フォルティエさんの助言に従い、緊急首脳会談を行うことにした。

 と言っても、開拓団側のテント内に椅子とテーブルを並べただけの簡素な会議室で、お茶と菓子を摘まみながら喋るという大変アットホームなものなのだが。

 ちなみにお茶はタンポポ茶だ。タンポポの根をよく洗って乾燥させて煮出すことででき上がる。味わいはコーヒーのような感じだ。カフェインはないので妊婦やお子様でも安心である。

 お茶請けは木の実クッキー。栗や胡桃(くるみ)、その他、山で採れた雑穀をあく抜きして粉にしたものを硬く焼き上げたものだ。自然な甘味は美味しいのだがそろそろ精製した砂糖の甘味が欲しい。

「聖王国が中心となって反ローレンディア連合を結成。その流れは分かるが、まさかバイアン王子を倒すほどだとはな……」

「アルゼス王子が中心となっているという話でしたわね? 彼のクラスは騎士の上位クラス、鉄騎兵。あれでバイアン王子を撃破するとは驚きですわね……」

 ミレットさんもマリアロンドさんも、戦争の情勢や大陸における実力者の名前は把握しているらしく、僕が端的に伝えただけで状況の異常さがすぐに伝わったようだ。そして、当然の疑問が出てきた。

「今まで誰も倒せなかったバイアン王子とその魔獣を、戦闘力で劣るはずのアルゼス王子が倒した。何か裏があるな」

「反ローレンディア連合が結ばれたのも気になりますわね。確かにローレンディアに辛酸を舐めさせられてきた国ばかりではありますが、彼ら同士での諍いや戦争もあったはず。裏切りや内部崩壊を防ぐなにかがあった……と見るべきですわ」

 そして疑惑の目の矛先は、僕であった。

 勘のいいお姉さんは好きですか。僕は好きです。

「いや、まあ、ご想像の通りです。とはいえ成り行きに任せた結果でもありますが」

「これだけの世界的な陰謀を、成り行きで?」

 ミレットさんが「マジか」みたいな顔をしている。

「まず僕の王子……元王子としての立場から言うと、親父殿が大陸を平定するならするで構いませんでした。誰かが勝者になったならば、その後の平和を保つのは後進の仕事。そこで僕や文官たちが力を発揮して平和な国造りができるのであれば、それもまた良しかなと」

「だが、そうはならなかった」

 マリアロンドさんが重々しく言葉を放つ。

 僕は静かにうなずいた。

「結果として僕は冷遇されました。それだけなら良かったのですが、文官軽視、奪った土地の安堵に興味を持つ者は少なく、次の報奨となる土地や恩賞を求め、次なる王座が誰かに腐心する。はっきり言ってこれはまずいな、と。親父殿が勝ちを続けても、十年後、二十年後はどうなるか怪しい。だったらもう、義兄にこの大陸の平和をお任せした方が良いかと思いまして」

「思いまして、で国家情勢を左右するの怖いのですけれど」

「言葉が軽い。もっと重々しく言ってくれ」

 あ、本気でドン引きされてる。

 ちょっと傷つくんですけど。

「ともかく、わたくしたちと同じように各国の重鎮に和睦の調印をさせた……という訳ですわね。よくもまあ取りまとめられましたわね……」

「僕がやったのは契約書の用意とスキル発動くらいですね。具体的に交渉を取りまとめたのはリーネ姉さんとアルゼス義兄さんの力ですし」

 調印したのは義兄アルゼスの他に、大燕帝国第一皇子燕火眼、ヴェスピオ連合国盟主ゴルドバン、サグメナ公国首相ルイード、魔導王国ヴェラード女王ヴィネシャム。

 性別、年齢、民族や文化がまったく違い、しかもこれまで何度か戦争をしたこともある国の首脳同士をまとめるのは凄まじく大変であった。

 僕が担当したのはルイード首相とヴィネシャム女王だけだったが、二人とも「まあこのままローレンディアに支配されるのはつらいな」「同盟内で裏切りを心配しなくていいのは助かる」という危機感とメリットをすぐに共有できたので、相当スムーズに話がまとまった。

