「あっ。きたきた。羽島さん!」
「うっす……。てか、こんな早くする必要あったか?」
「時間設定したの羽島さんじゃないっすか……」
平日であれば人でごった返している都心のターミナル駅も、休日の早朝ともあれば閑散としており、妙な緊張感が張り詰めている。
それは、間もなく始まるウキウキ休日ライフの前哨戦なのか、明日から始まる陰々滅々社畜ライフを暗に示しているのかは、定かではない。
だが、これだけは言える。
我々社畜は、このターミナル駅と末永くお付き合いしていかなければならない。
さて、そんな俺たちにとって何かと馴染みの深い駅だが、今回ばかりは使用用途が違う。
俺は先日の安城との飲み会の後、ある提案を持ちかけた。
それは、傷心・安城の慰労の意味も込めて『男だけでイク、ドキドキ温泉旅行』だ。
無論、目的はそれだけではないが……。
「そういやそうだったな。んじゃメンツも揃ったし行くか」
「羽島さん……。同僚の人も来るんですよね……」
「……ワザとに決まってんだろ。んじゃ、ちょっと電話してみるわ。……あー、もしもし。あ? 遅れる? なんだよウンコって……。分かった。先行ってる。現地集合でいいか? おけ。じゃあな」
米原との一件以来、ヤツは『俺にも手伝わせろ』とうるさい。
だからと言うわけでもないが、今回米原にも参加してもらうことにした。
もちろんタダで、ではない。
米原には、チョットした仕掛けを頼んだ。
ヤツの遅延もその布石だ。
「米原、遅れるってよ。スグに終わりそうもないから先行ってくれって」
「そっすか。んじゃ行きますか」
安城は心底どうでもよさそうに応える。
当然だ。
むしろ、他人の大腸のコンディションに興味津々であったのなら、それはそれで彼の行く末が心配になる。
だがな、安城。
もし、これが今後のお前を占う重要事項だったらどうする?
「そうだな。まぁ言うて、特急で1時間半くらいだ。ちょっとした中距離出張くらいと思ってくれればいい」
「出張って……。やめて下さいよ、休日まで。羽島さん、骨の髄まで社畜なんすか?」
「そうだな……。何か悪い」
会社は違えど、社会人として後輩を育てる。
広い意味で捉えれば、今回の慰安旅行(仮)も出張に含まれるかもしれない。
さぁ、安城。
今日は思う存分、自分自身を解放するがいい。
「ていうか、何でこの時季に温泉なんすか? 気持ちは嬉しいっすけど、正直外出って気分でもないんですけど……。超絶インドア派の羽島さんにしては珍しいっすね」
特急列車の窓側の指定席から、覇気のない表情で安城は問いかける。
普段の安城はこんな感じだ。
静かに淡々と、悪態をついてくる。
酒が入ると、更に少しだけややこしくなる部分も、先輩から見ればカワイイもんだ。うん。本当に。
「今のお前に足りてないのはセロトニンだ。超絶インドア派のお前がいつものように部屋に閉じこもっててもロクな考えにならんだろ。マイナスイオンたっぷりの温泉にでも浸かって、過去のことなんてキレイさっぱり水に流しちまえ!」
俺も負けじと煽り返しつつ、使い古された表現で今回の旅行の意図を説明する。
もちろん、口から出任せだ。
「過去、か……。そうか。もう過去なんだよなぁ」
そう言って、安城は力なく隣の俺の肩に凭れ掛かる。
アツい……。そして重い……。
ナメられてるのか、信用されているのかは分からないが、きっと安城なりの先輩に対する敬意のカタチなのだろうと、虫の良いことを考える。
「だぁもうっ!! 鬱陶しいっ!! 季節考えろっ!!」
「文句なら、ウチの元彼女に言って下さーい。フラれてなければ、そもそもこんなことしないし、こうして羽島さんと旅行にも来てませーん」
コ、コイツゥ……。
そうして調子に乗っていられるのも今の内だ。
これから数時間後、お前はトラウマ級の修羅場を迎えることになるだろう。
「……でも、考えてみりゃこうして二人でどこか行くのって久しぶりっすね。俺の卒業祝い以来っすか?」
「ん? あぁそうだな。まぁ、あん時は二人じゃなかったけどな」
俺がそう言うと、安城は口籠る。
「そう、でしたよね……。そう言えば。その、ごめんなさい。羽島さん」
「あぁ? 何がだよ?」
「俺あの後、羽島さんに連絡しようとしたんすよ。でも、出来なかった。何て声掛ければいいんだろって思っちゃって……」
「…………」
「そんな感じでズルズルと時間だけ経っちゃって、気付いたらもう2年近く」
「…………」
