「結構待つみたいだね。ヒマだからしりとりでもしよっか!」
時は6月。
季節はカビや食中毒の最盛期である、梅雨真っ盛りだ。
『June Bride』などと一部の方面では何かと持て囃される月だが、結婚強化月間がカビや食中毒と隣り合わせとは皮肉な話だ。
せめて夫婦関係だけは、未来永劫腐らないことを老婆心ながら祈るばかりである。
さて、見方によって見解が分かれる季節だが、外出の予定を立てにくいというのも、また一つの側面だ。
だが、そこは流石の米原。
持ち前の晴れ男スキルを存分に発揮し、豊橋さんとのデート当日を見事に梅雨の中休みに当てて見せた。
まさに力技だ。
いや、むしろ愛の力か?
元来、雨男の俺と上手い具合に中和し、絶好の薄曇りといって差し支えない天候だ。
どうでも良いが、何故晴れ男だの雨男だのといった定説は一定の信憑性を帯びているのだろうか。
日本の叡智と呼ばれる方々には、そろそろこの辺りを科学的に立証していただきたいところだ。
そんな下らない思考に耽りながら、今日も今日とて二人のストーキング活動に精を出す俺がいる。
そして米原。
しりとりって何だ、しりとりって。
「そうですね……。30分待ち、ですもんね。でも自信ないなぁ……」
季節が季節とは言え、世間的に言えば土曜日だ。
テーマパークにとって見れば紛れもない書き入れ時だから、ある程度の待ち時間は止むを得ないだろう。
ましてや、今二人が乗ろうとしているジェットコースターといったメインコンテンツであれば尚更だ。
「そんなのいいよ適当で。掛川さんから行ってみよう! じゃあ、しりと『り』」
「えっ!? そうですね……、り、り、遼東半島!」
「う、うさぎ!」
「ぎ、ぎ、ぎょう虫検査!」
「さ、さかな!」
「なー、なー……、内部告発!」
「つ、つめ!」
「め、メコン川!」
豊橋さんの何ともクセの強いワードチョイスに対して、小学生並みの知能で応戦する米原、という構図は傍から見ていても非常に歪だ。
どこから突っ込めばいいのか見当もつかないやり取りに、二人の行く末を案じてしまう。
「あの……、羽島さん、ですか?」
不意に背部から浴びせられた声に、一瞬思考が止まる。
また職務質問か。
怪しいというのは十分自覚しているが、さすがにこの短期間で二回もされてしまうのは精神的にクルものがある。
恐る恐る後ろを振り向く。
すると、マッシュベースの無造作ヘアのアンニュイな雰囲気の男が立っていた。
「お前は……、安城か」
「お久しぶりです。羽島さん」
安城 翼紗。
俺の大学時代のサークルの後輩だ。
コイツとは好きな映画なども一致し、冴えない学生時代においての数少ない仲間の一人である。
だから、サークル外でも良くつるんでいたし、しょっちゅうメシに連れて行ったこともある。
とは言え、お互い社会人ともなると流石に会う頻度も限られ、近頃とんとご無沙汰だった。
「あの……、羽島さん。もしかして一人、ですか?」
安城は奇怪なものを見るような目で、恐る恐る問いかけてくる。
「は、はぁ!? んなわけねぇだろ!」
知り合いとの邂逅により気が動転し、咄嗟に嘘をついてしまった。
というより、無駄に強がってしまった。
「で、ですよね。安心しました!」
俺は2つ下の後輩に対して、何を心配されていたのだろうか。
「余計な心配すんなっての……。お前こそ一人か?」
「えっ!? やだなぁ、羽島さん。冗談言わないで下さいよ! 彼女がトイレ行ってるんでココで待ってるんですよ!」
クソがっ!!!
つーか、コイツにとって俺は冗談みたいな存在なのか?
だが無理もない、か。
繰り返しになるが、今日は土曜日だ。
健康的な20代の男子が、彼女の一人や二人連れて遊園地へ繰り出すことに何の違和感があるだろうか。
冗談みたいな特殊事情を抱えている俺とはそもそも人種が違う。
「あー、そうかいそうかい。そりゃお幸せに。彼女もうすぐ来るんだろ? まぁまた時間出来たらメシでも行こうぜ」
俺は居心地の悪さを誤魔化すため、半ば強引に別れを切り出した。
「は、はいっ。また。あの……、羽島さん。この前、彼女のこと聞きました」
嫌でも、ピクリと反応してしまう。
その後、安城は悪気もなく言いたい放題続ける。
「あの……色々大変だと思いますけど、あんまり思い詰めないで下さい! 話ならいくらでも聞くんで!」
本当に俺の周りにはお節介なヤツが多い。
それも残酷なレベルで、だ。
ようやく忘れかけた頃に、イロイロとほじくり返すような真似しやがって。
「だから余計な心配すんなっつったろ! 俺のことはいいから! ちゃんと彼女喜ばせてやれよ!」
「は、はい……。すみません。じゃあ!」
そう言うと、既にトイレを終えスマホの画面に夢中になっている彼女の元へ、小走りで駆け寄る。
安城と彼女は、俺に向けてペコリと会釈をすると、人混みの中へ消えていった。
思わぬ伏兵にペースを乱されたが、俺は気を取り直して二人の監視を続ける。
どうやら、もうすぐ彼らの順番のようだ。
いよいよだ。
ここから、俺の仕掛けが始まる。
「おっ、次じゃん! 俺、ジェットコースターとか超久々なんだけど!」
「わ、私もです。スゴく緊張します……」
豊橋さんが緊張している、というのは紛れもない事実だ。
だが、それはジェットコースターに、ではない。
恐らく彼女は、これから先上手く立ち回れるのかどうかを憂いているのだろう。
これだ!