 だが燕火眼とゴルドバンは非常に険悪だった。隣接する国同士で領土問題や賠償問題など様々な事情や軋轢があり、王族や重鎮以上にお互いに国民感情が非常に悪い。ここを水面下で取りまとめたリーネ姉さんの交渉力はちょっとおかしい。怖い。

 リーネ姉さんは明晰(めいせき)であるだけではなく、実のところとんでもない人たらしだ。ローレンディアの文化に染まりきってリーネ姉さんに敵対しなくて本当良かった。彼女には幼少期に地球由来の知識をぽんぽん与えていたのだが、今になって思うと怪物を育てていたようなものだと思う。

「ま、ともあれローレンディアは今までより相当規模を小さくするでしょう。均衡状態による平和が数十年……うまく行けば百年以上続きます」

「それはお前が生きている限り、という話だろう?」

「あ、わかります?」

「契約を保証する人間やスキルが失われたら効力は消える」

「ええ。ですので追放されて開拓地に送られることは、実は都合が良かったんです。大陸からはあまりに遠すぎて暗殺者さえ簡単に送り込めませんから。そして紆余(うよ)曲折(きょくせつ)あって、開拓地ではなくこの島にいる訳です」

 バフというものは、付与した術者の力に大きく依存する。

 戦う者と付与する者に別れて協力することで、一人一人が個別に戦うことでは得られない大きな力を持つことができるが、逆に言えば狙うべき弱点というものが誰にでも分かる。僕が和睦スキルで用意した契約書に調印しても、発動タイミングは僕が「決して狙われない安全な場所にいること」という条件がついていた。

 非常に皮肉な話だが、親父殿がローレンディアの未来を思って僕を追放したことが、逆に自分自身とローレンディアを追い詰めてしまった。

「ともあれ、種明かしはそんなところです。それじゃ次の議題に…‥‥」

「待った。大事なことを話していませんわよ。その手紙、どうやって手に入れたんですの? まさか時空操作や瞬間移動のような神霊じみたスキルを持っているわけではないでしょう?」

 時空操作とは、この世界に降り立った神々のみが使えたと言われるスキルだ。

 当然、人間の身で使うことはできないし、実例を見たものなど生きている人間はいないだろう。

 だが、存在そのものを疑う者は少ない。劣化版のスキルならば普通の人間でも使えるからだ。

 それは、アイテムボックスやウェポンボックスだ。

「そんな高度なスキルではありませんよ。【テイマー】の応用です」

「……まさか、伝書鳩のように魔獣に運ばせたのか?」

 伝書鳩そのものですけどね。

 ただの鳩と思わないのも道理ではある。海を横断して告死島に辿り着くなど、強靭な鳥の魔獣でもない限り不可能と思うだろう。だが実際は知力体力隠密性能を鍛え上げた、ただの鳩である。

 というか、手紙を送る以外のこともおそらく可能だ。野良の鳩やカラスかと思いきや姉さんの放ったスパイだという可能性はある。様々な国際情勢を把握して交渉を有利に進めたり、僕に迫っている危機を察知できたりするのは、そういう能力がないと説明できない。

 今回のウィーズリー王子の件も、ただ来るという情報のみならず、大雑把な魔獣の数やウィーズリー王子の得意技など、喉から手が出るほどに欲しい情報が手紙に書かれていた。

 しかし手紙の情報はともかく、伝書鳩の性能については話せない。

 フォルティエさんのように秘密を共有するコンサルタントではなく彼女らは同盟相手だし、姉さんの力を提供できる訳でもない。何より姉さんの立場が危うくなる可能性もある。

「すみません。言えません。ただ僕の都合で便利に何度も使えるものではない……とだけ言わせてください。可能だったらもっといろんな情報のやりとりを密にしていますが、そういう訳にもいかないんです」

