二週間後のことだった。

 海がざわついている。

 空模様以外の理由で近海で何かが起きており、フォルティエさんは慌てふためいていた。

「めっ……ちゃめちゃ、気持ち悪いです。おえっ」

「すみません、もうちょっと頑張ってください」

 ここは告死島のとある山端(やまはし)急遽(きゅうきょ)建設した、第二観測所だ。

 と言っても、最初に作った観測所と同じく、お祭りで作られる櫓のような簡素なものである。物見台といった方が適切だろう。

 そこでフォルティエが目を回していた。

 星見教団の教徒や巫女は、人為的なスキルや魔法によって天変地異を起こされるのを嫌う。通常とは違う動きのため非常に読みにくく、外してしまうことが多い。それをあえて捉えようとするのは非常に難しい。

 門外漢にはわかりにくいが、現実に起きた事象が理論や予測から外れていて〝気持ち悪い〟という感覚を覚えるらしい。プログラマーみたいだな。

 だがしかし、これが意味するものは気持ち悪いだけではすまない話だ。数百人の命がかかっているので、申し訳ないが頑張ってもらう。

「あー気分悪。低気圧よりひどいですわほんまに」

「で、実際どうなってる感じですか?」

「海の魔獣が寄せ集まって、何かやらしい儀式してる感じですわ。あーもう、先の予測がごちゃごちゃになるし頭がぐわんぐわんするし、ほんっとやめてほしいんやけど……」

「その儀式は何を呼び寄せますか?」

「……台風と津波。このままだと三日後に島に上陸しますわ。先に津波が来て、半日くらいして嵐が島を斜めにぶつかってくる感じかと」

「一番嫌な当て方してきますね。手慣れてる」

 我が悪辣なる兄ウィーズリー王子のやり方は、非常にシンプルな思考だ。

 彼とその部下たちは、海の魔獣を使役している。彼らが陸で戦うためにはどうすれば良いか。

 海にしてしまえば良い。

 ニ十メートルの高さの荒波を海岸にぶつけ、間髪入れずに大雨と暴風を流し込む。そうすれば数日間は砂浜は海底となる。クラーケンなどの軟体動物型の魔獣は縦横(じゅうおう)無尽(むじん)に活躍できるだろう。もちろんそれでも高さの制限はあるが、海岸そのものにダメージを与えられる時点で威力は凄まじい。ここがキャンプではなく整備された港町であったならば、この一当てで一巻の終わりだっただろう。

 流石にここまで乱暴で豪快な戦術を取るのは告死島が無人島で僕ら以外に住民がいないからだろうけど、あえて言わせてほしい。

「あいつ頭おかしいんじゃねえの?」

「おや、珍しく口が悪うなっとります」

「悪くもなりますよ。あーあー、めちゃくちゃですよこれ……」

「きっちり避難しといて助かりましたなぁ。恐ろし恐ろし」

 ウィーズリー王子が襲来するとわかって、僕らはすぐに行動を開始した。

 それは、避難と訓練だ。

 避難訓練ではない。

 本番の避難と、戦闘のための訓練である。

「おいタクト。どうなんだ?」

「そうよ! どうなのよ!」

 ツルギくんとカガミさんが僕を問い詰める。別に二人は焦ってる訳でも怒っている訳でもないと最近ようやく分かった。単にせっかちなだけなのだ。

「予定通りですよ。これから来る嵐については、前に来た時よりも楽に対処できるでしょう。以前の嵐のおかげで地すべりのなさそうなところは把握できましたしね。お二人は何か異常を感じたりしました?」

「ない。鳥がちょっと多いくらいか」

「海の魔獣が近づく感じはしないわね」

「よし、予定通りです」

 避難は滞りなく進んだ。

 ウィーズリー王子の子飼いの魔獣の数を予測し、そこから津波の到達する高さを予測し、避難先を設定。ミレットさんとマリアロンドさんが主体となって、避難先の山岳部の魔獣を掃討。そして船長代理を中心にキャンプを設営という流れだ。

