「急性転化……」
あの買い出しの日から1ヶ月が経った頃だった。
その日は突如として、訪れる。
安城たちの卒業旅行から無事に帰還した矢先のことだったので、内心このまま快方に向かうのではないかと、虫の良いことを考えていた。
当然、覚悟はしているはずだったが、いざこうしてまざまざと現実を見せつけられると、頭がついていかない。
「余命、3ヶ月だって……。まだ羽島くんにしか話してないよ」
電話口の尾道の声は震えていた。
余命という言葉が、重く突き刺さる。
「でさ……。どうするの?」
どうする、とは酷な質問だ。
彼女は、とうとう尾道以外に話すことはなかった。
最後の最後まで、この茶番を続けるつもりだったのだろう。
いや。今も、かもしれない
だからこそ尾道は、今俺の意志を確認しているのだろう。
とは言え、こうなってしまったからには続行不可能だ。
この騙し合いについては、不本意ながら俺の勝ちだ。
「いや、どうするも何も、もうこの茶番は終わりだ」
「違うよ。そうじゃなくてさ……」
やはり見透かされている。
きっと浜松はまだ続ける気がある。
それに俺が気付いていることを。
「……尾道。悪い。ちょっと色々整理したい。また電話する」
「そっか……。だよね。分かった。私も、何かあったら連絡するね」
俺は逃げるように、その電話を切った。
まずは現状の整理が最優先事項だ。
尾道は、浜松の余命は3ヶ月と言った。
いや。それは飽くまでも目安だろう。
状況次第で遅くも早くもなるということは、素人目でも分かる。
だから、そんな建前の数字をもとに逆算したところで、捕らぬ狸のナンタラだ。
しかし、彼女に課せられた運命を聞かされた後だというのに、妙に冷静な自分には驚かされる。
いや……。冷静などではなく、ただの逃避だろう。
彼女が居なくなった後の、世界。
そんなものは想像もつかない。
想像できないもの、予想できないものが一番恐ろしい。
現状分かるものを言語化する、箇条書きにする、具体化する。
それが目に見えない恐怖と対峙する上での最善策だ。
だから、俺はこの手を緩めることは出来ない。
少しでも残された時間を有効活用するためには、何か一つに絞る他ない。
俺は彼女があの時放った言葉を思い出す。
『一度終わったとしても、この場所でならまた始められる気がするから……』
まだ終わっちゃいねぇだろうが……。
そもそも、お前はホントに終わりを望んでいるのか?
終わらなきゃいけない理由があるのか?
アイツは勘違いしてるが、終わったらまた別の新しい物語が始まるだけだ。
別の主人公で。別のヒロインで。
お前はそれでいいのか?
気付けば俺は、部屋の隅に置かれた机に座り、デスクトップPCを起動させていた。
彼女の望むカタチでのラストシーン、それに繋げるための伏線。
その一切を見直し、俺は改稿作業に入った。
浜松 朔良がこの世に生まれ、その命を燃やした証となる最初で最後の作品。
それに相応しい終わり方があるはずだ。
嘘や欺瞞なんかで終わっていいはずがない。
ふとした拍子に過りそうになる迷いと悲しみを振り払うように、俺は淡々とキーボードを叩く。
カタカタと淡白な音を1kの部屋に響かせながら、粛々と時間は過ぎていく。
その日、俺は机から離れることはなかった。
脚本の改稿を決めてからというもの、空き時間のほぼ全てをそれに費やした。
仕事の合間を縫っての作業になり、心身ともに負担は凄まじかったが、それでもやってやれないことはない。
はっきり言って、ほとんど書き直しに等しいレベルだ。
それでも、客観的に見てカタチになっているとは思う。
だが一つだけ問題がある。
やはりラストシーンでどうしても矛盾が生じてしまう。
原因は分かっている。
それは他でもない、ヒロインのモデルが彼女自身だからだ。
それ故、ココで彼女ならきっとこんな選択をしないだろう、といった葛藤が生まれてしまうのだ。
これでは元も子もない。
そうしている間にも時は過ぎ、尾道からあの一報をもらってから3週間が過ぎようとしていた。
その日は平日だったが連日の疲れもあり、有休を取っていた。
とは言え、実際のところ休むことが主たる目的ではないのだ。
今一度全体を見渡し、少しでも違和感を払拭する必要がある。
そう思い、PCの電源に手を伸ばそうとした時、着信が鳴る。
尾道、か……。
「尾道か? どした?」
「羽島くん? 彼女の容態が少し落ち着いたみたいだから、面会に行ってみない?」
嫌でも言外に伝わって来る。
『これが多分、最期だよ』と。
それは他ならぬ、俺たちにとってのタイムリミットを告げる報せだった。
「分かった」
「そう……」
俺は何を分かったと言うのか。
尾道は何を分かったと思ったのだろうか。
「彼女の入院してる場所、三島記念病院ってところだから」
尾道は淡々と必要事項だけを告げて来る。
だから、俺はそれの返答をするまでだ。
聞かれても無いことをベラベラと喋る謂れは無い。
「分かった。何から何まで悪いな……」
「あ、あのさっ! 羽島くん!」
電話越しの尾道の声から、かつてない圧のようなものを感じた。
「ど、どうした?」
「羽島くんさ……、結局どうすることにした?」
どうすることにした、か……。
方向性を決め、進みだした。
だが、一向にたどり着かない。
いや、その方向にゴールがないことを分かっていながら進んでいるのか?