「まあ……そんな便利な通信網があるならお高いのでしょうしね」

「それもありますし、海の警戒網が格段に上がりました」

「警戒網?」

 僕の言葉に、マリアロンドさんが不穏なものを察知したようだ。

「……ここからが本題です。前置きが長くてすみません」

「本題? 大陸の事情を共有できたのは助かるが、あまり関係ないだろう。まだまだ我々はここから出られないし、大陸側も容易にこちらには来られまい」

「こちらから出ることは難しくとも、敵がこちらに来ることはできるんです。僕が反ローレンディア同盟の要であることが、兄のウィーズリー王子にバレました」

 その言葉に、二人がひどく顔をしかめた。

「あの海賊王子か」

「一番嫌な名前が出てきましたわね……」

 ウィーズリー王子。

 海の仕事をする者で彼の名を知らない者はいないだろう。ローレンディア以外の海に面している国すべてで蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われている。

 長兄バイアンを筆頭に、他の王子は何だかんだで戦場の名誉や体面を気にして、苛烈な戦争を好んでも一線を越えた非道には至らないことが多い。まあ、戦争以外にあまり興味がなくて戦勝後の交渉でキツすぎる条件をつけたりぼったくりすぎたり無自覚な非道はやらかしがちだが。

 そんな王子たちがいる中で、ウィーズリー王子の行動原理はヤクザそのものだ。外国の商船は躊躇なく襲う。ローレンディアの船であれば海の魔獣から助けたりもするが、そのかわり積荷と金と人員を奪ったりもする。魔獣の訓練と称して、子飼いの海の魔獣を連れて外国の港に喧嘩をふっかけたりもする。

 そして、そんな荒っぽさがありながらも実に計算高い。略奪をする時の引き際は鮮やかで、問題を起こすと厄介になる豪商の船はあえて狙わず護衛料を徴収するのみ。法的な問題や素行の悪さが指摘されても、金と暴力をちらつかせつつ言葉巧みに切り抜けてきた。

 だがもっとも恐ろしいのは、海上戦力という意味では大陸最強と言って良いことだ。マリアロンドさんとミレットさんが二人がかりで倒したクラーケンの軍団を組織している。その他にもデスシャークなどの強力な海の魔獣を数多く使役している。

 ここが大陸ではなくもっと小さな島国や群島であったとしたら、ウィーズリーは名実共に最強であっただろう。

「……無理ね。確かにわたくしたちは強くなりました。個々の強さで負けるとは言いませんが、物量はウィーズリー王子が圧倒的に上でしょう」

「そうだな」

 ミレットさんもマリアロンドさんも、やれやれと溜め息をつく。

「拠点を移そう。このまま島の内陸側を探索すべきだ」

「馬鹿ね。奥に行けば行くほど強い魔獣が出るのをお忘れ? わたくしたちでも勝てない魔獣が出る可能性だって低くはないですのよ。わたくしやあなたでしたら生き残ることができても、非戦闘員がついていけるはずないじゃありませんの」

