ツルギくんとカガミさんには開拓団のテントに戻ってもらった。

 ……ということにして近くに待機してもらっている。あの子らは想像以上に耳が良く、そして機転が利く。船で交流しておいて本当に良かった。

 で、それはさておき、僕はマリアロンドさんと二人きりになった。彼女は話をしたいと言ったものの、中々話が出ない。うんうん唸ったまま、十分近く過ぎ去ろうとしていた。

「えーと、もしかして、結婚のお話だったとします?」

「い、言うな。いや、確かにそうなんだが」

 顔を赤らめてマリアロンドさんが咳払いをする。

「……周囲の連中がうるさいのだ。ミレットに先を越されて良いのか、と」

「あー」

「そうでなくとも、さっさと結婚相手を見つけろだの、跡継ぎを作れだの、うるさい連中が多くて多くて本当に困る。オレがどれだけ一族の将来を考えていると思っているんだ。それを横から愚痴愚痴と……」

 あっ、相当ストレスが溜まってるご様子だ。

「あー、うん、結婚についてあれこれ言われるの嫌ですよね、わかります。闇雲に結婚しようとしても失敗することはよくある話ですし、自分が責任ある立場であれば周囲のことだって心配になります。「誰でもいいからさっさとしろ」みたいに無責任なことを言われたら困ります」

「そうだろう!?」

 マリアロンドさんが俄然(がぜん)盛り上がってきた。

「そもそもだ。あのミレットだって似たような立場だろうに。こっちに対抗したいがために自分の結婚まで利用しようとする。信じられん」

 そこはまあ、政略結婚が当たり前の貴族や王族からしたら珍しくない感覚ではあるんだが、マリアロンドさんはそこに忌避感を覚えるのだろう。マリアロンドさんの気持ちもミレットさんの考えもよく理解できる。

 ただ現状、僕としてはミレットさんの勢いに流される訳にはいかないのでマリアロンドさんの考えの方に寄り添っている。

「正直、レーア族の人々を差し置いてバルディエ銃士団と友誼(ゆうぎ)を交わそうとは思っていませんよ。僕がどちらか一方に肩入れをすれば、一時的にメリットはあったとしても将来的には良くない。それは分かるでしょう?」

「お前がこちらに肩入れしてくれるのであれば少々のことは目を瞑るが?」

「あら」

「冗談だ。ただそう思わない者も多いがな。困ったことに」

 ミレットさん……バルディエ銃士団の思惑に乗らないからといって、レーア族に全面的に味方するという訳にもいかない。そこを族長たるマリアロンドさんが理解してくれているのはとてもありがたかった。

 が、少しばかり妙でもある。

「……マリアロンドさんはいいんですか?」

 このまま座視(ざし)していては、ミレットさんは確実に新たな手立てを打ってくる。レーア族を出し抜くために。彼女にはそういうハングリーさがある。彼女の持つ野心は本物だ。自分たちの平和のためには手段を選ばないだろう。

「いいとは?」

 マリアロンドさんがきょとんとした顔で聞き返した。

「たとえば、そうですね……一緒に狩りに行くとか、お食事に行くとか。このへんにレストランがないのは残念ですが、僕自身、料理は得意なんです、任せて下さい」

 ミレットさんが僕との距離を詰めれば詰めるほど既成事実化が進んでしまう。やがてバルディエ銃士団も開拓民も「あいつら結婚するんだな」という目で見てくる。ただ婚約を申し込みましたというだけではなく、状況の積み重ねが将来を変えてしまう。

 であるならば、僕はマリアロンドさんとも仲良くしなければいけない。健全なお付き合いをして、「僕はこの島にいる人と例外なく仲良くしますよ」としなければいけない。

「なっ!」

 だが、マリアロンドさんがひどく驚いた。

「あ、ダメですか?」

「そ、そういう交際をしたいのであれば、な、何と言うか、て、手順を踏むべきだ……! まずは手紙のやり取りをするとか……。狩りだって外泊になるし、早い、早すぎる!」

「あ、あのー」

 しまった。

 思った以上に、マリアロンドさんは生真面目な乙女であった。

 牽制のためのデートをしませんかなど、世間の汚泥(おでい)に塗れた提案をしてしまった自分が恥ずかしい。

「ごめんなさい、マリアロンドさん。軽々と口にするべき話ではありませんでした」

「そ、そうか?」

「ただ、何もしなければバルディエ銃士団が僕らの開拓団に来てより良い条件を提示したり、魅力的な食料や資源などを出してくれたりすることでしょう。そうなるとレーア族の皆さんも対抗しなければならない。お互いに貢物合戦になったら疲弊するばかりです。そうならないために、僕とマリアロンドさんはいつでも気軽に話ができるようになっておかないとまずいんです」

 その言葉にマリアロンドさんはきょとんとして、そしてすぐにぶすっとした顔になった。

「……そういう意味か、まったく。オレのような女を口説くとは趣味が悪いと思った」

「あ、いや、マリアロンドさんが魅力的ではないとか、そういう話じゃないです。ていうかマリアロンドさんはお綺麗です。素敵です。立ち振舞いは麗らかですし髪も凄く綺麗ですし」