これこそが、俺が決戦場としてジェットコースターを選んだ理由だ!
彼女の緊張感が別のベクトルへ向いていると錯覚させることで、より自然に今後の展開を進める狙いがある。
観覧車や動物ショーでは、こうは行くまい。
現に豊橋さんは目の前のジェットコースターなどどこ吹く風といった様子だ。
もっとも、ソレが分かるのはこの地球上で俺だけなのだが。
なあに。
豊橋さんは、飽くまで俺に合わせていつもの調子で応答するだけだ。
そんなことを思いながら、俺はスマホの画面を彼女の番号に照準を合わせつつ、コソコソと物陰へ移動する。
無論、184を忘れてはならない。
俺は画面に表示された〝通話〟を、得意気にタップする。
「あっ! すみません。電話、みたいです。出てもいいですか?」
「え? 良いけどもうすぐ俺たちの番来ちゃうよ?」
「な、なるべく早く済ませますので!」
そう言って、彼女は緊張で震える指を画面に伸ばす。
「あの、もしもし……」
彼女が消え入りそうな声で呼び出しに応答すると、俺は深く息を吐く。
そして、出せ得る限りドスの効いた声で、まくし立てる。
「ぬぅあーーーーーーーにが、もしもしじゃっっ!! このタコッ! ボケッ! ハゲカスッ! (自主規制)!」
「ひぃぃぃっ!」
「返済日とっくに過ぎとんねんっ!! こちとらカタギとちゃうから、イロイロと選択肢あんねんっ!! どこが希望やっ!? 飛田かっ!? 松島かっ!? かんなみかっ!?」
その瞬間、後悔の念に駆られる。
やはりキャラにないことはするべきでない。
というより、それ以前に完成度が低すぎる。
あれほど浴びるように映画を観ておきながら、任侠映画は守備範囲外であったことが悔やまれる。
おかげで、こうしてステレオタイプ的な半グレイメージに頼らざるを得なくなる。
「ご、ごごごごごごめんなさいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
案の定、豊橋さんはかつてないほど動揺している。
いや。厳密に言えば、恐怖体験だ。
これは、クラスの目立たない男子が、部活動の後輩相手にマジギレしている様子を目の当たりにした時の感覚に近い。
新たな一面と言えばそれまでだが、ある種の失望を生む危険性も孕む。
よって繰り返しになるが、キャラにないことはするべきでない。
「ど、どうしたの?」
豊橋さんの異変に気付いた米原は、豊橋さんに駆け寄る。
大方、何があったか察しがついたのだろう。
もっとも、これだけ大声を出したんだ。
電話越しでも、内容は十分に伝わっているはずだ。
「は、はい。あの例の貸金業者さんから……」
よしよし、今のところ良く立ち回れている。
彼女たちを物陰から遠目で確認しつつ、再びスマホのマイク部分に顔を近づける。
「あっ!? なんやっ!? カレシ連れかっ!? 借りた金も返さずに男遊びとは良い御身分じゃのう〜〜!」
正直、少し楽しくなってきている。
まともな精神状態であれば、やっていられないからな。
俺の煽りに豊橋さんは堪らず、電話口を離す。
そんな豊橋さんを見た米原は、遠目で見ても明らかに動揺している。
さて、米原。
ここからお手並み拝見といこうか。
人生初の反社会的勢力()、順番待ちのアトラクション、周囲の奇異の目、そして何より想い人たる豊橋さんの縋るような瞳。
お前はこれらにどう対応する?
「あ、あのさ……。俺、代わろっか?」
そう提案する米原の声が、電話越しから響いた。
嘘、だろ?
一体何の勝算があるというのか。
いや、待て。
もしかして……、バレてる?
嫌な予感が胸を過るが、ここで取り乱してはこれまでの努力が全て無に帰す。
落ち着け。
相手は米原だ。
冷静にやり過ごせば、こちらのテンポに持っていけるはずだ。
「え、えっと……。どうしましょう?」
豊橋さんは小さな声で、指示を仰ぐ。
「……分かった。代わってくれ」
俺がそう言うと、豊橋さんはスマホを米原に渡す。
すると、米原は目の前のスタッフに頭を下げ、豊橋さんの手を引きながらアトラクションの列を離れる。
そのまま俺のいるトイレのちょうど向かい側にある売店の裏側へ消えていってしまった。
その刹那、電話越しから耳を劈くような轟音が俺の鼓膜を襲った。
「ダァァァレじゃっっおんどれはっっ!!??」
あまりに予想外の展開に頭がついていかない。
そして、俺自身若干、というかだいぶ怯みつつある。
だが、こちらとて百戦錬磨の半グレ集団としての威信()がある。
このまま、この男のペースにハマるわけにはいかない。
「テ、テメェこそ誰じゃコラ!」
駄目だ。
明らかにパワー不足である。
何度も繰り返すが、キャラにないことはするべきでない。
「あぁんっ!? ワイかっ!? ワイはおんどれらのケツモチじゃっ!!! 住○○つったら分かるやろが、ボケェェェッッ!!!」
「ひぃいいいい……」
俺の消え入りそうな断末魔に構うことなく、米原は続ける。
「おんどれが売り飛ばそうとしてる女は、もうコッチで競売かけとんじゃっっ!!! おんどれがやろうとしてることは立派な窃盗じゃ、ボケェェェェェッッッ!!!」
「は、はい……。すみません……」
何かとツッコミどころも多い設定だが、流石にここまでされると戦意も喪失するというものである。
「二度とウチの女に近づくんやないぞっっ!!! ええかっっ!? 分かったかっっ!?」