「この前、遊園地で偶然会った時、正直ちょっと安心しました。だって羽島さん、何か楽しそうにしてたから」
「…………」
「あぁ。もう羽島さんの中である程度整理ついたんだなって。ただ、何がきっかけだったのかは分からなかったけど」
「……もういいか。そう客観的に指摘されると、正直反応に困る」
「そ、そっすよね! スンマセン、変なコト言っちゃって」
黙って聞いてりゃ、次から次にベラベラと……。
普段そんなに喋らんクセに、こんな時だけ饒舌になりやがって。
本当に始末が悪い奴だ。
こりゃ、たっぷりとお仕置きが必要だな。
そんな俺たちの取るに足りない四方山話を華麗にスルーするかのように、特急列車は目的地へ向けて順調に進んでいく。
さて、いよいよか。
今後のことを考えると、血が騒ぐ。
そして当の安城はと言うと、隣りの席で呑気に眠り果てている。
既にこの男の中では、旅は終わっているのかもしれない。
これからがメインディッシュだというのに。
「おい、安城! 起きろ!」
「んー。あ、はい……。問題ないっす。死んでからが本当のサビ残の始まりっす……」
「どっちが骨の髄まで社畜だよ……。あと時節柄そういうのは止めとけ。着いたぞっ!」
「へっ!? あ……。そっすか。良かったぁ」
安城が夢でどれだけヒドイ目に遭ったのかは知る由もない。
だが、残念ながらこれからそれと同等か、それ以上のヒドい目に遭ってもらうことになる。
車両を降りると、温泉街特有の硫化水素の臭いが俺たちを出迎えた。
早朝で山間部ということもあり、この時季にしてはやや肌寒い。
駅舎の周りを見渡すと、線路越しから首都圏らしからぬ古風な建物が並んでおり、20代の分際でありながらノスタルジックな気分になってしまう。
そんな環境の後押しもあってか、俺は今後の展開を想像し胸を踊らせる。
罪悪感?
そんなものは1kのアパートに置いてきた。
「マジ臭いっすね、ココ」
車両を降りるなり、安城は一撃で空気を壊しかねない言葉を言い放った。
そういうとこだぞ。
「……まぁ、温泉街なんてこんなもんだ」
「ふーん、そっすかね。てか、今日休日ですよね? 人少なくないっすか?」
駅舎を見渡すと、確かに安城の言う通り、人並みは疎らだ。
無理もない。
休日とは言え、現在朝の7時台。
まだまだ各施設の営業が始まるまでには時間がある。
これこそが俺の狙いだ。
バカみたいに早起きした甲斐があったというものだ。
「まぁこの時間ならこんなもんだろ」
「そっすかね。んじゃ、早いとこ改札降りましょうか。あっ、そうだ! 米原さん? でしたっけ? 何時くらいになりそうっすかね?」
「俺たちの一本後だって言ってたからな。多分、後15分くらいで着くんじゃねぇか」
「りょーかいっす。あ、スンマセン……。ちょっとトイレ行っていいっすか?」
「了解。んじゃ先降りてるわ。改札の前で待ってるぞ」
「スンマセン。お願いします」
そう言うと、安城はそそくさと用を足しに行った。
「スンマセン。お待たせしました」
「うぃ。遅かったな」
「ごめんなさい……。隠してましたが、ウンコしてました」
「……別に隠さんでいい」
先程来から続く、旅の和やかな雰囲気を裸で蹂躙するような安城の発言に、少しペースを乱されそうになる。
しかし、安城が快調であったが故に小休憩が取れたと思えば、安城の大腸には感謝こそすれ、恨む筋合いなどどこにもない。
「えっと……、それで米原さん? は、まだ来ないんすか?」
「それなんだけどな……、なんか急に連絡つかなくなったんだよ」
「えっ? そうなんすか? またウンコっすかね?」
「分からん……。ちょっともう一回電話してみるわ」
「了解っす」
そして俺はスマホを右耳に当て、電話を掛けるフリをする。
「あーもしもし! お前今ど……、へ? あの……、どなたですか? はい。はい。えっ!!?? 米原が刺されたっっ!!??」
横目で安城の様子を確認すると、露骨に顔色を変えていた。
「キャーーーーーーーッッッ!!!」
時を同じくして、改札口の方から甲高い叫び声が聞こえてきた。
「ちょっ!? 羽島さん!? 何か中であったみたいなんすけど!」
「スマンっ!! 安城ッ!! 米原がヤバいみたいなんだ!!」
「えっ!! でも、こっちはこっちで……」
すると、駅構内から黒の衣装に身を包んだ男が若い女性の腕を掴み、こちらに向かって全速力で走ってきた。
さて、安城。
ここからお送りする一大スペクタクルを篤と楽しむがいい。