「だったらお前こそ建設的なことを考えろ!」

籠城(ろうじょう)ですわね。海を跨いでの遠征なら時間も資源も限られるはずでしてよ」

「籠城? 城や砦をこれから作るというのか? 石も鉄も満足に手に入らないんだぞ。木材しかないのだから火を放たれたら一巻の終わりではないか」

「それをこれから考えれば良い話ですわ!」

 僕そっちのけで二人は喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を始めた。

 一方がアイディアを出せば、一方が舌鋒(ぜっぽう)鋭く不備を指摘する。

 僕そっちのけで議論に夢中だが、どうしても言わなければいけないことがあった。

「ええと……一応言っておきますが、ウィーズリーの狙いは僕だけですよ。僕を差し出せば丸く収まる可能性もあります」

「あ?」

「は?」

 その言葉に、二人がきょとんとした。

 マリアロンドさんはやれやれと露骨に肩をすくめ、ミレットさんは嘲笑の笑みを浮かべる。

「オレは傭兵だ。売り物は暴力。戦況は見極めるし敗戦濃厚となれば雇い主に撤退を進言するとも。だが最初から裏切って逃げるつもりの者は傭兵ではない。ただの臆病者だ」

「あなたを差し出せばわたくしたちは助かる? あの悪名高い海賊王子がそんな行儀良いとお思いかしら? わたくしたちやレーア族はもちろん、スキル持ちの平民や星見教団の巫女までいるんですわよ。舌なめずりして全員奴隷にしようと目論むに決まってるでしょう?」

「そもそもここは、オレたちが開拓した土地、オレたちの領土なのだぞ。そこに襲いかかってくるならば全力で迎え撃つのが礼儀というものだ」

「あらマリアロンド、珍しく気が合いますわね」

 ……まいったな。

 どうやら二人共、引く気はないようだ。

「奴隷船から逃げて以来の付き合いじゃないか。あまり寂しいことを言うな。ごちゃごちゃしたことを考える前にもっと素直になれ」

「こういう時はあなたの愛しい婚約者を頼っておきなさい。海賊を倒した後に、海が見えるレストランでプロポーズしてくれたらそれで十分ですわ」

 半分冗談で、そんなことを言われた。

 顔が赤くなる。恥ずかしい。

「何か……ありがとうございます」

「珍しく照れているじゃないか、少年」

「動じない普段の王子よりも、そっちの方が年相応でしてよ。まだまだお子様ね」

「いえ、その……」

 二人共、僕が動揺するのを見て仲良くくっくと笑っている。

 いや、艶めいたことを言われたのが恥ずかしいというより、嬉しい。

 恥ずかしいのは、僕自身が損得勘定ばかりで彼女たちと話をしていたことだ。

 交渉以外の話をあまりしてこなかった。

 いや、日常生活の当たり前の会話でさえ交渉のように捉えていた。

 それは決して悪いことではなかったと思う。みんな余裕がなかった。自分はみんなの利益を代弁しなければならず、それはここにいる二人も同じだ。意図的に敵対を避け、利益を掲げて「仲良くしましょう」と主張した。

 だから「ごちゃごちゃと考えるな」と言われたのは、虚を突かれたような気分だった。

「あたくしの魅力に今更気づいたなら、態度で示してくれてもよろしくてよ」

「少年はお前のあざとさなど承知してるだろうよ」

 もちろん、恋愛感情や恋人として扱ってくれたなどと思っているわけじゃない。だが、部族や組織の長が、友情や仁義といったもので重要な決断をするはずがないと、心の中で思っていた気がする。

「魅力的ですよ。お二人共、そこらの舞踏会でさえ目にすることはできないでしょう」

「この女と並べられるのは不快ですけど、ま、良いでしょう」

「こっちの台詞だ」

 二人の皮肉や悪口の応酬も、出会った頃のような殺伐さが薄れてきた。

 いろいろあったが、ここまで来られて良かった。

「……マリアロンドさん。ミレットさん。助けてください」

「ああ」

「よろしくてよ」

「つきましては、ちょっとしたアイディアがあるのですが」

 その言葉に、二人はきょとんとした。

 だが具体的な話を進めるうちに、二人は何とも嫌そうな顔を浮かべた。

 申し訳ないが、助けに応じてくれた以上はできる限りのことをやってもらう。

 僕の思いついた作戦は、感情的な話はともかく、絶対に有効であると言えるものだ。

「……やっぱりあなた、性格が悪いわね」

「まったくだ」

 二人共、渋面を浮かべていた。

 無茶な注文をまたしてしまったな。

「すみません、性分なので」