乞うてみることにした。
「ふーん、そうなんだ。要するに、元カノの法事に行くか迷ってるってこと?」
思い切って聞いてみたものの、思いの他反応が軽い。
それなりにヘビーな話だと思っていたが。
「いや、まぁそうなんだけどさ……。冷静に考えれば確かにそれだけ、か……。ん?」
「いや、流石にそれだけとは言わないよ。羽島っちも凄い悩んでるんだと思うしさ」
「俺は、そんな悩むとか……。ただな、葬式も行かなかったわけだしな」
「でも、それも羽島っちなりに考えてのことなんでしょ?」
「まぁそう言われればそうなんだが……。ただそれを世間一般的に言えば、逃げと言うような気もするんだよな」
「そっかそっか! じゃあそんな羽島っちに問題です!」
「は?」
現美はコホンとワザとらしく、咳払いを交え続ける。
「一般的に法事に掛かる費用はいくらでしょう? はい、羽島っち!」
「知るかっ!」
「はい、残念! 20名規模で行うとして、お布施に会食費、卒塔婆代に供花・供物、引き出物等々、締めて40万円以上也」
「何で知ってんだよ……」
「凄いでしょ? 実家葬儀屋なんだ」
そう言うと、現美は胸を突き出し、得意気な笑みを浮かべる。
「……で、ソレがどうしたんだ?」
「戒名料とかがない分、お葬式と比べると費用は少ないけど、それでも結構するの。だから施主の立場としては、少しでも赤字を縮めたいわけ。分かる?」
「まぁそりゃ、そうだろうけどさ……」
「そ。だから欠席は少ないに越したことはないの。もちろん、どうしても都合が悪いなら、香典だけ渡すのもアリだけど、どうせ払うならちゃんとご飯食べて引き出物ももらった方がお得じゃない?」
「なんじゃそりゃっ!」
現美のあまりに的外れで本末転倒な意見に、思わず声を上げる。
そんな俺を見て、彼女は嬉しそうに吹き出す。
「ははは〜! ゴメンゴメン! チョット適当に言ってみたところある!」
この女……。
やはり彼女に相談したのは間違いだったか。
「でもさ……。実際、動機なんてそんなモンでいいんじゃない? あとでいくらでも後付できるんだし」
「そりゃまぁ、そうだが……」
腑に落ちない俺を見つめ、優しく微笑みながら彼女は続ける。
「確かに羽島っちが思っているように、人ってそういうの求めるよね。何かを始める立派な理由とか。そんなんないっつーの! コッチは目先の生活だけで精一杯だっつーの!」
彼女は何に向けてのものか分からない怒りを、何故か俺に向けて来る。
「私がキャバ始めた理由だって友達に『稼げるからやってみ〜』って言われたからってだけだし。でもやってみたら、結構楽しくてさ! まぁたまに面倒臭い客とかいるけど……」
そう言いながら、彼女は向かいの席でカラオケに勤しむ米原に視線を移す。
勝負曲と思しき一昔前の失恋ソングを得意気な顔で歌っていた。
酔いが回っているのか、そもそも音程という概念がないのかは定かではないが、どこぞのガキ大将並みの濁声に多くのキャスト陣は眉を顰めている。
ヤツが失くしたのは、恋だけではなさそうだ。
「ま、まぁ別に深い意味はないんだけどさっ!」
彼女は気まずそうに、こちらに視線を戻す。
「だからさ……。有り体に言っちゃうと、羽島っちがどうしたらいいかじゃなくて、どうしたいかだと思うんだよね。冷静に一つ一つ整理してみたら? 羽島っちが彼女とどんなカタチで向き合いたいのか」
まさに無責任の極みとも言える意見だ。
だが、確かに彼女の言う通り、理由などという崇高なものを求める方が間違っているのかもしれない。
「今日はありがと〜。また来てね〜」
「あー、こちらこそありがとう。何かヘンな話して悪いな」
俺がそう言うと、現美は何を言うでもなく微笑む。
さて、あまり乗り気ではなかったキャバクラも、終わってみればそれなりの収穫があったものだ。
俺は荷物をまとめ、帰り支度をする。
「あのー、すみません。この方のお連れ様、ですか?」
ふと、一人のボーイに呼び止められる。
彼が指差す方へ顔を向けると、すっかり夢の世界の住人に成り果てた米原の姿があった。