「だ、だからそういう話に持っていくな!」

「すみません」

「い、いや、不快というわけではない。た、確かにオレも、交際や結婚は考えるべきところではある。オレが結婚相手を探すとしたら、その、お前しかいないというのは頭ではわかっているのだ。ミレットと同じくな」

 そう、そこが問題だ。

 この島を出ない限り、あらゆる選択が狭められる。生活の質を向上させることはできても、人間の少なさ、出会いの少なさだけはどうにもならない。

「オレは子供なんだ。族長とか、戦争とか、結婚とか、本当はそんなのどうだっていい」

 マリアロンドさんが、純朴な少年のようにはにかむ。

 彼女は凛として美しく、そして強く、だがその中身はとてもシンプルだ。何気ない微笑みにどきりとしてしまうほどに。

「どうだっていい?」

「ああ。オレは仲間と一緒に楽しく暮らしていればそれで満足だ。槍を持って名誉をかけて戦うのも嫌とは言わん。ただ……つらいし面倒さ。それが、幸せに暮らすために必要だからそうしているだけだ」

「それは……」

「だからこの島にいることも、本当はそんなに不満じゃない。ま、生活が整うまではどうなるかと思ったがな。失望したか?」

「尊敬しますよ」

 僕はマリアロンドさんが漏らした思わぬ弱音に、感動していた。

 ミレットさんが僕と同じ野心を抱いているとするならば、マリアロンドさんは僕と同じ欲望を持っている。

 周囲にどんな風に見られるかなんて、どうでもいい。

 日々の当たり前の喜び。朝起きて、仲間や家族と共に食事を取り、そして当たり前に仕事をする。晴耕雨読(せいこううどく)というほどのんびりしていなくてもいい。ただ、誰かを押しのけ、戦い、あるいは騙し合い、心を削る。そんな王族として、国を憂う者として戦うのは、面倒くさかった。衣食住が足りていない人から見れば恵まれたものだったかもしれない。

「尊敬? 嘘をつけ」

「僕は国から追放されたんです」

「ああ、知っている」

「こんなこと言ったら怒られると思うんですけどね。実は追放されてちょっとラッキーだなって思ってたんです」

 その言葉に、マリアロンドさんは驚きの表情を浮かべた。

「……奴隷になったのに、か?」

「ええ。国のために、王のために戦争をするよりも、数百人の飯の心配をしてる方が気楽ですよ。楽しいこともあります。甘い物や酒を作るって目標もできましたし」

「酒か。できたら分けてくれ」

「楽しみでしょう? 僕は平和に、楽しく暮らせるなら、それが一番なんです。巨万の富があっても、誰も彼も平伏させるほどの権力がなくても、当たり前に日々を暮らせないならば虚しいものです」

「王子様は権力に未練はないようだな」

 皮肉めいた口調だが、意外そうな顔でもなかった。

 僕もマリアロンドさんも、口元に微笑みを浮かべている。

 何となく空気が柔らかくなったところで、マリアロンドさんは唐突に話を切り出した。

「ところで、これは内緒の話なんだが」

「はい」

「レーア族が戦場で傭兵働きするのは、それが一番目的地に近道だったからなんだ。故郷の地に」

「レーア族の故郷ですか」

「すでに忘れ去られた話で審議も不確かなことだが……オレたちレーア族は、古代王国の末裔なんだ」

「古代王国の末裔?」

 ……んん?

 何か最近似たような話を聞きましたよ?

「ま、そんなことを言われても信じがたいとは思うが」

「いや、信憑性(しんぴょうせい)はありますよ。【魔獣狩り】という特殊なクラスを持っているんですから」

【魔獣狩り】というクラスの存在を、僕はよく知っている。

 このクラスはその名の通り、魔獣、そして魔獣を率いる【テイマー】をメタれるレアクラスなのだから。ただ単に強いというだけではない。様々な条件が揃い、真の実力を発揮すれば、防御に徹した僕とエーデルさえも危ういかもしれない。

 が、これは秘密だ。ローレンディア王国の、もはや王族さえ足を踏み入れることの(まれ)な書庫の奥の奥のそのまた奥に保管されていた古文書で得た知識である。そこに【魔獣狩り】というクラスはどういうもので、どのように対策すべきかなどの研究結果が残されていた。

 どうやら古代王国時代にも今と同様【テイマー】がやたら強い時期があったらしく、そこで【魔獣狩り】というクラスが生まれて対抗したらしい。

 今のマリアロンドさんがそうした事実を知っているかは少々怪しい。古代王国の末裔である、ということに若干半信半疑のようだし。

「マリアロンドさんも、失われた古代王国の地を求めているのですか?」

「そうだな、見つけられたらいいと思っている。戦場を求めて流浪する生活にも飽きた。この島から出られるようにもしたい……だが」

 マリアロンドさんが意味深に言葉を切った。

「だが?」

「ここも、そんなに悪くないんじゃないか?」

 その言葉に、僕にじんわりとした温かいものが広がる。

 この人と話せて良かった。

「良い土地にしたいですね」

「……ただ、ここで落ち着くためには解決しなければいけないものがある。相談がある」

 マリアロンドさんが、重々しい表情で僕に言った。

「相談?」

「ついてきてくれ」