「うっす……。てか、こんな早くする必要あったか?」
「時間設定したの羽島さんじゃないっすか……」
平日であれば人でごった返している都心のターミナル駅も、休日の早朝ともあれば閑散としており、妙な緊張感が張り詰めている。
それは、間もなく始まるウキウキ休日ライフの前哨戦なのか、明日から始まる陰々滅々社畜ライフを暗に示しているのかは、定かではない。
だが、これだけは言える。
我々社畜は、このターミナル駅と末永くお付き合いしていかなければならない。
さて、そんな俺たちにとって何かと馴染みの深い駅だが、今回ばかりは使用用途が違う。
俺は先日の安城との飲み会の後、ある提案を持ちかけた。
それは、傷心・安城の慰労の意味も込めて『男だけでイク、ドキドキ温泉旅行』だ。
無論、目的はそれだけではないが……。
「そういやそうだったな。んじゃメンツも揃ったし行くか」
「羽島さん……。同僚の人も来るんですよね……」
「……ワザとに決まってんだろ。んじゃ、ちょっと電話してみるわ。……あー、もしもし。あ? 遅れる? なんだよウンコって……。分かった。先行ってる。現地集合でいいか? おけ。じゃあな」
米原との一件以来、ヤツは『俺にも手伝わせろ』とうるさい。
だからと言うわけでもないが、今回米原にも参加してもらうことにした。
もちろんタダで、ではない。
米原には、チョットした仕掛けを頼んだ。
ヤツの遅延もその布石だ。
「米原、遅れるってよ。スグに終わりそうもないから先行ってくれって」
「そっすか。んじゃ行きますか」
安城は心底どうでもよさそうに応える。
当然だ。
むしろ、他人の大腸のコンディションに興味津々であったのなら、それはそれで彼の行く末が心配になる。
だがな、安城。
もし、これが今後のお前を占う重要事項だったらどうする?
「そうだな。まぁ言うて、特急で1時間半くらいだ。ちょっとした中距離出張くらいと思ってくれればいい」
「出張って……。やめて下さいよ、休日まで。羽島さん、骨の髄まで社畜なんすか?」
「そうだな……。何か悪い」
会社は違えど、社会人として後輩を育てる。
広い意味で捉えれば、今回の慰安旅行(仮)も出張に含まれるかもしれない。
さぁ、安城。
今日は思う存分、自分自身を解放するがいい。
「ていうか、何でこの時季に温泉なんすか? 気持ちは嬉しいっすけど、正直外出って気分でもないんですけど……。超絶インドア派の羽島さんにしては珍しいっすね」
特急列車の窓側の指定席から、覇気のない表情で安城は問いかける。
普段の安城はこんな感じだ。
静かに淡々と、悪態をついてくる。
酒が入ると、更に少しだけややこしくなる部分も、先輩から見ればカワイイもんだ。うん。本当に。
「今のお前に足りてないのはセロトニンだ。超絶インドア派のお前がいつものように部屋に閉じこもっててもロクな考えにならんだろ。マイナスイオンたっぷりの温泉にでも浸かって、過去のことなんてキレイさっぱり水に流しちまえ!」
俺も負けじと煽り返しつつ、使い古された表現で今回の旅行の意図を説明する。
もちろん、口から出任せだ。
「過去、か……。そうか。もう過去なんだよなぁ」
そう言って、安城は力なく隣の俺の肩に凭れ掛かる。
アツい……。そして重い……。
ナメられてるのか、信用されているのかは分からないが、きっと安城なりの先輩に対する敬意のカタチなのだろうと、虫の良いことを考える。
「だぁもうっ!! 鬱陶しいっ!! 季節考えろっ!!」
「文句なら、ウチの元彼女に言って下さーい。フラれてなければ、そもそもこんなことしないし、こうして羽島さんと旅行にも来てませーん」
コ、コイツゥ……。
そうして調子に乗っていられるのも今の内だ。
これから数時間後、お前はトラウマ級の修羅場を迎えることになるだろう。
「……でも、考えてみりゃこうして二人でどこか行くのって久しぶりっすね。俺の卒業祝い以来っすか?」
「ん? あぁそうだな。まぁ、あん時は二人じゃなかったけどな」
俺がそう言うと、安城は口籠る。
「そう、でしたよね……。そう言えば。その、ごめんなさい。羽島さん」
「あぁ? 何がだよ?」
「俺あの後、羽島さんに連絡しようとしたんすよ。でも、出来なかった。何て声掛ければいいんだろって思っちゃって……」
「…………」
「そんな感じでズルズルと時間だけ経っちゃって、気付いたらもう2年近く」
「…………」