「は、はい。今後とも何卒……」
俺は逃げるように電話を切った。
もし、本物の半グレだったら、その後どうしていたのだろう。
そう思えば、あの男のメンタル構造は計り知れない。
好きな女のためにあれだけのハッタリをかますなど、常人に真似出来るだろうか。
米原の本気度が伺える。
元々悪いヤツではないとは思っていたが、俺はこの男を少し見誤っていたようだ。
米原は、決して軽薄ではない。
それがこうして露呈してしまった以上、このマニュアルにおける『case.1』は事実上のご破産だ。
やはり、もうネタ晴らしするしかない。
ネタ明かしのため二人の元へ向かうと、既に他を寄せ付けぬ空気感が生まれつつあった。
所謂、いい感じの雰囲気である。
「あの、なんて言っていいか分かりませんが……。兎に角ありがとうございますっっ! あと、ヘンなことに巻き込んで本当に申し訳ありませんっ!」
豊橋さんはそう言うと、深々と頭を下げる。
そんな彼女を見て、米原は柔らかい笑みを浮かべ、語りかける。
「俺、掛川さんから話聞いた後、色々調べたんよ。そしたらやっぱり、バックに暴力団がいるみたいだったんだよね。だから、まぁ……、ちょっとしたハッタリってやつ?」
米原は笑いながら、あっけらかんと話している。
「は、はぁ……」
「利息とかもすんごい高いっしょ? そもそも半グレだし、余裕で貸金業法違反だからもう返す必要ないよ! とりあえず拗れる前に警察に行こう。何なら一緒に説明するし!」
「あ、ありがとうございます……」
「あ、あとさ……、俺の方こそゴメンッ!!」
次は米原が、深々と頭を下げる。
「っ!? やめて下さいっ!! 米原さんが私に謝ること、ですか!? そんなの一つもないですよ!!」
「いやっ! ホントはキミから話を聞いた後、スグに動くべきだったんだ。でもさ……。やっぱり恐かったんだ。調べれば調べるほど沢山怖い情報出てくるし、俺なんかじゃどうにも出来ないって思っちゃったんよね……」
「米原さん……」
「『俺も関係者だ!』なんてエラそうなこと言っといてこのザマだよ。はは……。俺ダサ過ぎっしょ!」
「そ、そんなこと……、絶対ないですっ!!」
「最初は羽島にも何か協力してもらおうと思ったんだけどさ。でも、やっぱりさ。こればっかりは自分でナンとかしないとって思ったんだよね。好きな女のコトだし」
「よ、米原さんっ!?」
米原はスゥーと息を吐いた後、覚悟を決めるように切り出す。
「だから、さ……。これから先、こんなことが起こらないように名実ともに関係者にして欲しいんだ。俺に最後まで責任取らせてくれ。俺と……」
「もういい。そこまでだ、米原」
俺は米原の最後の一撃を、既のところで防ぐ。
「えっ! 羽島っ!? これってどういう……」
米原は動揺のあまり、俺と豊橋さんを交互に見つめる。
それに合わせ豊橋さんの表情は一層曇り、もはや後ろめたさを隠せなくなっている。
「米原。この場で一番謝るべきは俺なんだ」
「はぁ? どういう意味だよ?」
俺はその後、これまでの一連の種明かしと、マニュアル作りの目的についてなどを順を追って説明していった。
今更だが俺が仕出かしたことは、米原にとってトラウマになりかねない残酷なものだ。
いや。
俺が、というよりそもそもデート商法自体が、ということなのかもしれない。
だからと言って、俺の罪が許されるわけではないが。
「つーわけだ。分かったか、米原」
俺の話を聞いた後、米原は表情を曇らせ、顔を俯かせる。
無理もない。
さすがの米原とて、この展開には堪えるものがあるだろう。
「あ、あの……、米原さん。本当に申し訳ありませんでした……」
俺に便乗し、豊橋さんは米原に言い寄る。
だが、それはお門違いというものだ。
彼女はただの駒に過ぎない。
だから、ここは俺自身が出来得る限りの誠意を見せる必要がある。
「豊橋さんは関係ねぇっ!! 黙ってろっ!!」
俺の圧に豊橋さんはたちまち怯む。
「なぁ、米原。お前の本気度は見せてもらったよ。だから、許してくれとは言わん。何なら絶縁してもらっても構わない。まぁ会社では仕事に差し支えないレベルで接してくれると助かるがな」
誠意? どこがだ。
上から目線で、勝手に言いたいことを言ってるだけだ。
だが、豊橋さんにヘイトが向かってしまうのを防ぐためには、こうするしかない。
だからある意味で、これは今俺が示せる最大限の誠意のカタチだ。
そんな俺を他所に米原は、なおも顔を俯かせる。
しかし、何かを吹っ切るように深く息を吐くと、不意をつくように大声を上げる。
「カーーーーーーーッッッ!! マジかよっっっ!!!!!!」
「よ、米原さんっっ!?」
米原の様子の変化に、豊橋さんの頭はついていかないようだ。
「羽島が絡んでたのかよっ!! あん時はしらばっくれやがって、コンニャローッッッ!! アレ? つーか俺、チョー間抜けじゃね!? はぁ……。マジで羽島にしてやられたわ」
「米原……、お前」
「つか、掛川さ……、じゃなかった豊橋さんか? あんなん普通に信じるっしょ!? マジで斬新だわ……」
そうか。お前はそういう奴だったな。
いつもの調子でまくし立てる米原の姿を見て、実感する。
これ以上俺が卑屈な態度を継続することは、きっと米原にとっても本意ではない。
それこそ俺の嫌いな忖度の無限地獄だ。
もし、俺が受けるべき罰があるとするなら、この後ろめたさなのかもしれない。
