「えぇっ!? もうそんなことになってるんですか!?」
「あぁ。そうだ。エラく気に入られたモンだな」
「呑気なこと言わないで下さいっ! そ、それで、この先どうするんですか……?」

 あの一件の後、俺と米原の間で特段関係が冷え込むようなことはなかった。
 やはり、サバサバしているというか、これはこれ、それはそれ、というか。
 いや。米原に限らず、それはある意味で社会人として当然のことかもしれない。
 仕事に私情を持ち込むことは、何人たりとも許されない。
 社会における冷酷なまでの暗黙の了解が、俺や米原の中にも染み付いてしまったと思うと、何とも言えない複雑な気分になる。

 そんな中、俺と豊橋さんの最高のマニュアル作り第一章は、今まさに佳境を迎えようとしている。
 俺たちにとって大事な局面だからこそ、わざわざ会社の2つ隣の駅のファミレスにまで繰り出し、綿密な打ち合わせを行っている。

「恐らくだが、次のデートで米原は豊橋さんに思いの丈をぶつけて来るだろう。ちなみに次のデートの予定は何か具体的に決まってるのか?」
「えーっと、そうですね。一応は……」

 そう言うと、豊橋さんの顔は赤く染まる。
 あれ?
 ひょっとして、この娘ちょっと楽しんでる?
 ……まぁ何事もやる気があるに越したことはない。

「……まぁそれなら話は早い。場所は?」
「た、確か隣の県の遊園地だった、ような……」
「ベッタベタだな……。まぁここまで来たら、その方がやりやすい」
「えっと、具体的にはどうするんですか?」

 豊橋さんのその質問に思わず、口元を緩ませる。

「は、羽島さん? 最近悪い顔すること多いですよ?」
 
 そんな俺の表情を、豊橋さんは見逃さない。
 彼女なりの忠告をしてみせる。
 少なからず罪悪感はあれど、俺自身も何だかんだ楽しんでいるのだろうか。
 またもや心の内を見透かされ、落ち着かなくなる。

「……余計なことは気にしなくていい。それで具体的には、だな」

 俺が人差し指で合図すると、彼女は向かいのソファー席から顔を近づけてくる。



 すると、不意にバニラ系のフレグランスの香りがフワリと鼻腔を擽り、思考が停止する。



「あの、羽島さん? どうされましたか?」

 俺の様子を察した豊橋さんは、心配そうに問いかけてくる。

「あっ……、いや、すまん。何でもない。豊橋さん、香水つけてたんだな」

「は、はい……。仕事上、動き回ることが多いので、ニオイ対策としてつけていたんですが……。あっ! ごめんなさいっ! 臭かったですかっ!? つけすぎですよね!?」

「いやいや! 今気付いたくらいだから、つけすぎってことはないと思うぞ。  悪いな。ちょっとビックリしただけだから気にしないでくれ!」

「そ、そうですか……。分かりました」

「……で、まずはだな」

 ただの同情心、先輩風、親心。
 仮初の言葉でパッケージングし、本質から目を逸しながら豊橋さんと接してきた。
 だが彼女がそれを許してくれない。
 もちろん、本人にそのつもりがないことくらいは分かる。
 彼女は無意識的に俺を()()()に引き戻そうとしてくる。
 天然というのも罪な人種だと改めて実感しながら、俺は彼女に当日の具体案を提示した。