「この前、遊園地で偶然会った時、正直ちょっと安心しました。だって羽島さん、何か楽しそうにしてたから」
「…………」
「あぁ。もう羽島さんの中である程度整理ついたんだなって。ただ、何がきっかけだったのかは分からなかったけど」
「……もういいか。そう客観的に指摘されると、正直反応に困る」
「そ、そっすよね! スンマセン、変なコト言っちゃって」
黙って聞いてりゃ、次から次にベラベラと……。
普段そんなに喋らんクセに、こんな時だけ饒舌になりやがって。
本当に始末が悪い奴だ。
こりゃ、たっぷりとお仕置きが必要だな。
そんな俺たちの取るに足りない四方山話を華麗にスルーするかのように、特急列車は目的地へ向けて順調に進んでいく。
さて、いよいよか。
今後のことを考えると、血が騒ぐ。
そして当の安城はと言うと、隣りの席で呑気に眠り果てている。
既にこの男の中では、旅は終わっているのかもしれない。
これからがメインディッシュだというのに。
「おい、安城! 起きろ!」
「んー。あ、はい……。問題ないっす。死んでからが本当のサビ残の始まりっす……」
「どっちが骨の髄まで社畜だよ……。あと時節柄そういうのは止めとけ。着いたぞっ!」
「へっ!? あ……。そっすか。良かったぁ」
安城が夢でどれだけヒドイ目に遭ったのかは知る由もない。
だが、残念ながらこれからそれと同等か、それ以上のヒドい目に遭ってもらうことになる。
車両を降りると、温泉街特有の硫化水素の臭いが俺たちを出迎えた。
早朝で山間部ということもあり、この時季にしてはやや肌寒い。
駅舎の周りを見渡すと、線路越しから首都圏らしからぬ古風な建物が並んでおり、20代の分際でありながらノスタルジックな気分になってしまう。
そんな環境の後押しもあってか、俺は今後の展開を想像し胸を踊らせる。
罪悪感?
そんなものは1kのアパートに置いてきた。
「マジ臭いっすね、ココ」
車両を降りるなり、安城は一撃で空気を壊しかねない言葉を言い放った。
そういうとこだぞ。
「……まぁ、温泉街なんてこんなもんだ」
「ふーん、そっすかね。てか、今日休日ですよね? 人少なくないっすか?」
駅舎を見渡すと、確かに安城の言う通り、人並みは疎らだ。
無理もない。
休日とは言え、現在朝の7時台。
まだまだ各施設の営業が始まるまでには時間がある。
これこそが俺の狙いだ。
バカみたいに早起きした甲斐があったというものだ。
「まぁこの時間ならこんなもんだろ」
「そっすかね。んじゃ、早いとこ改札降りましょうか。あっ、そうだ! 米原さん? でしたっけ? 何時くらいになりそうっすかね?」
「俺たちの一本後だって言ってたからな。多分、後15分くらいで着くんじゃねぇか」
「りょーかいっす。あ、スンマセン……。ちょっとトイレ行っていいっすか?」
「了解。んじゃ先降りてるわ。改札の前で待ってるぞ」
「スンマセン。お願いします」
そう言うと、安城はそそくさと用を足しに行った。
「スンマセン。お待たせしました」
「うぃ。遅かったな」
「ごめんなさい……。隠してましたが、ウンコしてました」
「……別に隠さんでいい」
先程来から続く、旅の和やかな雰囲気を裸で蹂躙するような安城の発言に、少しペースを乱されそうになる。
しかし、安城が快調であったが故に小休憩が取れたと思えば、安城の大腸には感謝こそすれ、恨む筋合いなどどこにもない。
「えっと……、それで米原さん? は、まだ来ないんすか?」
「それなんだけどな……、なんか急に連絡つかなくなったんだよ」
「えっ? そうなんすか? またウンコっすかね?」
「分からん……。ちょっともう一回電話してみるわ」
「了解っす」
そして俺はスマホを右耳に当て、電話を掛けるフリをする。
「あーもしもし! お前今ど……、へ? あの……、どなたですか? はい。はい。えっ!!?? 米原が刺されたっっ!!??」
横目で安城の様子を確認すると、露骨に顔色を変えていた。
「キャーーーーーーーッッッ!!!」
時を同じくして、改札口の方から甲高い叫び声が聞こえてきた。
「ちょっ!? 羽島さん!? 何か中であったみたいなんすけど!」
「スマンっ!! 安城ッ!! 米原がヤバいみたいなんだ!!」
「えっ!! でも、こっちはこっちで……」
すると、駅構内から黒の衣装に身を包んだ男が若い女性の腕を掴み、こちらに向かって全速力で走ってきた。
さて、安城。
ここからお送りする一大スペクタクルを篤と楽しむがいい。