だから、俺は素直に米原の厚意に甘えることにした。
「ふっ。どうよ? 俺の描いた完璧なシナリオは?」
「調子乗りやがって! にしても、ベタすぎんだろうがよ!」
米原はケラケラと笑いながら、俺の頭を叩く。
「うるせぇ。お前程度を嵌めるのなんてこのレベルで十分なんだよ!」
「おうおう、好き勝手言いやがって。お前分かってんだろうな? 罰として今度キャバクラ奢れな!」
「あぁ……。分かってるよ」
軽い。あまりに軽すぎる。
この男を失うことに比べれば。
そんな俺たちを尻目に、なおもアタフタとする豊橋さんに向けて、米原は声を掛ける。
「あ、えっと……、豊橋さん? か。あのさ。俺が言うのもなんだけど、気にしないでよ! 羽島が言うように、これで豊橋さんが成長出来ればいいんだしさ」
それでも豊橋さんは何も応えない。
そんな彼女を見かね、俺も米原に便乗する。
「米原の言う通りだ。人が騙されるメカニズムってヤツ、少しは勉強になったろ? それが分かれば、もうアンタも騙されなくなるだろ」
「確かにそういう話でしたね……」
「あとな。もう一つ言っておく。人生どんなに真面目に生きているつもりでも、必ずどっかのタイミングで槍玉に上げられることがあんだよ。それだけ、人の正義感だとか常識だとかはアヤフヤってことだな。そん時に反省して改めるのか、突っ張るのか。きっとアンタにはそれを判断する軸がまだねぇんだよ」
「それは……、そうかもしれませんが……」
「確かに俺たちは嘘を吐いた。だが、な。程度の違いはあれ、嘘を吐かない人間なんているか? 動機なんてどうでもいい。嘘そのものが悪だとしたら、俺たちは24時間365日罪の意識に苛まれなきゃならん。一応言っとくが、デート商法を肯定してるわけじゃねーぞ」
「は、はぁ……」
すると、米原は呆れるように深く溜息を吐く。
「羽島。お前、難しく言い過ぎ! これだから陰キャは……」
「おい! せっかくスルーしてやってたのにまだ言うか」
「陰キャだろうが、どっからどーみても。要するにさ、豊橋さん」
「は、はい……」
米原は豊橋さんに向き直り、満面の笑みを浮かべ話す。
「この1ヶ月、豊橋さんのおかげで楽しかったよ! 楽しい嘘をありがとう!」
「米原さん……」
きっと、これで彼女の中の罪悪感はいくらか昇華されたはずだ。
結局、最後の最後まで米原に持っていかれてしまった。
この借りは、キャバクラ一回などでは到底足りないだろう。
「あ、ありがとうございますっっ!!!」
「あっ! 言っとくけど、俺まだ豊橋さんのこと諦めてないから! 隙があったらまた狙っちゃうよ!」
「えぇ……」
冗談めいた雰囲気で宣言する米原に、豊橋さんは言葉に詰まる。
「この後、どうしよっか? 飲み行かない? とりあえず羽島。お前は朝まで決定な」
「へいへい……。分かってるよ」
「豊橋さんもどう?」
「私は……、ごめんなさい。今日のところ失礼します」
「そっか! 了解!」
やはり、ここまで心労が溜まっていたのだろう。
豊橋さんは俺たちを残し、一人帰路へついた。
「ふーん、やっぱそういうことだったのか」
帰路へつく彼女の背中を見つめながら、米原は意味深な笑みを浮かべる。
「はぁ? 何がだよ?」
「いやさ。最近、羽島がヤケに楽しそうだったからさ」
これだから、ノンデリカシーの男は困る。
いつもいつも分かったようなクチ利きやがって。
だが悔しいかな。完全に否定は出来ない。
「……まぁな。お前の無様な泣き顔見れると思うと、興奮して夜も眠れない日々だったよ」
「お前マジでその内、友達失くすぞ……。でもさ」
すると、不意に米原の顔から笑顔が消え、蚊の泣くような声で漏らす。
「嘘で、良かったかもな……」
「…………」
聞こえてしまった。
やはり、コイツは優しい。破滅的なほど。
そして、俺はまた嘘を吐く。
「あぁ? なんか言ったか?」
「いーや、別にぃ。そうだ! 例のマニュアル作り? だっけ? せっかくだし、もう少し続けてみろよ」
「この後に及んでそれを言うお前は本当にスゴイよ……」
「え〜! だって面白そうじゃん! 別に赤の他人騙すわけじゃないんだろ?」
「そうだけどよ……。まぁ正直、豊橋さんのメンタル次第だな。見た感じだいぶ堪えてるみたいだったし」
「そっか。次決まったら教えろよ! 俺も手伝うからさ」
「結局それが目的か。まぁ良いけどよ」
「いやいや! 全ては豊橋さんのためっしょ! それとさ……」
そう言うと、突如米原はまた真剣なトーンになる。
「多分だけど、お前のためにもなると思うよ」
本当にこの男は……。
いや。もう何も言うまい。
そうして、俺と米原も遊園地を後にし、飲み屋街へ繰り出した。
酒を飲んだ米原は泣くわ喚くわで、手がつけられなかったことは言うまでもない。
時は6月。
季節はカビや食中毒の最盛期である、梅雨真っ盛りだ。
『June Bride』などと一部の方面では何かと持て囃される月だが、結婚強化月間がカビや食中毒と隣り合わせとは皮肉な話だ。
せめて夫婦関係だけは、未来永劫腐らないことを老婆心ながら祈るばかりである。
さて、見方によって見解が分かれる季節だが、外出の予定を立てにくいというのも、また一つの側面だ。
だが、そこは流石の米原。
持ち前の晴れ男スキルを存分に発揮し、豊橋さんとのデート当日を見事に梅雨の中休みに当てて見せた。
まさに力技だ。
いや、むしろ愛の力か?