 津波の到達を見届けた後、僕はフォルティエさんたちと共に新たなキャンプに戻った。

 山に住む魔獣に立ち去ってもらい、木を伐採するというSDGsに喧嘩を売るような開拓をしてしまったが、こればかりは生存競争なので許してほしい。

「おせーよリーダー! 助けてくれ!」

 帰ってくるなり、船長代理のエリックさんが悲鳴をあげていた。

「どうしました?」

「エーデルがご機嫌斜めだ。糸を出してくれねえ」

「あらまあ」

 木を伐採して作った広場の中央で、エーデルがでんと座っている。

 その周囲に綺麗所の女や綺麗所の男がエーデルの毛を梳いたり、水や草を与えたりとご機嫌を取っている。

「どうしましたエーデル。疲れましたか?」

「めぇ!」

「あー。働きすぎだから適度にみんな休憩しろ、と」

「めぇ」

「それであなたが王様気分で休んでどうするんですか。その姿を見習えと?」

「めえ!」

 えっへんと胸を張るようにエーデルがうなずいた。

 確かに、エーデルの言う通りでもある。これ以上気を揉んでも仕方ない。計画が滞りなく進んでいるのであれば、プラスアルファを求める気持ちはよく分かる。相手は自然災害を操る、海で最強の男だ。どれだけ準備しても、足りないかもしれないという不安に駆られる。

 前に嵐に遭遇した時、事態の危険度を察知したのはおそらく僕とフォルティエさんくらいのものだった。元船員たちはある程度危機感を共有してくれたが、どちらかというと〝僕が倒れるとまずい〟という危機感の方が大きかっただろう。陸上で嵐に遭うという事態をリアルに想像できた人は少ない。

 だが今回は、元船員たちのような海の人間たちであれば誰でも知る恐ろしい嵐、一度経験した嵐、そしてウィーズリー王子という恐怖のネームバリュー。全員が疲労を無視してでも積極的になる理由はいくらでも揃っている。

「今回は僕以外が働きすぎですね。一時間休憩を入れて、そこから気を引き締めてやりましょう」

「で、でも……大丈夫かしら?」

 おずおずと質問したのはラーベさんだ。エーデルはラーベさんに毛を刈ってもらったり梳いてもらったりするのが好きらしく、よく懐いている。ラーベさんもエーデルの毛のみならずエーデルそのものも嫌いではないのか、よく面倒を見てくれていた。僕が忙しい時にいちゃいちゃして大変ずるい。

「ここは地盤がしっかりしていて地すべりが起きないことは確認できています。前回の嵐の痕跡もまるでないですし山そのものの保水力が非常に高いので、テント設営もそこまで過剰にやらずとも大丈夫です。安心して」

「そ、そう?」

「むしろいつも通りにしましょう。明日の本番も、この調子ならまったく問題ありません」

 そこに、船長代理が不安そうな声で尋ねた。

「大丈夫なんだな? ウィーズリー王子は半端じゃねえ。海では百戦百勝の化け物だ」

「ええ。これが海上であったならば僕もお手上げですよ。しかしここはすでに僕らのホームグラウンド。死地に足を踏み入れるのは彼らです」

 自分で言っておいてなんだが、流石にこれは大言壮語である。

 正直ちょっと博打だ。だが勝算がないというのも嘘だし自信はある。今更そういう不確定要素を言っても仕方がないのだ。できるだけの不安要素は潰した。もはや全員、自分のコンディションを整える方が大事だ。

「よ、よし……! 頼んだぜ……!」

「ところで、バルディエ銃士団とレーア族はどうですか?」

「あー……うん、まあ、大丈夫だろうよ」

「問題がありますと言わんばかりの表情で言われても」

 僕の言葉に、エリックさんが肩をすくめた。

「タクトよ。そりゃ、あいつらに連携して戦えって言うお前さんが無茶だぜ。最初からわかってんだろ?」

「ええ。でもそれこそが絶大な力を発揮します」

「だったらちょっと殴り合いが起きるくらいは計算のうちだろ。多少の揉めごとの範囲内って意味なら『まあ大丈夫』としか言えねえんだよ。失敗してどうしようもねえとか、やる気がねえとか、そういうのはねえな。あいつらに負けてらんねえって感じの喧嘩だから大丈夫と思うぜ」

 今、バルディエ銃士団とレーア族は、作戦の要となる必殺技を訓練してもらっている。

 テント設営は非戦闘員に任せて、最後の調整中だ。もはやあれこれと言うこともあるまい。

「良かった。じゃ、安心ですね。こっちは枕を高くして寝ましょう。明日のために」

 そして、決戦は刻一刻と近づいてきていた。