分からない。結局何が正解なのか。
「一応決めては、ある……」
「そっか……。分かった。二人のことだから、私はそれで良いと思う」
果たして、尾道はどこまで分かっているのだろうか。
俺がその答えを聞くことはなかった。
あの買い出しの日から1ヶ月が経った頃だった。
その日は突如として、訪れる。
安城たちの卒業旅行から無事に帰還した矢先のことだったので、内心このまま快方に向かうのではないかと、虫の良いことを考えていた。
当然、覚悟はしているはずだったが、いざこうしてまざまざと現実を見せつけられると、頭がついていかない。
「余命、3ヶ月だって……。まだ羽島くんにしか話してないよ」
電話口の尾道の声は震えていた。
余命という言葉が、重く突き刺さる。
「でさ……。どうするの?」
どうする、とは酷な質問だ。
彼女は、とうとう尾道以外に話すことはなかった。
最後の最後まで、この茶番を続けるつもりだったのだろう。
いや。今も、かもしれない
だからこそ尾道は、今俺の意志を確認しているのだろう。
とは言え、こうなってしまったからには続行不可能だ。
この騙し合いについては、不本意ながら俺の勝ちだ。
「いや、どうするも何も、もうこの茶番は終わりだ」
「違うよ。そうじゃなくてさ……」
やはり見透かされている。
きっと浜松はまだ続ける気がある。
それに俺が気付いていることを。
「……尾道。悪い。ちょっと色々整理したい。また電話する」
「そっか……。だよね。分かった。私も、何かあったら連絡するね」
俺は逃げるように、その電話を切った。
まずは現状の整理が最優先事項だ。
尾道は、浜松の余命は3ヶ月と言った。
いや。それは飽くまでも目安だろう。
状況次第で遅くも早くもなるということは、素人目でも分かる。
だから、そんな建前の数字をもとに逆算したところで、捕らぬ狸のナンタラだ。
しかし、彼女に課せられた運命を聞かされた後だというのに、妙に冷静な自分には驚かされる。
いや……。冷静などではなく、ただの逃避だろう。
彼女が居なくなった後の、世界。
そんなものは想像もつかない。
想像できないもの、予想できないものが一番恐ろしい。
現状分かるものを言語化する、箇条書きにする、具体化する。
それが目に見えない恐怖と対峙する上での最善策だ。
だから、俺はこの手を緩めることは出来ない。
少しでも残された時間を有効活用するためには、何か一つに絞る他ない。
俺は彼女があの時放った言葉を思い出す。
『一度終わったとしても、この場所でならまた始められる気がするから……』
まだ終わっちゃいねぇだろうが……。
そもそも、お前はホントに終わりを望んでいるのか?
終わらなきゃいけない理由があるのか?
アイツは勘違いしてるが、終わったらまた別の新しい物語が始まるだけだ。
別の主人公で。別のヒロインで。
お前はそれでいいのか?
気付けば俺は、部屋の隅に置かれた机に座り、デスクトップPCを起動させていた。
彼女の望むカタチでのラストシーン、それに繋げるための伏線。
その一切を見直し、俺は改稿作業に入った。
浜松 朔良がこの世に生まれ、その命を燃やした証となる最初で最後の作品。
それに相応しい終わり方があるはずだ。
嘘や欺瞞なんかで終わっていいはずがない。
ふとした拍子に過りそうになる迷いと悲しみを振り払うように、俺は淡々とキーボードを叩く。
カタカタと淡白な音を1kの部屋に響かせながら、粛々と時間は過ぎていく。
その日、俺は机から離れることはなかった。
脚本の改稿を決めてからというもの、空き時間のほぼ全てをそれに費やした。
仕事の合間を縫っての作業になり、心身ともに負担は凄まじかったが、それでもやってやれないことはない。
はっきり言って、ほとんど書き直しに等しいレベルだ。
それでも、客観的に見てカタチになっているとは思う。
だが一つだけ問題がある。
やはりラストシーンでどうしても矛盾が生じてしまう。
原因は分かっている。
それは他でもない、ヒロインのモデルが彼女自身だからだ。
それ故、ココで彼女ならきっとこんな選択をしないだろう、といった葛藤が生まれてしまうのだ。
これでは元も子もない。
そうしている間にも時は過ぎ、尾道からあの一報をもらってから3週間が過ぎようとしていた。
その日は平日だったが連日の疲れもあり、有休を取っていた。
とは言え、実際のところ休むことが主たる目的ではないのだ。
今一度全体を見渡し、少しでも違和感を払拭する必要がある。
そう思い、PCの電源に手を伸ばそうとした時、着信が鳴る。
尾道、か……。
「尾道か? どした?」
「羽島くん? 彼女の容態が少し落ち着いたみたいだから、面会に行ってみない?」
嫌でも言外に伝わって来る。
『これが多分、最期だよ』と。
それは他ならぬ、俺たちにとってのタイムリミットを告げる報せだった。
「分かった」
「そう……」
俺は何を分かったと言うのか。
尾道は何を分かったと思ったのだろうか。
「彼女の入院してる場所、三島記念病院ってところだから」
尾道は淡々と必要事項だけを告げて来る。
だから、俺はそれの返答をするまでだ。
聞かれても無いことをベラベラと喋る謂れは無い。
「分かった。何から何まで悪いな……」
「あ、あのさっ! 羽島くん!」
電話越しの尾道の声から、かつてない圧のようなものを感じた。
「ど、どうした?」
「羽島くんさ……、結局どうすることにした?」
どうすることにした、か……。
方向性を決め、進みだした。
だが、一向にたどり着かない。
いや、その方向にゴールがないことを分かっていながら進んでいるのか?
分からない。結局何が正解なのか。
「一応決めては、ある……」
「そっか……。分かった。二人のことだから、私はそれで良いと思う」
果たして、尾道はどこまで分かっているのだろうか。
俺がその答えを聞くことはなかった。