元来、雨男の俺と上手い具合に中和し、絶好の薄曇りといって差し支えない天候だ。
どうでも良いが、何故晴れ男だの雨男だのといった定説は一定の信憑性を帯びているのだろうか。
日本の叡智と呼ばれる方々には、そろそろこの辺りを科学的に立証していただきたいところだ。
そんな下らない思考に耽りながら、今日も今日とて二人のストーキング活動に精を出す俺がいる。
そして米原。
しりとりって何だ、しりとりって。
「そうですね……。30分待ち、ですもんね。でも自信ないなぁ……」
季節が季節とは言え、世間的に言えば土曜日だ。
テーマパークにとって見れば紛れもない書き入れ時だから、ある程度の待ち時間は止むを得ないだろう。
ましてや、今二人が乗ろうとしているジェットコースターといったメインコンテンツであれば尚更だ。
「そんなのいいよ適当で。掛川さんから行ってみよう! じゃあ、しりと『り』」
「えっ!? そうですね……、り、り、遼東半島!」
「う、うさぎ!」
「ぎ、ぎ、ぎょう虫検査!」
「さ、さかな!」
「なー、なー……、内部告発!」
「つ、つめ!」
「め、メコン川!」
豊橋さんの何ともクセの強いワードチョイスに対して、小学生並みの知能で応戦する米原、という構図は傍から見ていても非常に歪だ。
どこから突っ込めばいいのか見当もつかないやり取りに、二人の行く末を案じてしまう。
「あの……、羽島さん、ですか?」
不意に背部から浴びせられた声に、一瞬思考が止まる。
また職務質問か。
怪しいというのは十分自覚しているが、さすがにこの短期間で二回もされてしまうのは精神的にクルものがある。
恐る恐る後ろを振り向く。
すると、マッシュベースの無造作ヘアのアンニュイな雰囲気の男が立っていた。
「お前は……、安城か」
「お久しぶりです。羽島さん」
安城 翼紗。
俺の大学時代のサークルの後輩だ。
コイツとは好きな映画なども一致し、冴えない学生時代においての数少ない仲間の一人である。
だから、サークル外でも良くつるんでいたし、しょっちゅうメシに連れて行ったこともある。
とは言え、お互い社会人ともなると流石に会う頻度も限られ、近頃とんとご無沙汰だった。
「あの……、羽島さん。もしかして一人、ですか?」
安城は奇怪なものを見るような目で、恐る恐る問いかけてくる。
「は、はぁ!? んなわけねぇだろ!」
知り合いとの邂逅により気が動転し、咄嗟に嘘をついてしまった。
というより、無駄に強がってしまった。
「で、ですよね。安心しました!」
俺は2つ下の後輩に対して、何を心配されていたのだろうか。
「余計な心配すんなっての……。お前こそ一人か?」
「えっ!? やだなぁ、羽島さん。冗談言わないで下さいよ! 彼女がトイレ行ってるんでココで待ってるんですよ!」
クソがっ!!!
つーか、コイツにとって俺は冗談みたいな存在なのか?
だが無理もない、か。
繰り返しになるが、今日は土曜日だ。
健康的な20代の男子が、彼女の一人や二人連れて遊園地へ繰り出すことに何の違和感があるだろうか。
冗談みたいな特殊事情を抱えている俺とはそもそも人種が違う。
「あー、そうかいそうかい。そりゃお幸せに。彼女もうすぐ来るんだろ? まぁまた時間出来たらメシでも行こうぜ」
俺は居心地の悪さを誤魔化すため、半ば強引に別れを切り出した。
「は、はいっ。また。あの……、羽島さん。この前、彼女のこと聞きました」
嫌でも、ピクリと反応してしまう。
その後、安城は悪気もなく言いたい放題続ける。
「あの……色々大変だと思いますけど、あんまり思い詰めないで下さい! 話ならいくらでも聞くんで!」
本当に俺の周りにはお節介なヤツが多い。
それも残酷なレベルで、だ。
ようやく忘れかけた頃に、イロイロとほじくり返すような真似しやがって。
「だから余計な心配すんなっつったろ! 俺のことはいいから! ちゃんと彼女喜ばせてやれよ!」
「は、はい……。すみません。じゃあ!」
そう言うと、既にトイレを終えスマホの画面に夢中になっている彼女の元へ、小走りで駆け寄る。
安城と彼女は、俺に向けてペコリと会釈をすると、人混みの中へ消えていった。
思わぬ伏兵にペースを乱されたが、俺は気を取り直して二人の監視を続ける。
どうやら、もうすぐ彼らの順番のようだ。
いよいよだ。
ここから、俺の仕掛けが始まる。
「おっ、次じゃん! 俺、ジェットコースターとか超久々なんだけど!」
「わ、私もです。スゴく緊張します……」
豊橋さんが緊張している、というのは紛れもない事実だ。
だが、それはジェットコースターに、ではない。
恐らく彼女は、これから先上手く立ち回れるのかどうかを憂いているのだろう。
これだ!