俺は大きな溜息を吐く。
「……ちゃんと持って帰ります。すみませんが、タクシー呼んでもらえますか?」
「はい。何か、すみません」
ボーイは困ったような笑みを浮かべながら、詫びを入れてくる。
それはこちらのセリフだ。
本当にこの男のブレなさ具合にはほとほと感心する。
「はい。えっと……、住所はこの免許証のヤツで。はい。すみません。よろしくお願いします」
それから十数分後、ボーイが呼んだタクシーがやってくる。
俺は運転手に米原の住むアパートの住所だけを告げ、ヤツの身を託した。
タクシーのドアを閉めようとした時、突如米原が腕を掴んできた。
「……ちょい待てよ」
大凡、意識混濁状態の人間が出すとは思えない力で、引き止めてくる。
俺は再び深い息を吐く。
「すみません、俺も乗ります……」
運転手は苦笑いを浮かべながら、俺の乗車を受け入れた。
米原を後部座席の右奥に強引に押し込み、自分が乗るスペースを確保する。
当の本人は、呼び止めたことなどどこ吹く風とばかりにスヤスヤと眠りこけている。
覚悟はしていたが、運転手を含め男3人の空間はやはりむさ苦しい。
米原が放つ酒臭さも相まって、こちらもヘンな酔い方をしてしまいそうになる。
そして、俺の心配を他所に車は静かに走り出す。
「お前……、法事行ってこいよ」
タクシーが走り出して、数分後。
沈黙を破ってきたのは、米原だった。
声の主は依然として目を瞑っており、本当に米原かどうかすら怪しく思える。
「……起きてるなら、言え」
「おい、答えろよ……。でないと……」
ムニャムニャと次の言葉が消え入ってしまった。
俺は法事に行かないと、米原に何をされてしまうのか。
それにしても、喋るのか寝るのかはっきりして欲しいところだ。
「飲み過ぎだっつーの……。俺は別に良いけど、店に迷惑かけんじゃねーよ」
「でーたー! ツンデレの権化ー! キモいからやめとけ……」
かつての記憶も蘇り、横のノンデリカシーの男を殴りそうになるが、既のところで拳を収める。
それからまた俺たちの間に、静寂が訪れた。
タクシーは、キャバクラ店のある最寄り駅に差し掛かる。
現在時刻は、日を跨ぐ直前だ。
内窓越しに駅前の様子を見ると、すっかり出来上がっている大学生集団が奇声を発していたり、妙齢のカップルが改札前の階段で話し込んでいたりと、極めて統一性のない景色が広がっている。
一般的には終電で帰るか、俺たちのようにタクシーに乗るか、もしくは駅前の宿泊施設なりで一夜を明かすか、判断が迫られる頃だ。
喧騒さと空虚さが共存している独特な時間帯であり、謎の緊張感がこみ上げてくる。
そんな中、米原は再び口を開く。
「豊橋さん、言ってたぞー」
「何を、だよ……」
「『羽島さんを何とかしてあげたい!』って。すっかり懐かれてんな」
「懐くとか、そんなんじゃねぇだろ……」
「他にもよー、『米原さんには悪いけど、内心ちょっとだけ楽しかったです……』とか言ってたんだぜ。酷くね?」
確かにそれは酷い。
だが三島が言っていたことが事実であれば、或いは……。
「まぁ俺が思ったよりガチだったから、本気で悪いとは思ってたらしいけどな。あの娘なりに気付かないようにしてたんだろうよ。お前と悪巧みしてる時に楽しんでる自分ってヤツに」
そこまで言われて、俺は何も言えなかった。
答えに窮する俺を見て、米原は更に続ける。
「いいんじゃねぇの? 続編的なヤツで。お前だって内心そう思ってんだろ?」
米原にそう言われた時、胸が締め付けられるような感覚がした。
自覚というほど、明確なものではないし、確信もしていない。
だが、何かが動き出した感触自体はあるのかもしれない。
いつかの駅前で出会ったあの日から。
「続編って……。そもそも初稿もまだ上がってないんだっつーの。第一、お前はそれで良いのかよ?」
「元々、俺なんかお呼びじゃなかったんだよ。だから気にすんなって……」
米原はそう言うと、ヘラっと口角を上げた。
そして、そのまま再び意識を手放してしまう。
それからアパートに着くまで、米原が目を覚ますことはなかった。