これこそが、俺が決戦場としてジェットコースターを選んだ理由だ!
彼女の緊張感が別のベクトルへ向いていると錯覚させることで、より自然に今後の展開を進める狙いがある。
観覧車や動物ショーでは、こうは行くまい。
現に豊橋さんは目の前のジェットコースターなどどこ吹く風といった様子だ。
もっとも、ソレが分かるのはこの地球上で俺だけなのだが。
なあに。
豊橋さんは、飽くまで俺に合わせていつもの調子で応答するだけだ。
そんなことを思いながら、俺はスマホの画面を彼女の番号に照準を合わせつつ、コソコソと物陰へ移動する。
無論、184を忘れてはならない。
俺は画面に表示された〝通話〟を、得意気にタップする。
「あっ! すみません。電話、みたいです。出てもいいですか?」
「え? 良いけどもうすぐ俺たちの番来ちゃうよ?」
「な、なるべく早く済ませますので!」
そう言って、彼女は緊張で震える指を画面に伸ばす。
「あの、もしもし……」
彼女が消え入りそうな声で呼び出しに応答すると、俺は深く息を吐く。
そして、出せ得る限りドスの効いた声で、まくし立てる。
「ぬぅあーーーーーーーにが、もしもしじゃっっ!! このタコッ! ボケッ! ハゲカスッ! (自主規制)!」
「ひぃぃぃっ!」
「返済日とっくに過ぎとんねんっ!! こちとらカタギとちゃうから、イロイロと選択肢あんねんっ!! どこが希望やっ!? 飛田かっ!? 松島かっ!? かんなみかっ!?」
その瞬間、後悔の念に駆られる。
やはりキャラにないことはするべきでない。
というより、それ以前に完成度が低すぎる。
あれほど浴びるように映画を観ておきながら、任侠映画は守備範囲外であったことが悔やまれる。
おかげで、こうしてステレオタイプ的な半グレイメージに頼らざるを得なくなる。
「ご、ごごごごごごめんなさいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
案の定、豊橋さんはかつてないほど動揺している。
いや。厳密に言えば、恐怖体験だ。
これは、クラスの目立たない男子が、部活動の後輩相手にマジギレしている様子を目の当たりにした時の感覚に近い。
新たな一面と言えばそれまでだが、ある種の失望を生む危険性も孕む。
よって繰り返しになるが、キャラにないことはするべきでない。
「ど、どうしたの?」
豊橋さんの異変に気付いた米原は、豊橋さんに駆け寄る。
大方、何があったか察しがついたのだろう。
もっとも、これだけ大声を出したんだ。
電話越しでも、内容は十分に伝わっているはずだ。
「は、はい。あの例の貸金業者さんから……」
よしよし、今のところ良く立ち回れている。
彼女たちを物陰から遠目で確認しつつ、再びスマホのマイク部分に顔を近づける。
「あっ!? なんやっ!? カレシ連れかっ!? 借りた金も返さずに男遊びとは良い御身分じゃのう〜〜!」
正直、少し楽しくなってきている。
まともな精神状態であれば、やっていられないからな。
俺の煽りに豊橋さんは堪らず、電話口を離す。
そんな豊橋さんを見た米原は、遠目で見ても明らかに動揺している。
さて、米原。
ここからお手並み拝見といこうか。
人生初の反社会的勢力()、順番待ちのアトラクション、周囲の奇異の目、そして何より想い人たる豊橋さんの縋るような瞳。
お前はこれらにどう対応する?
「あ、あのさ……。俺、代わろっか?」
そう提案する米原の声が、電話越しから響いた。
嘘、だろ?
一体何の勝算があるというのか。
いや、待て。
もしかして……、バレてる?
嫌な予感が胸を過るが、ここで取り乱してはこれまでの努力が全て無に帰す。
落ち着け。
相手は米原だ。
冷静にやり過ごせば、こちらのテンポに持っていけるはずだ。
「え、えっと……。どうしましょう?」
豊橋さんは小さな声で、指示を仰ぐ。
「……分かった。代わってくれ」
俺がそう言うと、豊橋さんはスマホを米原に渡す。
すると、米原は目の前のスタッフに頭を下げ、豊橋さんの手を引きながらアトラクションの列を離れる。
そのまま俺のいるトイレのちょうど向かい側にある売店の裏側へ消えていってしまった。
その刹那、電話越しから耳を劈くような轟音が俺の鼓膜を襲った。
「ダァァァレじゃっっおんどれはっっ!!??」
あまりに予想外の展開に頭がついていかない。
そして、俺自身若干、というかだいぶ怯みつつある。
だが、こちらとて百戦錬磨の半グレ集団としての威信()がある。
このまま、この男のペースにハマるわけにはいかない。
「テ、テメェこそ誰じゃコラ!」
駄目だ。
明らかにパワー不足である。
何度も繰り返すが、キャラにないことはするべきでない。
「あぁんっ!? ワイかっ!? ワイはおんどれらのケツモチじゃっ!!! 住○○つったら分かるやろが、ボケェェェッッ!!!」
「ひぃいいいい……」
俺の消え入りそうな断末魔に構うことなく、米原は続ける。
「おんどれが売り飛ばそうとしてる女は、もうコッチで競売かけとんじゃっっ!!! おんどれがやろうとしてることは立派な窃盗じゃ、ボケェェェェェッッッ!!!」
「は、はい……。すみません……」
何かとツッコミどころも多い設定だが、流石にここまでされると戦意も喪失するというものである。
「二度とウチの女に近づくんやないぞっっ!!! ええかっっ!? 分かったかっっ!?」
「は、はい。今後とも何卒……」
俺は逃げるように電話を切った。
もし、本物の半グレだったら、その後どうしていたのだろう。
そう思えば、あの男のメンタル構造は計り知れない。
好きな女のためにあれだけのハッタリをかますなど、常人に真似出来るだろうか。
米原の本気度が伺える。
元々悪いヤツではないとは思っていたが、俺はこの男を少し見誤っていたようだ。
米原は、決して軽薄ではない。
それがこうして露呈してしまった以上、このマニュアルにおける『case.1』は事実上のご破産だ。
やはり、もうネタ晴らしするしかない。
ネタ明かしのため二人の元へ向かうと、既に他を寄せ付けぬ空気感が生まれつつあった。
所謂、いい感じの雰囲気である。
「あの、なんて言っていいか分かりませんが……。兎に角ありがとうございますっっ! あと、ヘンなことに巻き込んで本当に申し訳ありませんっ!」
豊橋さんはそう言うと、深々と頭を下げる。
そんな彼女を見て、米原は柔らかい笑みを浮かべ、語りかける。
「俺、掛川さんから話聞いた後、色々調べたんよ。そしたらやっぱり、バックに暴力団がいるみたいだったんだよね。だから、まぁ……、ちょっとしたハッタリってやつ?」
米原は笑いながら、あっけらかんと話している。
「は、はぁ……」
「利息とかもすんごい高いっしょ? そもそも半グレだし、余裕で貸金業法違反だからもう返す必要ないよ! とりあえず拗れる前に警察に行こう。何なら一緒に説明するし!」
「あ、ありがとうございます……」
「あ、あとさ……、俺の方こそゴメンッ!!」
次は米原が、深々と頭を下げる。
「っ!? やめて下さいっ!! 米原さんが私に謝ること、ですか!? そんなの一つもないですよ!!」
「いやっ! ホントはキミから話を聞いた後、スグに動くべきだったんだ。でもさ……。やっぱり恐かったんだ。調べれば調べるほど沢山怖い情報出てくるし、俺なんかじゃどうにも出来ないって思っちゃったんよね……」
「米原さん……」
「『俺も関係者だ!』なんてエラそうなこと言っといてこのザマだよ。はは……。俺ダサ過ぎっしょ!」
「そ、そんなこと……、絶対ないですっ!!」
「最初は羽島にも何か協力してもらおうと思ったんだけどさ。でも、やっぱりさ。こればっかりは自分でナンとかしないとって思ったんだよね。好きな女のコトだし」
「よ、米原さんっ!?」
米原はスゥーと息を吐いた後、覚悟を決めるように切り出す。
「だから、さ……。これから先、こんなことが起こらないように名実ともに関係者にして欲しいんだ。俺に最後まで責任取らせてくれ。俺と……」
「もういい。そこまでだ、米原」
俺は米原の最後の一撃を、既のところで防ぐ。
「えっ! 羽島っ!? これってどういう……」
米原は動揺のあまり、俺と豊橋さんを交互に見つめる。
それに合わせ豊橋さんの表情は一層曇り、もはや後ろめたさを隠せなくなっている。
「米原。この場で一番謝るべきは俺なんだ」
「はぁ? どういう意味だよ?」
俺はその後、これまでの一連の種明かしと、マニュアル作りの目的についてなどを順を追って説明していった。
今更だが俺が仕出かしたことは、米原にとってトラウマになりかねない残酷なものだ。
いや。
俺が、というよりそもそもデート商法自体が、ということなのかもしれない。
だからと言って、俺の罪が許されるわけではないが。
「つーわけだ。分かったか、米原」
俺の話を聞いた後、米原は表情を曇らせ、顔を俯かせる。
無理もない。
さすがの米原とて、この展開には堪えるものがあるだろう。
「あ、あの……、米原さん。本当に申し訳ありませんでした……」
俺に便乗し、豊橋さんは米原に言い寄る。
だが、それはお門違いというものだ。
彼女はただの駒に過ぎない。
だから、ここは俺自身が出来得る限りの誠意を見せる必要がある。
「豊橋さんは関係ねぇっ!! 黙ってろっ!!」
俺の圧に豊橋さんはたちまち怯む。
「なぁ、米原。お前の本気度は見せてもらったよ。だから、許してくれとは言わん。何なら絶縁してもらっても構わない。まぁ会社では仕事に差し支えないレベルで接してくれると助かるがな」
誠意? どこがだ。
上から目線で、勝手に言いたいことを言ってるだけだ。
だが、豊橋さんにヘイトが向かってしまうのを防ぐためには、こうするしかない。
だからある意味で、これは今俺が示せる最大限の誠意のカタチだ。
そんな俺を他所に米原は、なおも顔を俯かせる。
しかし、何かを吹っ切るように深く息を吐くと、不意をつくように大声を上げる。
「カーーーーーーーッッッ!! マジかよっっっ!!!!!!」
「よ、米原さんっっ!?」
米原の様子の変化に、豊橋さんの頭はついていかないようだ。
「羽島が絡んでたのかよっ!! あん時はしらばっくれやがって、コンニャローッッッ!! アレ? つーか俺、チョー間抜けじゃね!? はぁ……。マジで羽島にしてやられたわ」
「米原……、お前」
「つか、掛川さ……、じゃなかった豊橋さんか? あんなん普通に信じるっしょ!? マジで斬新だわ……」
そうか。お前はそういう奴だったな。
いつもの調子でまくし立てる米原の姿を見て、実感する。
これ以上俺が卑屈な態度を継続することは、きっと米原にとっても本意ではない。
それこそ俺の嫌いな忖度の無限地獄だ。
もし、俺が受けるべき罰があるとするなら、この後ろめたさなのかもしれない。
だから、俺は素直に米原の厚意に甘えることにした。
「ふっ。どうよ? 俺の描いた完璧なシナリオは?」
「調子乗りやがって! にしても、ベタすぎんだろうがよ!」
米原はケラケラと笑いながら、俺の頭を叩く。
「うるせぇ。お前程度を嵌めるのなんてこのレベルで十分なんだよ!」
「おうおう、好き勝手言いやがって。お前分かってんだろうな? 罰として今度キャバクラ奢れな!」
「あぁ……。分かってるよ」
軽い。あまりに軽すぎる。
この男を失うことに比べれば。
そんな俺たちを尻目に、なおもアタフタとする豊橋さんに向けて、米原は声を掛ける。
「あ、えっと……、豊橋さん? か。あのさ。俺が言うのもなんだけど、気にしないでよ! 羽島が言うように、これで豊橋さんが成長出来ればいいんだしさ」
それでも豊橋さんは何も応えない。
そんな彼女を見かね、俺も米原に便乗する。
「米原の言う通りだ。人が騙されるメカニズムってヤツ、少しは勉強になったろ? それが分かれば、もうアンタも騙されなくなるだろ」
「確かにそういう話でしたね……」
「あとな。もう一つ言っておく。人生どんなに真面目に生きているつもりでも、必ずどっかのタイミングで槍玉に上げられることがあんだよ。それだけ、人の正義感だとか常識だとかはアヤフヤってことだな。そん時に反省して改めるのか、突っ張るのか。きっとアンタにはそれを判断する軸がまだねぇんだよ」
「それは……、そうかもしれませんが……」
「確かに俺たちは嘘を吐いた。だが、な。程度の違いはあれ、嘘を吐かない人間なんているか? 動機なんてどうでもいい。嘘そのものが悪だとしたら、俺たちは24時間365日罪の意識に苛まれなきゃならん。一応言っとくが、デート商法を肯定してるわけじゃねーぞ」
「は、はぁ……」
すると、米原は呆れるように深く溜息を吐く。
「羽島。お前、難しく言い過ぎ! これだから陰キャは……」
「おい! せっかくスルーしてやってたのにまだ言うか」
「陰キャだろうが、どっからどーみても。要するにさ、豊橋さん」
「は、はい……」
米原は豊橋さんに向き直り、満面の笑みを浮かべ話す。
「この1ヶ月、豊橋さんのおかげで楽しかったよ! 楽しい嘘をありがとう!」
「米原さん……」
きっと、これで彼女の中の罪悪感はいくらか昇華されたはずだ。
結局、最後の最後まで米原に持っていかれてしまった。
この借りは、キャバクラ一回などでは到底足りないだろう。
「あ、ありがとうございますっっ!!!」
「あっ! 言っとくけど、俺まだ豊橋さんのこと諦めてないから! 隙があったらまた狙っちゃうよ!」
「えぇ……」
冗談めいた雰囲気で宣言する米原に、豊橋さんは言葉に詰まる。
「この後、どうしよっか? 飲み行かない? とりあえず羽島。お前は朝まで決定な」
「へいへい……。分かってるよ」
「豊橋さんもどう?」
「私は……、ごめんなさい。今日のところ失礼します」
「そっか! 了解!」
やはり、ここまで心労が溜まっていたのだろう。
豊橋さんは俺たちを残し、一人帰路へついた。
「ふーん、やっぱそういうことだったのか」
帰路へつく彼女の背中を見つめながら、米原は意味深な笑みを浮かべる。
「はぁ? 何がだよ?」
「いやさ。最近、羽島がヤケに楽しそうだったからさ」
これだから、ノンデリカシーの男は困る。
いつもいつも分かったようなクチ利きやがって。
だが悔しいかな。完全に否定は出来ない。
「……まぁな。お前の無様な泣き顔見れると思うと、興奮して夜も眠れない日々だったよ」
「お前マジでその内、友達失くすぞ……。でもさ」
すると、不意に米原の顔から笑顔が消え、蚊の泣くような声で漏らす。
「嘘で、良かったかもな……」
「…………」
聞こえてしまった。
やはり、コイツは優しい。破滅的なほど。
そして、俺はまた嘘を吐く。
「あぁ? なんか言ったか?」
「いーや、別にぃ。そうだ! 例のマニュアル作り? だっけ? せっかくだし、もう少し続けてみろよ」
「この後に及んでそれを言うお前は本当にスゴイよ……」
「え〜! だって面白そうじゃん! 別に赤の他人騙すわけじゃないんだろ?」
「そうだけどよ……。まぁ正直、豊橋さんのメンタル次第だな。見た感じだいぶ堪えてるみたいだったし」
「そっか。次決まったら教えろよ! 俺も手伝うからさ」
「結局それが目的か。まぁ良いけどよ」
「いやいや! 全ては豊橋さんのためっしょ! それとさ……」
そう言うと、突如米原はまた真剣なトーンになる。
「多分だけど、お前のためにもなると思うよ」
本当にこの男は……。
いや。もう何も言うまい。
そうして、俺と米原も遊園地を後にし、飲み屋街へ繰り出した。
酒を飲んだ米原は泣くわ喚くわで、手がつけられなかったことは言うまでもない。